第37話ー② 道化師が仮面を外すとき
「何なの、あいつ……」
そう呟きながら凛子は廊下を歩いていた。
(本当にムカつく。なんであんなに楽しそうに笑って――)
思えば、あの食堂の前を通りかかった時からこの感情は生まれたのかもしれない――。
「私はやりたくないことを我慢して続けているのに……何にも知らない馬鹿って本当にムカつく」
それから自室に着いた凛子は扉の前で座り込み、顔を伏せた。
私だって、本当は――。
そう思いながら、昔のことを思い出す凛子。
凛子はかつて天才子役として一世を風靡したが、年を取るごとに子役としての仕事は減っていった。
「凛子ちゃん、ごめんね。今回もCMの件はダメだった」
「そう、ですか……」
「そういえば、また新しい天才子役って言われている子が出てきたみたいでね」
「なるほど。それで私は用済みだってことなんですね」
凛子はその時に、子役は子供らしさが残っているうちが旬なんだ――と悟ったのだった。
それから小学6年生になった凛子は幼さがなくなり、大人の女性になりつつあった。そしてそんなある日、凛子は事務所の社長に呼び出される。
「最近の女優はアイドル活動をしてから、人気を博して活躍する傾向にある。だから凛子もアイドルをやりなさい。このままじゃ、君はこの世界から消えるよ?」
凛子は社長の言った『この世界から消える』という言葉に、恐怖を覚えた。
――このままじゃ、私は役者をやれなくなる。
そして凛子は、この世界に残るためにアイドルとして再デビューすることとなった。もともと知名度のあった凛子はすぐにファンが付き、所属しているアイドルユニットのセンターとなった。
「知立凛子です☆ みんな、りんりんって呼んでね!!」
「「うおおおおおおお!!! りんりいいいいん!!!」」
「じゃあ、みんないっくよー!!」
小さなライブハウスでメンバーよりも少ないファンを相手に歌って踊る凛子と同じユニットのアイドル達。そして楽しそうにリズムに乗るファンと会場の後ろで腕を組んで立っているファンたち。
「何あれ……やる気ないなら、そこ変われよな」
「センターはあやちゃんが良かったのにな」
嫌々アイドル活動をしていた凛子は、歌もダンスもとても上手いとは言えない出来で、昔からユニットを推しているファンたちには歓迎されていなかった。
(つまんなそうにするなら見なきゃいいのに。私がセンターで気に入らないのはわかるけどさ――)
凛子は自分がその知名度のないアイドルユニットの話題をつくるためのマスコットでしかないことを理解していた。
『なんであいつがセンターなの?』『ただの子役崩れのくせに……』
そして凛子は、自分がSNSでそんな言葉を向けられていることも知っていた。
「私だって、こんなことやりたくないのに……」
凛子はスマホの画面を見てそう呟いてから、唇を噛みしめた。
それから凛子はSNSで裏のアカウントをつくり、日々の鬱憤をその場所で晴らすようになる。
『ドルオタ、キモイ……』『目も合わせたくないし、触られたくもない』
初めはファンに対しての愚痴ばかりだったそのSNSも少しずつメンバーへの不満も漏らすようになっていた。
『嫉妬で八つ当たりとか、ほんとにありえないし』『そもそもお前みたいなブスがアイドルやるのが間違いなんだって』
凛子自身もこんなことをしたって自分が役者に戻れるわけじゃないことくらいわかっているつもりだった。本当はちゃんとアイドルを頑張って、もっと大勢のファンがつけば、また役者ができることも……。
でもどうしても『アイドル』というものをやりたくない。全国には、アイドルになりたくても慣れない女の子が数えきれないほどいることくらいは知っている。だから本来、私は感謝すべきことのはずなのに――。
「私は役者……。アイドルになんて染まらない」
そう言って、凛子は頑なにアイドルでいることを拒んでいた。
それからしばらくして、凛子は『
「知立さん、あなたはS級能力者です」
検査員にそう言われた凛子は、「そうですか」と淡々と答える。
「驚かれないんですね。それにS級になったという事は、普通に生活することはおろか、アイドル活動も……」
「別にいいです。それでいつから専用の施設に行けばいいんですか」
凛子のその淡々とした様子に、周囲は困惑していた。しかし凛子は自分がアイドル活動から解放されると、ほっとしているのだった。
――そして4月。凛子はS級クラス専用の保護施設へとやってきた。
これで私は解放される。役者ではいられないけれど、アイドルでいなくてもいいんだ――。
そして『アイドル』から解放された凛子は、この施設で楽しくて平凡な日々を暮らそうと思っていた。でも――
「あのへっぽこギタリストのせいだ……」
凛子はしおんの楽しそうな姿をみて、すごく胸がモヤモヤとしていた。
初めて会った時は、ただ遊び半分でからかってやろうと意地悪なことを言ってみたりしていた凛子。しかし次第に夢に向かって楽しそうにしているしおんに対してイライラが募っていた。
好きなことをまっすぐな感情で楽しんでいて、プロになるとか意気揚々と語って……。あの業界の闇なんて何も知らないくせに――。
そう思うたびに、自分の中にモヤモヤとした感情が渦巻くことを知る凛子。
「純粋な気持ちでやっていけるほど、あの世界は甘くない。そんなことも知らずに……」
(でも初めは私も何も知らずにただ楽しんでいたのかもしれない。ただ芝居が好きって気持ちだけであの世界にいたはずなんだけどな)
でもそんな感情は無意味なもの。自分がどれだけ芝居を愛しても業界の人の目に留まらなければ、自分という存在は薄れていく。嫌なことでもやらなくちゃ、生き残れない――。
凛子はそんな現実を見てきた。
あんなへっぽこにあの世界が耐えられるはずもない。その世界を知り、絶望して音楽を辞めてしまうくらいなら、初めから知らない方がいいんだ――。
そう思った凛子ははっとした。
「私、あいつのこと……」
役者を始めたばかりで、まだ何も知らなかったころの過去の自分と何も知らずに夢を追うしおんの姿を重ねていたことに気が付く凛子。
「昔の私もあんな感じだったのかな」
まだ夢を追えることへの妬みと、現実を知った時に腐ってしまうのではないかという不安。それがこの感情の正体――。
そして凛子は深いため息をつき、そこで座り込んだまま過ごしたのだった。
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