第4話ー⑥ 僕は空っぽな人間だから

「ねえ、まゆお。まゆおの過去に、いったい何があったの……」


 いろははそっとそう呟く。


 しかし、その言葉に返答はなかった。


 それからいろはは、扉の前で佇んだまま、まゆおに届く言葉を探していた。


 しかし、いろはがどれだけ考えても、まゆおに届きそうな良い言葉なんて思い浮かばなかったのだった。

 

 過去に捕らわれているまゆおにアタシは何をしてあげられるのかな――


「これじゃ、アタシも過去に捕らわれているのと変わんないじゃん」


 ため息交じりにいろははそう呟いた。


 そもそもアタシにはまゆおの過去は変えられないし、変える必要もない。変えなきゃいけないのは、これからのまゆおなんだよ――


「じゃあそのために、今のアタシがまゆおにできることって何?」


 いろはは首を横に振ると、考えることを止めた。


 アタシはそんなに賢くなんかない。どんだけ考えたって答えなんて出せるわけがない――


 それからいろはは、ゆっくりと口角を上げる。


 アタシができることは、自分の直感を信じて、まゆおにしてあげたいことをするだけだよ――


 そう思ったいろはは、まっすぐにまゆおの部屋の扉を見つめた。


「まゆおが自分を犠牲にしてでも我慢したいって思うなら、それでもいいんじゃない」


 いろはは淡々とそう言った。


 反応はなし、か。でも、アタシは諦めないから――


「まゆおがそう思うなら、アタシはまゆおが辛いのはアタシのせいだってことにするから」


 いろはがはっきりとそう告げると、


「そ、それじゃ、意味ないよ!」


 まゆおは声を荒げてそう言った。


「意味って何?」


 いろはがそう尋ねると、


「誰かが不幸なのは、全部僕のせいなんだよ。僕のせいでいろはちゃんが辛くなったら、意味がないんだ。辛いのは僕だけでいい」


 まゆおは苦しそうな声でそう答える。


 誰かが不幸なのは、僕のせいって……何言ってんだか――


 いろははそう思ってため息を吐くと、


「ねえ、まゆお? アタシはまゆおが辛いだけで、もう充分辛いの。大事な友達が辛そうにしてるのに、自分が何もできないなんて、そんなのアタシは嫌だ。それって、もう不幸じゃないの?」


 まゆおへ言い聞かせるようにそう言った。


「じゃあ僕はどうしたらいい? 僕の存在が人を不幸にしてしまうってことじゃないか……」


 なんで自分が不幸にする前提なの? そんなこと誰も思っていないのに。なんでそれが伝わらないの――?


「はあ。まゆおは本当に馬鹿なんだから――」

「え……?」

「いい? よく聞きな? アタシはまゆおに幸せでいてほしいわけ! ただ笑顔で楽しく過ごしてほしいんだって!」


 いつもみたいにまゆおと一緒に楽しく過ごしたいんだよ、アタシは――


「で、でも、僕がいると――」

「周りの人間を不幸にするって? そんな馬鹿な事あるわけないじゃん! 不幸かどうかなんて自分自身で決めることなの。まゆおがいてもいなくても関係ないことなんだよ!」


 いろははまゆおの言葉を被せるようにしてそう言った。


「まあ少なくとも――アタシはまゆおと一緒にいて、楽しくて幸せだって思うけどねっ!」


 いろははそう言って、頬を赤く染める。


「え……」


 もうちょっとなんか反応してよ! アタシが寒い奴みたいじゃん――!


 きょとんとしたような声しか上げないまゆおに、いろははそう思いながら、いたたまれなくなっていた。


「ああ、もうっ! 恥ずかしいこと言わせんなぁ!! ってか、早く部屋から出てきてよ! 一人で話してるみたいで、はずいでしょ!!」


 いろははそう言って、扉を叩く。


 すると、ゆっくりと扉が開き、まゆおが姿を現した。


「い、いろはちゃん……あ、ありがとう……」


 まゆおは嬉しそうにそう言いながら、顔を真っ赤にしていた。


「ちょ! そんなに照れないでよ! アタシが恥ずかしいから! もうっ!!」


 いろははそう言って、プイっとまゆおから顔を背けた。


「ご、ごめん――」

「またすぐに謝る! いい? アタシの前では謝るのは禁止ね!! これからはごめんじゃなくて、ありがとうっていうこと!! わかった?」


 いろははそう言いながら、右手の人差し指をまゆおに差した。


「う、うん。僕、やってみる」


 まゆおは胸のあたりで両手の拳を握りながら、そう言った。


「よし! ああ。言いたいこといったら、すっきりした!」


 そう言っていろはは背伸びをした。


「あ、ごめ――」

「謝るのは?」


 ニコッと笑ってそう言ういろはを見たまゆおは、はっとして、


「は、はい」


 と緊張した顔で答えた。


「うんうん」


 いろははようやくいつも通り会話ができるようになったことに安堵していた。


 まゆおがアタシをどう思っているのかはわからないけど、でもアタシにとってまゆおは大事で大切な友達だからさ――


 普通ではない自分が、普通でいられる場所はまゆおの隣なんだと気が付き、いろははそんな大切な場所をこれからも守りたいと思ったのだった。

 

「そういえばね、最近好きなバンドがいてね! ちょっと聴いてみない?」


 そう言って持ってきたスマホをまゆおに見せるいろは。


「う、うん!」


 それからいろはとまゆおは、夕食の時間までそのバンドの曲を楽しく聴いていたのだった。



 * * *



 ――食堂にて。


 暁が食堂に行くと、そこには楽しそうに会話をしているまゆおといろはの姿があった。


 そんな2人を見た暁は優しく微笑み、


「どうやら仲直りできたみたいだな」


 そう呟いた。


「ねえ、まゆお! さっきの曲、めっちゃあがるっしょ?」

「うん、すごく良かった! 教えてくれて、ありがとういろはちゃん!」

「いつか外に出られるようになったら、一緒にあのバンドのライブに行きたいね!」


 仲睦まじそうにそう話す2人を見て、クスリと笑う暁。


「さて。心配事も解消したし、俺はから揚げでも食べるかな」


 それから暁は、この日も平和な夜を過ごしたのだった。



 * * *



 ――まゆおの自室にて。


 夕食を終えたまゆおは、ベッドに座り、今日あったことを思い出していた。


「いろはちゃんは、僕といて、楽しいって幸せだって言ってくれた……」


 そう呟き、まゆおは嬉しそうに微笑む。


「いろはちゃんと出会うまでの僕は剣道がないと誰からも必要とされない、いらない子だって思っていた。でもいろはちゃんとの出会いが、僕の人生や考えを変えてくれるような気がする」


 まゆおはそう呟いてから、視線をゆっくりと上に向ける。


 いろはちゃんは僕の存在を肯定してくれる。僕も幸せになってもいいと言ってくれる。僕は僕のまま生きていけばいいんだよね――


「迷惑をかけない為とか誰かに必要とされる為じゃなく、これからは自分の為、守りたい人の為に生きよう」


 まゆおはそう呟いて、小さく頷いた。


 それからまゆおは、先ほど自室で見ていたいろはの楽しそうに笑う顔を思い出す。


 あのいろはちゃんの笑顔は、僕が守る。いろはちゃんには、僕の隣で笑っていてほしいから――


「出会ってくれて、ありがとう」


 この日を境に、まゆおは少しずつ変わり始めていったのだった。

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