第35話ー⑤ 七夕

 授業を終えた暁は、職員室で報告書をまとめていた。


 今日も今日とて平和な一日で、たまにしおんと凛子が喧嘩をするものの、今のところ生徒たちに大きな問題はなかった。


 しかし暁に唯一の気がかりがあるといえば、織姫のことだった。


 いつも一人で過ごしている様子の織姫。暁には織姫が時折、淋しそうな表情をしているようにも見えていた。


(中学生だとはいえ、やはり親元を離れて暮らすというのは、淋しいものなんだろうな……)


「今日はこれくらいでいいか。送信っと――」


 報告書を送ったのと同時くらいのタイミングで、暁のスマホが振動する。


「ん? 奏多からか」


 そして暁はその着信に応じた。


「どうした、奏多?」

『こんにちは、先生。元気にしていますか?』


 奏多はいつものように優しい声で、暁にそう言った。


「ああ。元気にしていたよ。でも奏多の声を聞いたら、もっと元気になった!」

『まあ嬉しいことを言ってくれますね。ありがとうございます。私も先生の声が聞けて、とても幸せになりましたよ』

「そうか! それは嬉しいよ」


 暁はそう言って照れながら、人差し指で右の頬をかいた。


『ふふふ。それで今日の本題なんですが』


 奏多は話を本題に移す。


「おう、どうした?」

『7月7日は何の日かご存じですか?』

「七夕、だな」

『ええ。そしてその日は織姫の誕生日なんですよ』

「織姫の誕生日か……」


 暁は、奏多の言葉に頷く。


 確かに織姫っていうくらいだ。七夕に生まれたから、そう名付けられたのだろう――。


 暁はそんなことを思いながら、『うん、うん』と一人頷いた。


『実はその日に、私から織姫に何かをしてあげたくて……そのことでのご相談なんですよ』


 それはきっと奏多なりの織姫への優しさなんだろうな。大事に思うからこそ、相手に何かをしてあげたい。そう思えるのは、とても素晴らしいことだ。これを無償の愛情というのだろうと暁は奏多の話を聞いてそう思っていた。


(このことを聞いた織姫はきっと喜ぶだろうな――)


 そんなことを思って、微笑む暁。


「なるほど…。わかった、俺にできることは何でもやってやるぞ! 他でもない奏多の頼みなんだからな!」

『ふふふ。ありがたいです。では、一応、私の方である程度の段取りが決まっているので、今から順を追ってお伝えしますね』


 そして奏多は、織姫の誕生日に織姫の為の曲を送るという企画を考えていることを暁に伝えた。


「それはすごく素敵じゃないか! 織姫もきっと喜ぶと思うぞ」

『そうでしょうか。そうだと、嬉しいですね』


 その声から、嬉しそうな顔をしている奏多の顔が目に浮かぶ。


「それで俺はどうすれば……?」

『動画を撮って先生にお送りするので、その動画を7月7日に織姫にみせて上げてほしいのです』

「なるほど……」


 暁は奏多からのそのお願いを少し詰まりながら答えた。


 そして暁の反応を声で察した奏多は、


『その反応からすると、まだ関係は改善されていないご様子ですね』


 困ったように言った。


「不甲斐なくて、すまない……」

『いいえ、先生が謝るようなことではないです。……今回のことで、二人の関係が少しでも改善されるといいですが』


 せっかく奏多が提案してくれた企画だ。俺の都合でこの提案を変えさせるわけにはいかない。だから、今回の俺は俺にできることを今以上に頑張る――。


 暁はそう覚悟を決めると、奏多に答える。



「俺も頑張るよ。織姫と仲良くなりたいからさ」


『そう言っていただけると、私も嬉しいです。あの子は少し特殊な家庭に育ってきたので……』


「特殊な家庭? 織姫に一体、何があったんだ?」


『後継者問題だと私は聞いています。本星崎家は織姫しか実子がおらず、後継者問題でいろいろと噂があったようですね。もちろんただの噂なので、全くのデマという事もありますが……。そして両親との関係も良好とは言えなくて、織姫は家族関係でかなり我慢をしていたとか……』


「そう、だったのか」



 奏多の言葉を聞き、俯きながらそう呟く暁。


(良い家柄というのも大変なんだろうな。跡取り問題なんて、貧乏な俺の家庭じゃ、あり得ない話だったから)


 裕福な家庭だから幸せというわけでもなく、貧乏だから不幸というわけでもない。それぞれ人間が、それぞれの理由で人生に悩みがあるという事。そしてそれは織姫にも言えることだったわけだ――と暁は悲痛な面持ちでそう思った。


『結局、何が真実かはわかりませんが、私が弟から聞いたのはこれくらいですね』

「……そうなのか。奏多の弟がな。……ん? 奏多に弟なんていたのか?」


 暁は『弟』という聞きなれないワードに、首傾げた。


『ええ、おりましたよ。年が5つ離れた弟です。織姫とも同級生ですしね』

「へえ。そうだったのか」


 今まで奏多の口から弟の話が出てこなかったため、まさか姉弟がいたなんてと暁は少し驚いていた。


 でも少し考えればわかることだった。もし弟がいなければ、きっと奏多が神宮寺家の後継ぎになり、俺との交際なんて許してもらえないどころか、バイオリンの為の留学だってできなかっただろう。そう思うと、弟君の存在には感謝だな――。


 暁はそう思いながら、一人で納得するように「うん。うん」と頷いた。


『弟のことはともかく……七夕の件はよろしくお願いいたしますね、先生?』

「おう。任せておけ! 必ず織姫に奏多の想い届けるよ!」

『頼りにしていますよ。それでは、私はこれで。先生、おやすみなさい』

「おやすみ、奏多」


 そう言ってから暁は電話を切った。


 ちなみにおやすみといっても、まだ夕方の5時だから正直寝る時間には早い。きっと奏多はただお別れのおやすみを言ってみたかったというところなんだろう――。


「なんか嬉しいな」


 そう言いながらにやつく暁。


「って今はニヤニヤしてる場合じゃないだろう、俺!」


 今の暁は七夕の日に、どうやって織姫に動画を見せるのかを考えなくてはならなかった。このままの関係では、きっと奏多の企画を成功させることは難しい。成功させるために何としても織姫と二人で話すきっかけを作る……。それが今自分のやることだと暁は決心するのだった。


「まだ時間はある。それまでに、いい方法を見つけるんだ!」


 きっと奏多の動画を見た織姫は幸せになれるはずだ。幸せな顔をした織姫を見て見たい。だからどんな手を使っても、必ずこの依頼を成功させるんだ――


 暁はそう意気込むと、


「よし!」


 両手で頬を叩き、己を鼓舞するのだった。

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