第2話

 スープの材料といえば、ウシの骨か鶏肉だ。お屋敷には毎日コンソメスープが供されるため、仕込みのはじまる昼下がり、業者が届けた大量の牛骨をお屋敷の裏手のある作業場に運ぶ。小分けした樽を搬入すると、そこには真っ黒な眼帯をしたコックのおいちゃんがいた。


「おいちゃん、お待たせ」

「オウ、アドルフ。待ってたぜい」


 樽を運ぶ仕事はぼくの体力をつける意味があったのだけど、のんびり搬入していると野犬に襲われる危険があるため、途中からはおいちゃんにも手伝って貰いつつ、それを終えると二人して牛骨を砕く作業に取りかかる。


「そういえばおいちゃん、きょうはすごい宝呪が入荷したよ。★6つだよ」


 ぼくは自分でも驚くほど熱っぽく語りだしてしまったが、おいちゃんは口笛を吹き、おどけた様子で「★6つだと? そいつはすげぇや、ぐわはは」と笑い立てた。


 もちろんその間も、牛骨を引っ掴み、容器の上でハンマーを振り下ろす作業は止まらない。割れた骨を容器に載せ、大きな寸胴に放り込む。同じ動作をぼくもおこなう。慣れないうちは大変だったけど、いまなら目を瞑ってもやれる。


「つうか、そのお客もよく売ったね。おいちゃんが現役の冒険者だったら、★6つの宝呪は売らないね。能力は何だった?」

「【魔導武装】だったかな」

「それならなおさらだぜ。拡張手術を受けてでもそいつを活用して遺跡のダンジョンの最深部に潜るしかねぇべ。星の多い宝呪の見つかる可能性が高いからな。めざすは――星8つ以上さ」


 そこからおいちゃんは真面目くさった顔になって語りだす。もう何度も聞き飽きた話を。


 大まかに言って冒険者ランクと星の数は、100位は星6つ、50位は星7つ、10位が星8つという関係になっているらしく、最高位の星11つは世界中に二個存在しているという。ちなみに星8つ以上の持ち主がぼくらの住むイェドノタ連邦の統治者〈勇者〉の選抜候補になることができる。最大10人。理屈の上では。


 そして宝呪の話をしだすと、おいちゃんは決まってこの国が興った経緯についてしゃべりだす。


「この国の歴史を学ぶほど、その偉大さに驚かされるぜ……」


 まだ悪の魔王が存在していた混沌時代。

 何人もの王様が割拠した群雄時代。

 全国を統一してこの国を300年治めた皇帝に4人の勇者パーティーが勝利した革命時代。

 それ以来、イェドノタ連邦は選挙でえらばれた勇者が指導者として君臨し、自由で実力主義な国家運営をしている。星8つ以上の宝呪は、そんな勇者候補に名乗りあげるための必須アイテムだ。


 おいちゃんが歴史の話をするときは本当に嬉しそうだ。高ランクの宝呪が見つかると普段に増しておしゃべりが止まらなくなる。だからぼくも、冗談めかしてこう言うんだ。


「そんなに宝呪が好きなら、もう一度冒険者に戻ったら?」

「バカ野郎。おいちゃんの天職はコックなの。勇者になるより食べた人の笑顔を見るのが嬉しいって気づいちまったの。その喜びを知っちまったら冒険者なんて願い下げだね」


 端末のない手首を誇示したおいちゃんだが、ぼくが生まれたくらいの頃は新進気鋭の冒険者として業界にその名を轟かせていたらしい。でも辞めることになった。コックという天職を見つけたからじゃない。戦闘で頭にダメージを負って普通の生活を送れなくなったからだ。唯一できたことが、冒険者時代の趣味だった料理で、幸いそれで生計を立てられているが、戦闘の傷はまだ治ったわけじゃない。


 その証拠に、おいちゃんは、


「それでアドルフ、星6つの能力は何だったのよ?」


 最初に聞いたことを何事もなかったようにくり返した。


「【魔導武装】だったかな」

「そいつは勿体ねぇな。おいちゃんなら拡張手術を受けてでも、そいつを活用して遺跡のダンジョンの最深部に潜るね。星の多い宝呪の見つかる可能性が高いからな。めざすは――星8つ以上さ」


 おいちゃんは自分の話したことを記憶できない。だから同じ話を何度でもくり返す。

 そしてその話は、いつも同じオチで終わる。


「おいちゃんはコックになってよかったね。冒険者だった頃に比べて、この国の実力主義はいつの間にか間違った方向にむかっちまった」


 生まれ持った枠に人生が左右され、出自で差別されないかわりに能力で差別される世界。

 頑張れば報われるのではなく、能力をもった者が頑張れば報われるのがこの世界。

 おいちゃんの話はきっと正しいのだろう。でもぼくは、すごく耳が痛い。


「アドルフ、お前は星いくつだっけ?」

「ゼロです」


 無遠慮に訊くおいちゃんだが、ぼくも慣れたもので平然と答えた。


「星無しの宝呪が必要だな。【呪術解除】なんかそのたぐいだ。給金で買えるようになるまで頑張れ」


 下僕だと貯金も全然たまらないんだよ――。喉まで出かかった愚痴を慌ててのみ込み、ぼくはふいに出た単語を次の会話につなげる。


「ねぇ、おいちゃん。【呪術解除】の星無しがあれば、冒険者としての仕事に役立つかな?」

「めぼしい宝呪があるって顔だな。察するにお客が持ち込んだやつだろ」

「……よくわかったね」


 ぼくが上目遣いで言うと、おいちゃんはハンマーを振るいながら天井を見上げた。


「【呪術解除】は目的が特化しているから常勤のパーティーメンバーには選ばれにくいが、呪いリスクの高い場所や魔獣をクリアしたい連中から頼られ、パートで働くことになるだろうな。いずれにせよゼロのままでいるよりはるかにマシだが――」


 そこで言葉を区切り、おいちゃんはぼくの瞳を覗き込んでくる。


「アドルフよ。お前さん、その星無しがほしいのかい?」

「あ、いえ、そんなわけじゃ……」

「言い訳すんな。おいちゃんに話したってことは、背中をちょいと押してほしいんだよ。使用人に染まると本当の気持ちがわからなくなる。自分の感情に素直になりな……むっ!」


 急においちゃんがハンマーの動きを止め、樽のそばに突き立てた鉈を握り、視線を屋外へとむける。


「野犬が出やがった。ここは自然に近いから空気はうめぇが魔獣の数が多すぎんよ」


 野犬とは家畜のイヌが野生化したものではなく、それ自体れっきとした魔獣の一種だ。野犬に限らず、近隣の森や山に棲む連中が餌をなくし、人里に下りてくることはよくある。


 魔獣の接近にたいしてぼくも何かできることを見つけたかったけど、武器もない状態では【家事】しかできない星無しのぼくにできることは何ひとつない。


 呼吸を止めて目を見開くと、おいちゃんは音もなく、すっと立ち上がり、作業場の扉に身を潜める。扉は半分開いており、耳を澄ますとおいちゃんが呼吸を止めたのがわかった。おそらく殺気も消したのだろう。おいちゃんの存在感が希薄になり、その状態のまま足音ひとつ立てることなく屋外へと歩みだした。


「――セイッ!」


 姿勢を低めたおいちゃんが腕を振ると、その手から放たれた鉈が弧を描いて草むらに飛び込んだ。一瞬の動作だが、若い頃いっぱしの冒険者だったという逸話は本当なのかもしれない。そのくらい、おいちゃんの動きは自然で、理にかなっていた。


 野犬の悲鳴は聞こえなかったが、急所をやられた魔獣は即死することが多い。裏を返せば、一撃でしとめた証拠のようなものだ。


「ふう。山の餌が少ないのかもしれんね。面倒くせぇから後であっちの草むらに罠仕掛けておくかね」


 投擲した鉈を回収することなく(きっと作業を終えたらやるんだろうけど)、作業場に引き返してきたおいちゃんはハンマーを握り直し、手際良くウシの骨を砕いていく作業に戻った。


 この間、たった30秒くらいだったと思う。一方でぼくの心は沈んでいた。敵が現れたというのに声を潜めることしかできず、力になれない無能な自分。そんな人間に存在価値はあるのだろうか、なんて後ろ暗い感情が湧き上がってきたのだ。


「そういやなんの話だっけ?」


 おいちゃんが元の話題を見失ってきょとんとする。けれど元気をなくしたぼくはフォローをしなかった。


 ――悔しいか?


 唐突に、頭のなかで人の声が聞こえた。

 それはどこか馴染み深く、大人でも子どもでもない不思議な音色の声だ。


 ――当然じゃないか。悔しいに決まってるよ。


 ぼくは自分の声に唇を噛み締めながら言い返した。同時に思い描いたのは、午前中に見かけた【呪術解除 星無し】の放つ鈍い輝き。


 子ども、星無し、下僕。あらゆる点で劣り、自信の欠けたぼくだけど、あの宝呪を実装することができたら変われる気がする。はっきりとした根拠はないが、ぼくがお屋敷勤めをはじめるきっかけになった目的は、呪いを解くための薬を手に入れるか、それに特化した宝呪を手に入れることにあったからだ。


 きょう。いや、気持ちを整えるために明日。勇気を振り絞ってお館様に頼んでみよう。おいちゃんに背中を押して貰えたし、この衝動はもう無視するなんてできない。


「どうした、アドルフ。手がお留守だぜ」

「うん、ちょっと考え事してて」


 咄嗟に言い訳したぼくはこぶしを強く握り、振り上げたハンマーを牛骨の中心めがけて力いっぱい打ち下ろした。

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