Dispositio Fridericiana

 私と兄のヨハンは、互いに競い合いつつ成長している。そんな中、ニュルンベルク城伯家では重要な決定が成されようとしていた。

 1385年に父フリードリヒ5世は、兄ヨハンと私にニュルンベルク城伯領を分割統治させようと決断する。この分割統治を決めた理由としては、兄の婚約が大きく関わっている。

 中世ヨーロッパでは、貴族や富裕層の男性の結婚年齢は高い。男性は30歳ぐらいが多く、史実のフリードリヒの婚姻も同様であった。

 それに対して、女性の結婚年齢は若く、平均17歳ぐらいである。そのため、夫婦の年の差は10歳以上離れていることが多かった。

 この様に、貴族や富裕層の男性の結婚年齢が高かったのは、結婚するために独立して十分な経済力を持つ必要があったからである。

 そこで、分割統治の理由に話を戻すこととなる。兄の婚約相手である皇女マルガレータは1373年生まれであるため、兄が30歳になる頃には、結婚適齢期を逃してしまっている。兄とマルガレータを結婚させるためにも、ニュルンベルク城伯領の相続を明らかにする必要があるのだ。

 神聖ローマ帝国諸侯で分割相続をさせるのも、諸侯の子息たちが独立して生計を立てられる様にさせ、結婚出来る様にするためだった。過去には、分割相続が家の力を弱くさせるからと長子相続にさせた有力諸侯もいたが、そう言った事例は少ない。現在の神聖ローマ帝国領内では、分割相続が大勢を占めている。

 そのため、兄ヨハンと私の2人でニュルンベルク城伯領を分割する必要があるのだ。父は私が婚姻出来る様に、所領を持たせてくれるつもりらしい。父は一般的な神聖ローマ帝国の諸侯であった様だ。


 兄ヨハンと私にニュルンベルク城伯領を分割させることに決めた父フリードリヒ5世は、兄のヨハン3世にobergebirgische Land(「山地の上」地方)、私にuntergebirgische Land(「山地の下」地方)を分割相続させることにした。

 兄ヨハンの治めることとなる山地地方は、

現在のオーバーフランケンからミッテルフランケンにかけての地方で、クルムバッハを中心にアーベンベルク、カードルツブルク、リートフェルト旧王領、バイロイト、ヴンジーデル、1アルツベルク、シャウエンシュタイン=ヘルムブレヒツ、ミュンヒベルク、ホーフ、ゼルプなどに渡り、それにはハイルスブロン修道院の保護権も含まれている。兄の宮廷は、クルムバッハのプラッセンブルク城に置かれることとなるだろう。

 私ことフリードリヒの治めることとなる山地の麓地方は、アンスバッハを中心にその周辺の代官領、フォイヒトヴァンゲン、ウッフェンハイム、クライルスハイム、クレーグリンゲン、キッツィンゲン、マルクトシュテフト、シュヴァーバッハ、ロイタースハウゼン、グンツェンハウゼンなどに渡る。

 史実では、アンスバッハは後にニュルンベルク城伯がフランケン地方を治める首邑となる場所だ。私もアンスバッハに自身の宮廷を置くこととなるだろう。


 こうして、父フリードリヒ5世が私たち兄弟に、将来の土地分割に関する協約を定め、この協約は「Dispositio Fridericiana」と呼ばこととなる。

 兄ヨハンが相続する領地が定まったことで、兄は近いうちに皇女マルガレータと婚姻することとなるだろう。そうなれば、兄はプラハにあるヴェンツェル王の宮廷に出仕することとなる。兄は父の元を離れ、ヴェンツェル王の側近となることだろう。

 それは、私も父の元を離れて、別の宮廷に出仕することを意味する。私は史実通りに先ずはオーストリア(エスターライヒ)方面での職務を遂行しながら、ハンガリーのジギスムントに仕えることとなるのだろうか?

 私も帝国諸侯として成り上がるためにも、成人して出仕するまでに、鍛練と勉学に励む必要があるな。

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