第30話ー⑦ それは幸せな物語

 暁は少し遅めの夕食を摂るために食堂へ来ていた。


「さすがにもう、食べ終わっているよな」


 暁は誰もいない食堂を見て、生徒たちがもう夕食を済ませたことを悟った。


「何かあるかな……」


 そう言いながら奥のキッチンスペースに行くと、暁はラップのしてある夕食の残りを見つけた。そしてそこには『先生の分』と書かれた紙が貼られていた。


 俺のために誰かが夕飯の取り置きをしてくれていたんだな――


 そんなことを思いながら、そこにある皿を手に取る。


「ありがたいな……」


 それから暁は食材を温めて、遅めの夕食を摂った。


「そういえば、あのカフェで食べたから揚げ――おいしかったなあ」


 暁がそんなことを呟きながら夕飯を食べていると、そこへ真一がやってくる。


「お、真一。どうした?」

「何か飲み物はないかと思って」

「そうか」


 それから真一は冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターを取り出し、食堂の出口へと向かって歩いていた。そして食堂を出る前に足をピタッと止めた真一は暁の方を向く。


「ん? どうした??」

「そういえば、明日は奏多の演奏会があるんでしょ」

「え……」


 真一の言葉に驚いた暁は、持っていた箸を落とす。


 そういうことには無関心だと思っていた真一が、まさか俺にそんな話をするなんて――

 

 そして今の自分はたいそう間の抜けた声だったんだろうなと思う暁だった。


「あ、ああ。でも意外だな、真一がそう言うことに興味を示すなんて」

「失礼な……。僕だって、これから世界的に有名になるバイオリニストの演奏には興味があるよ」

「そうか、そうだよな!」


 そう言われてみれば、納得だった。真一の趣味は音楽鑑賞だし、不思議なことではないことだったのかもしれない――


 そんなことを思いつつ、暁は一人頷いた。


「……というか。明日の話は誰から聞いたんだ?」


 暁は自分が奏多からさっき聞いたことをなぜ真一がもう知っているのかが気になり、そう問いかけた。


「キリヤから」


 それだけ言うと、真一は食堂を後にした。


 キリヤからってことは――


「たぶん所長が報告したんだろうな」


 そう言いながら、暁は落とした箸を拾った。


 でもなんで所長はキリヤには話して、俺には何も言ってくれなかったんだろうか――


 そう思いながら、「うーん」と唸る暁。


「まあいいか」


 それから暁は夕食を終え、自室に戻ったのだった。




 翌日――。


 暁の元へ奏多から施設到着の知らせが入った。


「もう着いたんだな……はあ」


 暁は昨夜の出来事もあって、奏多と会うことに緊張していた。


「奏多は昨日ことをどう思っているのかな……」


 そんなことを呟きながら、暁はいつものようにエントランスゲートへ奏多を迎えに行った。


 そして暁がゲートに着くと、そこには奏多がバイオリンケースとキャリーバッグを持ったままそこで待つ奏多の姿があった。


「おはよう、奏多。バッグは俺が持つよ」


 暁はそう言って奏多にゲストパスを渡し、それから奏多が持っていたキャリーバッグを受け取った。


「ありがとうございます、先生」


 奏多はそう言っていつもと変わらない笑顔を暁に向けた。


 昨日の心配は、どうやら俺の取り越し苦労だったみたいだな――


 暁はそう思いつつ、ほっと胸を撫でおろした。


「じゃあ行こうか」

「はい!」


 それから暁は奏多と共に職員室へ向かった。


 そして奏多が持ってきた荷物を職員室の端の方に置いてから、今日の段取りを暁と奏多とで確認することになった。


「このタイミングで登場して、ここの照明を――」

「うふふ。なんだか懐かしいですね」


 奏多は暁の顔を見て、そう言いながら笑っていた。


「……確かに。こんなこと前にもあったな」


 あれは初めての演奏会の準備をしたときだったな。あの時もこんな風に奏多と2人で――


 暁たちはそんな懐かしさに浸りつつ、急いで準備を進めるのだった。




 そしてコンサートの開始時刻が近づいた頃。暁は生徒たちをシアタールームへと誘導し、その間に奏多は後から到着した使用人たちと共に衣装の準備をしていた。


「とりあえず、これで生徒たちの準備はOKだな」


 奏多はどんな感じかな――


 そう思いながら暁は奏多の待つ職員室へ向かう。


 そして職員室に到着した暁は、


「奏多、生徒たちの誘導終わったぞー」


 そう言いながら職員室に入った。すると、そこにはきれいにドレスアップされた奏多の姿あった。


「あ――」

「私は準備万端ですよ、先生」


 そう言って微笑む奏多。


 あれ。もしかしてここに、天使が舞い降りたのか――?


 自分の目の前で微笑む奏多が、純白のドレスを纏う天使のように見えていた暁。


 そして暁は、そんな奏多に見とれたまま、何の言葉も発することができなかった。


「あああ……」

「先生、どうですか? このドレス!」


 そんな奏多の言葉で我に返った暁は、


「…………すごく似合ってる!」


 素直に思ったことを奏多に告げた。


「うふ、よかった。――結婚式の時はもっと素敵なドレスの予定ですけどね!」

「け、結婚式!?」


 動揺する暁に奏多は意地悪な顔をして、


「ええ、もちろん先生とのですよ?」


 と暁の顔を覗き込みながらそう言った。


「か、からかってないで、行くぞ!」


 暁は染めた頬を奏多に見られないよう、先に一人で職員室を出た。


「ふふ」


 そしてそのあとを追うように奏多も職員室を出たのだった。




 シアタールームには施設にいる生徒たちが集まっていた。


「楽しみでござるな!」

「うん。久しぶりに奏多の演奏が聴けるのは、すごく楽しみ」


 結衣とマリアはそんな会話をしながら、他の生徒と同様にコンサートの開始を待っていた。


 そして急に照明が暗くなり、再び明るくなった時に奏多がステージ上に姿を現す。


 暁はそのタイミングで後ろの扉からこっそりとシアタールームに入り、近くの席に腰を下ろした。


「皆さん、今日は神宮寺奏多のクリスマスコンサートへようこそ! ぜひ、最後まで楽しんでいってください」


 そう言って、一礼する奏多。


 そして生徒たちは奏多に拍手を贈る。


 奏多が顔を上げるとその拍手が鳴りやみ、奏多は手に持っているバイオリンを構えて自分の音を奏で始める。


 その音色は以前と変わらずに美しく、とても優雅だった。そして以前よりも洗練されたその音色に一同は聴き入っていた。


 ステージに立ち、自分の音を奏でる奏多はとても楽しそうで幸せな表情をしていた。そんな奏多の姿を見て、聴いている暁も幸せな気持ちになり笑顔になっていた。


 やっぱり奏多の音は人の心を癒し、幸せにする力をもっている――と暁はこの日、改めてそう思った。


 そして暁は奏多の演奏を聴きながら、本当は人前で演奏をしたいことを告白してきたときの奏多のことを思い出す。


 あれから1年半くらい経ち、奏多は異国の地で大好きなバイオリンに向き合い、成長を続けている。

 奏多は俺にとっての最愛の人だけれど、俺の心の着火剤でもあるのかもしれない――。


 奏多の成長を見て、俺ももっと頑張ろう。成長してやるんだ――とそう思う暁だった。


 そして演奏を終えた奏多に大きな拍手が送られた。奏多はそれに笑顔で返した後、頭を下げたのだった。

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