第5話
「ダークウルフは皮ごと焼くんだ。そうすると無駄な毛が燃えて肉だけが残る」
ナイフで削った木の枝を串代わりにして内臓を取り出したダークウルフを火にくべる。その途端、表面を覆う毛にボッ、と炎が点いたあと、脂が焼けるようなパチパチ、という音が聞こえだす。
こんなふうにして食べられるなんて、このオオカミも想像していなかっただろう。ぼくもそうだった。ロベルタさんの野性的な一面を知り、ちょっとばかり驚いてしまっている。
ちなみにダークウルフと一緒に焼きマシュマロを作っている。ロベルタさんの所持していた袋の中身はこれだったのだ。オオカミの丸焼きとマシュマロ。一緒に食べたら口の中で大げんかを起こすのではないだろうか。
「そういえばアドルフ君、きみを焚き火に誘ったのにはワケがあったんだ」
唐突に、ロベルタさんが言った。視線は焚き火にむけたままだが、短く切られた髪がすとん、とあごに落ちている。
「昼間は悪かったな」
何の話だろうと訝しんだ。けれど話の途中だったので、ぼくは口を挟まなかった。
「エジルが邪魔をしたのは察しがついていたし、助けてやろうと思ったんだが、ぶちキレたお館様は人の言うことを聞かない。そして物的証拠でもない限り、エジルのせいだと言い張ることも難しい。その結果、きみが罰されるのを見逃してしまった。そのことを謝りたかったんだ」
焚き火に風を送りながら、ロベルタさんが目を伏せた。
「わかっていたんですね」
「うん。無視する形になってごめんな。でも――」
「でも?」
「こう言ってはなんだが、きみの行動力に驚いたよ。目星をつけた宝呪のためにお館様と交渉するなんて想定外だった」
彼女が【呪術解除 星無し】のことを言っているのは明白だった。同時にぼくは、自分が弱気で消極的な人間に見られていたことを痛感する。
「例の宝呪は、昨日入荷したやつだろ? たった一日で見違えたよ。こう言っては何だが、アドルフ君は下僕の仕事がつらそうに見えたから……」
会話の内容は、普段なら口にしづらいことに思えたが、丸焼きの串を動かし、満遍なく火が通るように
「ご心配おかけしてすみません。でも、どうしてこんな話を?」
ぼくがいちばん引っかかりを覚えたことについて尋ねると、ロベルタさんはあごに手をあてがい、数秒考え込んだあと、視線をこちらにむけながら言った。
「明日でお屋敷に勤めだしてから一年になるだろ。総括と言うわけじゃないが、わたしは君の成長する姿を見てきた。きょうだってエジルの邪魔さえなければ、一人で棚を運び込むことができたと思う。考えてごらん、同じことを一年前にできたかい?」
ロベルタさんの切れ長な目に焚き火の炎が映るけど、明日でお屋敷に来てから一年経つことをぼく自身忘れていた。そして、自分でも認識できていない成長を彼女は指摘してくれた。純粋に褒めてくれたようにも見えるが、ぼくはそう受けとらない。
なぜなら、そんなことのためにわざわざ夜中に連れだすのは辻褄が合わないからだ。ロベルタさんはお屋敷の執事として監督責任がある。曖昧な理由で気遣うわけがないという達観がどこからともなく湧いてきて、ぼくは言った。
「認めてくださるのは嬉しいですが、正直お屋敷の家具としてはまだ不満足です」
調子に乗る気はないことを示すべく、ぼくは心に壁を作った。業務を完璧に達成できない以上、自分を卑下するのは当然だ。そんな後ろ向きな気持ちが心の壁をさらに高くする。
「そういうところだ。君はすぐ物分りの良い態度をとってしまうが、それは本心じゃない。エジルに足を引っかけられた後、自分がどんな顔をしたか覚えているか?」
ロベルタさんの目は焚き火にじっと注がれる。けれどぼくは、不思議と彼女の視線を感じた。
「一瞬だけど、それは怖い顔をして俯いていた。人を殺しても不思議じゃないような顔だった」
人を殺しても、という言葉が胸に刺さった。ついさっきまで虚ろな気持ちでナイフをもてあそんでいたことを、ぼくは思い出す。
「わたしはこの仕事に就く前、少しだけ冒険者をしていた時期があった。知ってるだろうけど、冒険者は荒っぽいやつらが多い。ちょっとしたいざこざで人を殺すやつもいるくらいだ。君の顔は彼らに似ている。本心を隠しても、どこかに出てしまうものだ」
ロベルタさんの言うことはあまりに的確だったが、それは決して責めているのではない。何しろ口調が優しいのだ。ぼくが危険な考えに染まらないよう、心から心配しているのが伝わってくる。
「無意識ってやつですかね」
ぼくはおいちゃんが教えてくれた難しい単語を口にする。
「そうだね。でもわたしは思うんだ。人を傷つけたいほど腹を立てたということは、それだけきみが本気だったからだ。君が【呪術解除 星無し】をほしがった理由、聞いてもいいかな?」
焚き火を前に俯いていたぼくだが、そこで一瞬考え込んでしまう。
物心がついた頃、ぼくには家族が一人しかおらず、兄妹なんていなかったけど、もしも歳の離れた姉がいたとすればたぶんこういう人だったのだろうと。
お屋敷に住む人々は、みんな自分の仕事に追われ、他人に意識をむけることをしない。ぼく自身がそういう人間だった。おいちゃんと話すのは楽しいけど、心から信頼なんてしてない。
けどもしかすると、ロベルタさんのことは信頼できるかもしれない。だって彼女は他人のぼくの成長を自分のことのように語ってくれた。ぼくの曖昧な気持ちを察し、行く末を案じてくれた。
心の内側に壁を作っていたのはわかっていた。その壁を、ぼくは見えないこぶしで打ち砕いた。
「……宝呪を求める気持ちは自分でも漠然としているんです。お館様には話しましたが、ぼくには祖父がいて、呪いにかかって両目が見えないんです。奉公に出たのは、それを治す薬か宝呪を手に入れるためでぼくもそれが理由だと思っていました。でも本当にほしいのは、たぶん――自信なんです」
「自信?」
「はい、心から誇れるような自信です」
ほどよく焼けたオオカミの肉を、ぼくとロベルタさんは交互に食いちぎり、胃に収めていく。
「恥ずかしい話ですが、ぼくは自信がまったくないんです。おかげでとてもマイナス思考です」
「どんなふうに?」
「最低限の家事しかできませんし、いつか年下の下僕が入ってきたらお屋敷をクビになります。そのときお金も宝呪もなければ、祖父がやっていたような鉱山夫になるしかないけど、体力のないぼくに務まると思えません。そうなると最後は――」
「最後は?」
「人を騙してお金を盗むようになるのかなと考えました。もちろん、やりたくはないですけど」
「きみ自身は何をやりたいの?」
「お金と宝呪と自信があれば、というのが前提ですけど――冒険者になりたい気はします」
「夢はあるんだね。マイナス思考だけど、プラスな面もあるじゃないか。例の星無し【呪術解除】を手に入れることができたら、臨時雇いで働くことならできると思うよ」
ロベルタさんが言ったのは、昨日おいちゃんが言ったのと同じ話だった。
「星無しは意外に適格者がいないから、しばらく売れることはない。お館様に自分の意志を示しつつ、与えられたチャンスをものにするんだ。普段の仕事で成果を出すことも含めてね」
オオカミの肉をむしりながらではあるが、ぼくはもうひとり、自分の背中を押してくれる人と出会った。一度は腐りかけた気持ちが再び甦ってくる。
まだここからだ、ぼくの人生は。そう心に強く刻みつけたときだった。
「こんなところにいたわ」
焚き火の背後から、急に声をかけられた。後ろを振り向くとそこにはお屋敷のお嬢様がランプをもって突っ立っていた。
「窓の外が明るいと眠れないの。早くその焚き火をやめて貰える?」
「申し訳ありません、テレザお嬢様」
はっきりと苦情を突きつけられては、いかにロベルタさんと言えど命令には従わざるをえない。彼女は急いでオオカミの肉をたいらげ、燃えている木片を足で踏みつけた。
「ちょっと来なさい、アドルフ」
顔をあげると、お嬢様が指で合図し、ぼくのことを呼んでいた。焚き火の処理を手伝うべきか迷ったが、お嬢様の命令のほうが優先なので姿勢を低くして彼女に近寄る。
「何でしょうか、お嬢様」
テレザお嬢様は嫁入り前の年齢だが、子どものぼくよりは年上で、背丈も少しだけ高い。
「眠りを良くするものをご用意いたしましょうか?」
ぼくはホットミルクをイメージして、慎重に気を遣った発言をした。ところが予想外のことが起きた。しかめっ面をしたお嬢様が少しだけ表情を崩し、ぼくとの距離を詰めたのだ。
「明日は何の日かわかってる?」
声は直接、耳もとで囁かれた。
「ぼくがこのお屋敷に来てからちょうど一年経ちます」
「他にもあったでしょう?」
「あっ」
ぼくはお屋敷に来たばかりの頃、必死に覚えた記憶を取り出した。
「明日はお嬢様のお誕生日です」
「ご名答。こっそり祝い合いたいの。明日の晩、わたしの部屋へ来て頂戴」
遠ざかるお嬢様の背中を見るぼくの脳裏に、
「――――」
とだれかの声がこだました。
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