第30話ー⑥ それは幸せな物語

 神宮寺家に来てから数時間後。


 暁はふと窓の方を見ると、そこから見えている空が薄暗くなり始めていることを知った。それから今度は時計に目を向けると、その針が『17時』を差していることに気が付く暁。


「もうこんな時間か……そろそろ帰るよ」


 暁がそう言って立ち上がると、


「では、施設までお送り致しますね。もちろん私もご一緒に」


 奏多は立ち上がりながらそう言った。


「え、でも……それじゃ、奏多が」

「うふふ。いいんです。だって少しでも長く、先生と一緒にいたいんですから」


 そう言って微笑む奏多。


 そんな奏多の想いが嬉しくて、暁は思わず笑みがこぼれていた。


「そうか。ありがとう、奏多。嬉しいよ」


 それから暁たちは部屋を出て、玄関へと向かった。


 そして部屋を出てしばらく廊下を歩いていると、


「三谷さん! もう帰りですか?」


 暁の後ろから大きな声で誰かがそう言った。


 そして暁はその声に振り返ると、奏多によく似た女性が柔らかな笑顔で自分を見ていることを知ったのだった。


「あの、えっと――」

「お母様! 帰っていらしたのですか?」

「お、お母様!?」


 少し似ているとは思ったけど、まさか奏多のお母さんだったなんて……失礼のないようにしないと――


 そんなことを思い、暁は奏多の母の方を向いた。


「今日は早めに仕事が終わったのよ」

「そう、でしたか」


 元気がない声でそう言った奏多の方をちらりと見つめる暁。すると奏多のその横顔は少しだけ、不安そうな顔をしていた。


 奏多は両親と良好な関係を築いていると思っていたけど、もしかして違うのか――


 そんなことを思いつつ、暁はそんな奏多の横顔を見ていた。


「奏多。三谷さんを連れてくるなら、連れてくるって前もって言ってちょうだいよ。何かご用意したのに!」


 頬を膨らませ、ぷんすか怒りながら奏多の母は奏多へそう言った。そして奏多の母は暁に視線を向けると、


「――ごめんなさいね、何もおもてなしができなくて」


 申し訳なさそうな顔で暁にそう告げる。


「い、いえ! 自分もお母さんがご帰宅されていたのに、ご挨拶もなくてすみませんでした」


 暁がそう言って頭を下げると、


「うふふ。いいのよ、そんなこと。またわが家へいらしたときは、奏多との思い出話をゆっくりと聞かせてくださいね。もちろんその時はお父さんも一緒に」


 楽しそうにそう言う奏多の母。そして、


「ちょ……もう、お母様!!」


 奏多は顔を真っ赤にしながらそう言った。


「ああ、そういうことか」


 奏多が不安な顔をしたのは、お母さんのいたずらを危惧してのことだったという事なんだな――


 そう思いながら、ほっと胸を撫でおろす暁。そして奏多のたまに意地悪なところは、お母さん譲りなんだという事を知ったのであった。


「これ以上意地悪をすると、本当に奏多から嫌われてしまいそうなので、私はこの辺で。それでは、三谷さん。お気をつけてお帰り下さいね」


 そう言ってニコッと微笑み、奏多の母はその場を後にした。


「すみません、先生。お母様が勝手なことを……」


 奏多はそう言って、申し訳なさそうな表情をしていた。


「謝ることなんてないさ。でも、すごく素敵なお母さんなんだな」


 暁が笑顔でそう言うと、


「ええ。たまに意地悪な時はありますが、優しくて頭が良くて。そしてかっこいい自慢のお母様です」


 奏多は誇らしげにそう言った。


 そんな奏多を見て、暁は心が温かくなるのを感じていた。家族の絆は素敵だな――と。


「じゃあ施設に向かいましょうか。あまり遅くなるとよろしくないですよね」

「そうだな。急ごう!」


 そして暁たちは車に乗り込み、施設に向かって走りだしたのだった。




 ――車内にて。


「もうクリスマスなんだな……」


 車の窓からクリスマスカラーのイルミネーションを見て、暁はそんなことを呟いた。


「ええ。とても綺麗ですね」


 奏多はそう言って目を輝かせながら、そのイルミネーションを見ていた。


 それから暁はそんな奏多を見て、


「夜の街も歩いてみたかったな」


 後ろ髪を引かれる思いでそう言った。すると奏多は暁の方を向き、


「そうですね。でもそれはまた今度にしましょう。来年でも再来年でもまだいくらでもチャンスはありますから」


 そう笑顔で答えた。


 奏多がそう言ってくれることはとても嬉しく思う。でも奏多は俺よりも若いし、きっとこれからまだ素敵な出会いがある可能性だって――


 そんなことを思い、少しだけ俯く暁。


「でも奏多の気が変わって、来年からはもう一緒に過ごせないってこともあるかもしれないだろう?」


 暁はそんな不安をふと口にしていた。すると奏多は顎に指を添えて、


「そうですね。来年の今日がどうなっているかなんて、誰にもわからないことですものね。もしかしたら先生の気が変わっていて、来年は一緒に過ごせない可能性だってありますよ?」


 考えるしぐさをしながらそう言った。


「そんなことは絶対にない! 俺は来年も奏多と過ごしたいって思ってる。もちろん再来年もその先もずっと……」


 って俺、奏多に何を言っているんだよ――!


 暁は自分で言った言葉に恥ずかしくなり、顔が赤くなっていた。


「ふふふ。私も同じ思いですよ、先生」


 そう言って、暁に肩を寄せる奏多。


「……」

「……」


 そして暁たちの間には、沈黙の時間が流れていた。


 この時、暁の心臓は大きく波打っており、その音が奏多に聞えているのではないか――と暁は不安に思っていた。


 このまま奏多とずっと一緒にいられたらって、俺は本気でそう思って――


 そんな想いを奏多へ抱く暁。そして暁はゆっくりと息を吸い、


「――奏多、好きだよ」


 と躊躇うことなくそう言った。


 それは暁が奏多へいつかちゃんと口にすると決めていた言葉だった。


 その言葉を聞いた奏多はくすっと笑い、


「……私もです」


 そう言いながら暁の方を向いて、自身の手をそっと暁の手に重ねた。


 それから自分より冷たい奏多の手の感触が伝わった暁は、胸の鼓動がさらに高鳴っていることを知る。


 ――さすがにこの鼓動は聞こえていない、よな!?


 そんなことを思いつつ、暁は近くにいる奏多にドキドキして何も言葉を発することができずにいた。


 俺の想い、ちゃんと奏多に伝わったのか――?


 そう思った暁は奏多の方をちらりと見ると、奏多が微笑んでいるのが見えた。


 よかった。ちゃんと伝わったんだな――


 暁はそう思いながら、ほっと胸を撫でおろした。


 それからも暁たちは言葉を交わさず、2人だけの静かな時間を過ごしたのだった。




 ――数分後。暁たちを乗せた車は目的地である保護施設に到着した。


「着いたみたいだな」

「ええ」


 そう言ったまま動かない奏多。


 このまま俺から離れるっていうのも心苦しいけど、このままじゃ奏多も帰れないだろうし――


「じゃ、じゃあ……またな」


 そう言って暁は車を降りようと扉を開け、少しだけ身体を外に出した時、「先生!」と奏多から急に呼ばれた。


 そして暁がその声に振り返ると、暁の目の前には奏多の顔があった。


 これが、ファーストキスか――!?


 暁がそんなことを思っているうちに奏多は暁から離れて、


「じゃあまた明日」


 と顔を真っ赤にしながらそう言った。


「あ、ああ」


 そして暁はそう言って呆然としながら車を降りると、奏多を乗せた車は走り去っていった。


 それから暁はぼーっとその場に立ち尽くす。


 あ、あれ? 俺、もしかして奏多と――!?


 そして先ほどの現実をじわじわと実感する暁。


「うわあああ!」


 暁はそう叫びながら、エントランスゲートの前で悶絶していた。


 それからしばらくして、少しだけ落ち着きを取り戻した暁はエントランスゲートを潜って建物の中に戻ったのだった。

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