第6話 帰還者(フォーリナー)
ぼくは何気なしに音のしたほうへと振り向いた。
するとそこには、いままで見たこともないような得体の知れない何かがうごめいていたのだ。
「なっ……だっ」
驚きすぎて「なんだ」すら発音できない。
そもそもひきこもり生活が長すぎて、普段の会話の少なさから声帯が退化傾向にあるのは間違いないのだが。
それにしても。
この得体の知れない物体。
よくよく見れば、人間の姿をしていることが容易に知れた。
さらにズタボロになった衣服――ワイシャツとスラックス――からして、どこぞのサラリーマンだと分かる。
しかし皮膚はただれ、肉は落ち、ところどころ骨がのぞいている。
くぼんだ眼窩の奥には瞳なく、頭髪はまばらに抜け落ちて。
ただ必死に手を伸ばし、ぼくのほうへと這い寄ってくるのだ。
あう……あぅぅ……。
声にならないかすれた音が、のどの奥から響いてくる。
一体こいつは何者だ?
気持ち悪いことは確かだが、驚異になるとも思えない。
このままうっちゃって、先を急ぐかと思ったときだ。
サラリーマンの形をした生きた肉塊が上半身を起こしたとき、首から提げた社員証のようなものがチラリと見えた。
そこにはひとりの中年の顔写真と名前、さらに所属している部署が記載されている。
「じ、人事部長?」
見知った顔だった。
それもそのはず、かつてぼくを自主退職にまで追いやった張本人である。
いまでもたまに夢に見る。
忘れることなど出来ようか――。
「まさか――異世界から帰ってくるとき――こう――なるのか……」
まったくの憶測だ。
しかし深海魚の例もある。
無理やり環境の違う場所へと連れて行かれ運よく難を逃れたとしても、いざこっちに戻ってくるときの負荷で肉体が破壊されてしまうということはないだろうか。
しかしなぜ人事部長はこっちへ戻ってこれた?
そんなことを考えているときだった。
ドサッ――ドサドサッ――。
またしても周囲から何かが地上へとぶつかる音がした。
それも複数だ。
慌てて周囲を見渡すと、空から次々と、人事部長と似たような服を着た肉塊が降ってくるではないか。
なかには見たこともない、異国情緒あふれたデザインの衣装を身にまとった肉塊も。
それはどうやら、天上を覆う巨大な魔法陣から降って来るらしかった。
仮にあの魔法陣が成層圏ギリギリに存在するとしたら、地上50キロメートルの高さはゆうにある。
そこから落下してまだ息があるとしたならばたいしたものだ。
しかしこうも考えられる。
「死ねないのか……」
死なないのではく、死にたくとも死ねないのではないか。
そう考えたとき、あの憎き人事部長の顔が、なんだか急に気の毒に、
「なるかボケェェェェェッ!」
ぼくは狂気に取りつかれたように、人事部長と思わしき肉塊を自転車でひいた。
何度も何度も繰り返し繰り返し。
「よくも! よくもっ!」
五体が引きちぎれ、脳漿らしきものが飛び散り、身体中の体液がコンクリートの道路に染み込んでいく。
痛快だった。これ以上ないくらいに。
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