第3話

 下僕の朝は早い。

 ぼくは炊事場の裏で、お屋敷が使う一日ぶんの薪を割る。


「ふぅ。あっという間に汗だくだ」


 半分ほど終え、切り株に座ってハトムギソウを煎じたお茶を飲んだ。そこで朝イチで発信された新聞を読むのがぼくの日課。もっとも無料のやつだから長くて5行程度だけど、タイトルと見出しを読み流しているうち、気になる一文が目に飛び込んできた。


『130年ぶりに出現。か?』


 巨神というのは初めて目にする単語だった。人によっては端末に辞書を入れたりしているみたいだけど(うちのお嬢様とか)、下僕のぼくにそんなお金はない。だから調べられない。


 顔をあげると、眠そうな顔をしたおいちゃんが通り過ぎていくところだった。


「ねえ、訊きたいことがあるんだけど」

「……なんでぇ?」

「巨神って魔獣知ってる?」

「どこに出現した?」

「場所はマニ遺跡。ここから南にあるプロヴァンキア教会領の遺跡だって」


 プロヴァンキア教会領はこの国の宗教、聖隷教会が治める地域。ぼくたちの住むヴェストファーレン総督領と領地を接している。


「六大遺跡のひとつだな。おいちゃんも冒険者時代、行ったことがあるぜ」


 そこまでは会話がきれいにつながるが、


「だけんど巨神ってのは聞いたことねぇな」


 おいちゃんは頭がバカになっているから、彼の「知らない」はあてにならない。


「それより昨日の話、頑張れよ」


 背中を押したことは覚えているようだった。おいちゃんの記憶はほんと不可解だ。


 ともあれぼくは、その巨神出現というニュースをすぐに忘れた。きょうは星無しの【呪術解除】がほしいとお館様に頼むつもりだったし、頭のなかはそのことでいっぱいだったからだ。


   *    *


 薪割りを終え、調理を手伝い、朝食の給仕をして、お屋敷の掃除に取りかかる、。

 その間、ぼくはお館様に話しかけるタイミングを探り続けた。チャンスはあったが、それを潰す出来事も多かった。お館様は忙しい。タイミングがそもそも少ない。

 段取りをよくするためにロベルタさんに話をつけて貰う手もあった。時間をとって貰えるように頼み、話し合いを仲介して貰うのだ。使用人がお館様と話すとき、よく使う手段だった。


 けれどぼくは、自力でやり遂げたかった。そうしないと意味がないと思ったから。


 何度かすれ違いが続いた昼食の配膳時、ぼくは朝読んだニュースを切り口に会話を広げようとしていた。奥方様のティーカップに紅茶を注いだ後、隣に移動しながら声をかける。


「そういえばお館様――」

「失礼します」


 ぼくが話しかけた途端、ノックされたドアが開き、一礼したロベルタさんが部屋に入ってきた。


「ご注文された家具が届きました」

「あの業者、仕事が早いな。これで出来も良かったら次もあそこに頼もう。アドルフ、手伝ってこい」


 すぐさまお辞儀をしてロベルタさんが退室していく。

 あとで頼めばいいか……と思ったが、違う。頼むならいましかない。


「お館様。折り入ってお願いがあります」


 ぼくは買い取った宝呪がどうしてもほしいと告げた。


「ふむ、星無しの【呪術解除】が所望だと?」

「祖父が長らく呪いにかかっていて、元鉱山夫なんです。治療費で財産が尽きてぼくが奉公に出ましたが、そもそも呪いを解く薬か宝呪を買うのが目的でした。給金から天引きして頂いて構いません」

「いまお前に辞められるのは具合が悪いな」

「ご安心ください。宝呪を手に入れても、しかるべき年齢になるまでお勤めは続けます」


 気持ちが溢れ出し、言葉がどんどん出てきた。お館様は無言で考え込んだ後、こう言った。


「届いた家具を一人で運んで来い。使用人として役立つところを見せてみろ。そうしたら考えてやる」

「ありがとうございます」

「ただし、しくじったら相応の罰だ。鞭打ち10回。いいな?」


 深々とお礼をしたぼくはロベルタさんの後を追いかけるべく、小走りで部屋を横切った。視界の片隅に高価な宝呪の収められている宝物庫が目に入る。

 あの扉に触れられないよう、ぼくたち使用人には隷属魔法がかけられている。それが使用人になるときの契約だった。

 昨日買い取った★6つもあそこにしまってあるのだろう。でもそれは、べつにほしくはない。ぼくがほしいのはたったひとつ――自信だ。


   *    *


「君ひとりでやるのか?」

「はい。その条件で星無しの【呪術解除】を貰う約束をお館様としたので」


 腹をくくったぼくはきっぱりと言ったが、ロベルタさんは心配そうに眉毛をハの字に曲げた。無理もない。届いたばかりの家具は、ぼくの背丈より高いアンティークの棚だった。


「大丈夫です。こういうときのために【家事】があるので」

「でもアドルフ君の宝呪は――」


 そう、星無しだ。けれどいまは、それを言い訳にしたくない。

 ぼくはまだ成長途中で背が小さいけど、毎日家事に追われ、体を使う仕事をこなしている。つまり体力だけは、そこそこ自信があったのだ。

 実際、ぼくの読みは正しかった。

 階段のように不安定な場所で小休止すれば、一人でも順調に運ぶことができた。

 相変わらず心配そうなロベルタさんがついているけど、ハの字だった眉毛は元に戻っている。


「意外に体力あるんだね」


 階段の踊り場でロベルタさんが話しかけてきた。ぼくは軽く頷き、歯を食いしばって棚を持ち上げた。

 お屋敷の玄関からいちばん広い居間まで。フロアを三つ昇り、最後の階段を十段ほど見上げた先にお館様が待っていた。

 バランスをとるべく体勢を整えていると、後ろからロベルタさんを追い越す従者のエジルさんが視界に入った。ぼくは少し体を寄せ、彼が通れるような空間をつくった。


 ところがそのとき――


 ぼくの体がぐらついた。コツン、と足をかけられたからだ、通りすがったエジルさんに。


 バランスはあっという間に崩れ、体は前につんのめってしまう。棚も前のめりに倒れ、派手な破砕音を立てて扉のガラスが割れた。


「何をやっとる! お前の三年分の給金より高いんだぞ!?」


 顔をあげると、顔を真っ赤にしたお館様が近づいてきた。片手には鞭。約束どおり罰を下されるのだろうが、ぼくは必死に抗った。


「いまのはエジルさんが。ぼくのせいではありません」


 しかしエジルさんはすでに通り過ぎていて、この場にはいない。それに目撃者もいない作為に責任転嫁してもだれが認めてくれるだろう。


「他人のせいにするとは見下げたやつだ。お前は卑怯な人間だぞ、アドルフ!」


 お館様は雷鳴のような声で一喝し、ぼくの顔に鞭を振るった。状況は最悪だった。自分は何ひとつ悪くないのに、ボタンをひとつ掛け違った結果、とんでもない罰を食らう。


 結局ぼくは、10回の鞭打ちを浴びてその場にうずくまった。お館様はさらなる罰を下すと言い張ったがロベルタさんが間に入ったおかげで、事なきを得た。

 壊れた棚のガラスも、彼女は【修復☆☆】という宝呪を所持しているので新品同様に戻してくれ、それを見たお館様は、一度は傷物になった家具に不満げだったけど徐々に怒りを収めていった。


 最後はロベルタさんも手伝ってぼくたちは直ったばかりの棚を居間に運び込んだ。よく見ると、そこにはさきほどすれ違ったエジルさんがおり、奥方様にかしずきながら、愉しそうに話し込んでいた。


「聞いて、あなた。エジルが★5つの宝呪を買い叩いたんですって。間抜けな冒険者がいたものだけど、出し抜いたエジルも大したものだわ」

「それは本当か、エジル?」

「はい。時価の半値で買い取りました。スキルが劣ったので安いと勘違いしたのでしょう」

「でかした。今月の給金にイロをつけてやる」


 急に機嫌の良くなったお館様はエジルさんの肩を叩き、謙遜しつつも自慢げな彼とぼくは目が合った。


 交わす言葉はない。けれどエジルさんの目は物語っていた。「お前も間抜け」だと。

 やっぱりわざと足をかけられたのだ。


 何事もなかったように視線をそらし、お館様にぺこぺこ頭を下げ続けるエジルさん。人を騙し、意地悪した人間が得をする社会――。


 実力主義の世界で生きるって悪人になることなのかな?

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