第6話ー⑤ 信じることの難しさ
「キリヤ、そろそろ出てきて……」
マリアはキリヤの部屋の前にいた。
女性教師を傷つけてしまったあの日から、キリヤはずっと部屋に籠りきりだった。
先生にあんな目を向けられて、ショックじゃないはずないよね――
そう思いながら、キリヤの部屋の扉の前でマリアは佇んでいた。
まさか、こんな形で終わってしまうなんて。キリヤにとってせっかく見つけたオアシスだったはずなのに――
マリアは苦しそうに顔を歪め、扉に額をつけると、
「ごめんね、キリヤ。また私のせいで……」
震える声でそう呟いた。
「大人なんて信用できない。僕にはマリアだけが居ればいい」
キリヤは淡々とそう答えたのだった。
そしてその日を境にキリヤは変わっていった。
「なあキリヤ。さすがにこれは、やりすぎなんじゃないか……」
そう言う剛の前には、気絶する男性教師とその教師を冷たい視線で睨むキリヤの姿があった。
あの日からキリヤは、部屋に引きこもることはなくなったが、その代わりに施設にいる教師たちに対して、暴力行為をするようになったのだった。
「何言ってるの、剛。こんなのまだ優しいほうだよ。それに大人は何を考えているかわからない。いつ牙をむくかわからないんだ。だったら、そうなる前に可能性は潰しておかないとね」
そしてキリヤは氷を生成して、その氷で気絶した男性教師の頭を殴り始める。
その様子を静かに怯えながら、剛は見つめていた。
「大人なんて信じない。信じるもんか」
キリヤはそう言いながら、冷酷な表情で男性教師を殴り続けたのだった。
そして教師たちへの暴力行為を始めたころから、キリヤは誰の前でも本当の笑顔を見せなくなった。
「キリヤ……あの――」
「どうしたの、マリア?」
「先生、大怪我をしたって聞いたから。何か知らない?」
マリアがそう尋ねると、
「知らないよ」
キリヤはそう言って笑った。
そんなキリヤを見て、まったく感情のこもっていない笑顔だと、マリアはそう思った。
「だったら、いいけど……」
「うん。そんなことは、マリアが気にするようなことじゃないよ」
そう言ってキリヤは、どこかへ向かっていった。
「キリヤ……」
マリアはそんなキリヤを追うことはできなかったのだった。
そして翌日。また別の教師が病院送りになったことを知らされたマリアは、ひどく心を痛めた。
また、キリヤが先生を――とそう思ったからだった。
他の生徒も教師たちもキリヤの行動はわかっていたが、誰もキリヤを咎めようとはしなかった。
明日は我が身かもしれない――そんな思いがあったからだろう。
このままじゃ、キリヤの心の氷は解けるどころか、もっと凍り付いてしまう――
マリアはそんな不安を抱いていた。
「お願い。誰でもいいから。キリヤを助けて――」
妹である自分でも解かせなかったその心の氷を、誰かに解かしてほしいとマリアは願うようになった。
しかし新たに教師が派遣されても、すぐにキリヤの標的となり、誰もキリヤの心の氷を解かせなかったのだった。
マリアは暴力行為をするキリヤを見るたび、どんどん罪悪感が増していった。
私の能力さえ目覚めなければ、キリヤの心がこんなに冷え切ってしまうことなんてなかったのに――
マリアはいつしかそう考えるようになっていた。
「私は何もできない。だから、待つしかない。いつかキリヤの心の氷を解かしてくれる人が現れることを。それまでは耐えなくちゃいけないんだ。この苦しみから」
キリヤ、私は信じてる。きっとキリヤが元の優しくて温かい心を取り戻してくれるって――
どんなに心が冷え切っていても、きっとまだキリヤの心は完全に凍ってはいない。まだ心のどこかに温もりが残っているはず。
だからキリヤが温かい心を取り戻すその日まで、私はキリヤのそばにいよう、とマリアは誓った。
私がキリヤにできるのはそれくらしかないから――
* * *
「これがこの施設に来てから、私達に起きた出来事」
マリアはそう言って、苦しそうな顔をして俯いた。
暁はマリアからキリヤの過去を聞き、眉間に皺を寄せていた。
キリヤは何度も大人に裏切られて、心が冷え切ってしまっている。そんなキリヤを誰も救えず、今もキリヤの心は冷え続けているんだ――
そんなキリヤのことを思い、悲しい気持ちになる暁。
なぜ苦しむキリヤに誰も気が付くことができなかったのか、と。
そして、
このままではキリヤの心は近いうちに完全に凍り付き、元には戻れなくなるかもしれない――
暁はそんな不安を抱いた。
もしそうなれば、マリアもきっとひどく傷つくことになる――
そう思いながら、暁はゆっくりとマリアに視線を向ける。
マリアは苦しそうな表情のまま、俯いていた。
きっとこれまでも辛かったんだろうな。キリヤの暴力行為をわかっていても、止められなかった自分を責め続けて――
キリヤが唯一信じているマリアができなかったこと。それを他の誰がやる――? 暁はそう自分自身に問いかけた。
そんなもの決まっている、俺だ――!
「マリア、俺は――!」
「先生。先生がキリヤの冷え切った心を救ってほしい! 先生なら、きっとできる!!」
マリアは暁の言葉を遮るようにそう言った。
マリアのこの言葉を聞き、暁は覚悟を決める。
「ああ。もちろんだ。俺はお前たちの担任だからな! 俺が必ずキリヤの心を救ってやる!!」
暁のその答えを聞いたマリアは、ほっとした顔をしてからニコッと微笑んだ。
その純粋な微笑みに、能力なんて関係なしにマリアは魅力的な可愛い女の子なんだな――と暁はそう思っていた。
「マリア、頑張って話してくれてありがとな」
暁が笑顔でそう言うと、
「ううん。先生だったから、ここまで話せた。ありがとう」
マリアは嬉しそうな顔でそう言った。
「そう言ってくれて、俺も嬉しいよ」
そして暁たちはお互いの顔を見て、微笑んだ。
「そうだ! せっかく来たんだから、お茶でも飲んでいくか? 食堂ほどじゃないけど、ここにもちょっとだけ飲み物があるから」
暁はそう言って立ち上がり、自室の方へ身体を向けた。
「ありがとう、先生。じゃあ私も手伝う。相談乗ってもらったから――あっ」
暁を手伝おうと立ち上がったマリアは、足がもつれ体勢を崩す。
そして咄嗟に暁は転びそうになるマリアを自分の胸で受け止めた。
「だ、大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう、先生」
暁がほっと胸を撫で下ろしていると、廊下側から唐突に大きい物音が響く。
その音に驚いた暁が音のした方へ視線を向けると、職員室の扉の前で物凄い形相をしながら佇むキリヤの姿があったのだった。
暁ははっとして、自分の胸に顔を埋めているマリアに視線を向ける。
これはとんでもなく、最悪のタイミングだ――
暁はそう思いながら、冷や汗をかいたのだった。
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