第9話
使用人は晩ご飯を早めに軽く摂り、お館様たちの晩餐を供した後、食器洗いなどに追われる。希望があった日はそこから寝室へ飲食を運ぶのだが、きょうは特に要望はなく、二度目の晩ご飯を摂る。ぼくはそれを断り、テレザお嬢様の部屋へとむかう。おいちゃんに「そんなに急いでどこへ行く?」と聞かれたが、正直に答えてはいけない気がしてごまかした。
「遅かったじゃない」
お嬢様は湯浴みを終えたばかりなのか、全身に白のバスローブをまとい、ベッドで端末をいじり待っていた。
ぼくは昨晩の「一緒に誕生日を祝い合いたい」という彼女の発言に従ったまでだったが、そもそもお嬢様の誕生日祝いは晩餐のときになされており、お館様が★4つの宝呪をプレゼントして感謝の言葉と共に締め括られていた。
つまりこれ以上何を祝えというのか、という疑問がぼくの脳裏から離れない。一応昼休みに薔薇の彫刻を施したブローチを買い求めていたが、それでお嬢様を満足させられるかも疑問だ。
「鍵をかけて頂戴」
ぼくはその言葉どおりにドアを施錠する。なぜ施錠を命じられたのか、考える余裕はなかった。
「お嬢様、お誕生日おめでとうございます。これはぼくからのささやかな贈り物です」
「あら、わざわざ用意してくれたの? へぇ、意外と良いセンスしてるじゃない、アドルフ」
お嬢様はぼくが渡した包み紙を解き、薔薇のブローチを取り出して感心したようにつぶやく。彼女がお召しになるものと比べれば安物だし、褒められることは期待していなかった。だから少しだけ嬉しくなる。
「今晩起きたことは秘密になさい。だれにも話したらだめよ」
有頂天にならないよう息を整えたぼくに、お嬢様が奇妙なことを言った。けどぼくは、頭がぼう、っとして、その言葉の意味をうまく理解できない。
「承知いたしました」
半分上の空で答えるが、次に考えたのは彼女が何をプレゼントするかだった。故郷のジイちゃんはそういうことに疎い人で、誕生日は市場で買う花束が贈り物だった。それでもないよりは、あったほうがいい。
「あなたの給金でこれだけの贈り物、きっと一年分の貯金をはたいたのでしょうね。気持ちは十分に伝わったわ、アドルフ。今度はわたしからのお返しね」
「恐縮です、お嬢様」
「そこで目を瞑りなさい。わたしの指示に従って、言われるまで目を開けちゃだめよ」
ぼく命令に逆らい、わずかに目を細めていると、お嬢様はぼくの手を引き、ベッドサイドにある椅子に座らせた。
ふいに気づいたが、お嬢様と触れあうのはこれがはじめてだった。以前、お屋敷で開催された舞踏会を思い出させる優雅なしぐさ。普段は隷属魔法をかけられているため、自分から触ることはできない。
……いったい何が起こるのだろう。
心構えもないままオオカミの群れに突き進むときような気分がした。
森の餌が不足するとき、危険な獣がお屋敷の領地に出没する。ぼくたち使用人はそれを撃退しなければならないのだが、ぼくはボウガンで武装し、全部で5匹のオオカミを仕留めたことがある。
そのときと同じだ。はじめての経験なのに、ぼくは緊張を通り越してとても冷静になり、魔法石の灯りに照らされたお嬢様の息づかいにかすかな動揺を読みとることができたほどだ。
彼女はぼくの目を見ていない。震える手の振動だけがはっきりと伝わってくる。
「ご気分が悪いのですか?」
「そんなわけないじゃない。あなた、下僕のくせに生意気よ」
だいぶ強い調子で言い返されてしまったが、身分差をわきまえているため、申し訳ありませんと言って頭を下げる。
そのときだった。
「もういいわ、目を開けても」
ぼくは言われたとおりに瞼を上げる。するとそこには、金色に輝くお嬢様の双眸があった。
「お屋敷に来てから1年間、よく頑張ったわね。わたしからプレゼントをあげる」
驚くことにお嬢様はぼくの首に手をまわした。けれどさらに驚いたのは、
「……んぐっ!?」
口を塞がれたことだった。彼女の唇によって。
その行為が何を意味するか、想像できないぼくではなかった。
「……いけません、お嬢様。ぼくは星無しの家具です」
「そんなことないわ。あなたはとびきり美しい家具。それをわたしに使わせてほしいの。だめかしら?」
お嬢様に誘われるまま椅子から立ち上がり、部屋の鏡の前に立たされる。
このとき、ぼくは初めて自分の顔を鏡ではっきり見た。イメージに反してふてぶてしく、口をへの字に曲げている。もっと情けなくて頼りないと思っていた。そして、不思議と整っているのは事実だった。
「うふふ。この顔が好き」
強引に振り向かせ、もう一度口を塞がれる。今度は舌が入ってきた。
「なっ……!?」
慌てて口を離してしまう。しかしお嬢様は、ぼくのことを離してはくれない。
「安心なさい。大人はこうやってキスをするの。13歳ならもう大人の仲間入りよ」
お嬢様はぼくの年齢を知っているらしい。そんな余計なことを考えているうち、ベッドに押し倒される。体を起こそうとしても、お嬢様がぼくの前で膝立ちになった。そのまま覆い被さってきて、彼女は耳元で生暖かい息を放った。
「ねぇ、ここを舐めて。そしてあなたのモノを入れて」
興奮した声が上から降ってきた。ここ、とはお嬢様が手で隠した彼女の下腹部だ。
いつの間にかバスローブがはだけ、年相応な乳房と見えてはいけない部分がぼくに迫る。ぼくはお屋敷の人々に奉仕する立場だが、これが禁じられた行為であることは想像できた。
先ほどのキスですら罪深く、お館様に知られたらタダでは済まないだろう。そう思った途端、とてつもない恐怖が這い上がってきた。同時に、言葉にならない声が喉につまる。
「――――」
そのとき、ぼくは馴染み深い反応に襲われていた。ぼくたち使用人は、お屋敷の宝呪を奪ったり、ご家族に迷惑をかけないよう隷属魔法をかけられている。その効果が、今さらになって発揮されたのだ。体が固まり、数秒ほど声を出せなかった。それでも何とか、必死の抵抗をくり出す。
「お嬢様のご依頼はぼくには許されない行いです。下僕ができることを超えています」
「わたしが許可するわ」
「気の迷いです。家具と持ち主が交わってはいけません」
ぼくはもう、お嬢様が何を求めているか理解していた。さすがに13歳ともなれば、子どもが男女の営みから生まれることを知っている(教えてくれたのは実家のジイちゃんだが)。
這い寄るお嬢様を払いのけ、ぼくはベッドから立ち上がった。
「これで良かったのです。お気持ちを静めてください」
どこまでが隷属魔法のおかげか判別できないが、ぼくはお嬢様が求めた性交を拒む形になった。
「アドルフ、あなたわたしに恥をかかせる気?」
「下僕と交わるほうが不名誉かと」
そこまで言うと、ぼくは深々と一礼してドアにむかい、先ほど施錠した鍵を外した。
「失礼いたします」
もう一度部屋にむかい深い礼をした。そしてはずみで顔を上げると、お嬢様は顔を伏せ、白く長い指で口許を押さえていた。小さな嗚咽も聞こえる。ぼくの拒絶が、彼女を泣かせたのは明らかだった。
それでも最善の行動をとった確信はあった。ぼくはその気持ちを胸に重たいドアをゆっくりと閉めた。
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