第30話ー③ それは幸せな物語

 生徒たちに一通り挨拶を済ませた奏多は、暁と共に暁の自室に来ていた。


「この後はどうします? どこかへ出かけますか?」


 椅子に腰を掛けている奏多は、暁の方を見て楽しそうにそう言った。


「いや、今日はゆっくりしよう。奏多も旅の疲れがあるだろうし。明日は朝から出かけられたらなと思って」

「お気遣いありがとうございます、先生」


 奏多はそう言って微笑んだ。


 そんな優しい奏多の笑顔を見て、ドキッとする暁。そしてその想いを隠すように暁は奏多から顔を背けた。


「先生?」


 奏多はそう言いながら、暁の顔を覗き込む。


「!?」


 奏多の顔が目の前にっ! でも、これはいつものことのはず……なんだけど――


「あー、いや……なんか。なんだろうな! ははは……」


 そう言いながら、暁は頬を掻いた。


「ふふふ。そんなに緊張しなくてもいいのに! もしかして、きれいになった私にドキドキしてしまいました?」


 いたずらな笑顔でそう言う奏多。


「そ、そんなこと!! ……あるかもしれない、けど」


 暁は奏多に言い返そうとしつつも、確かに奏多の言う通りだなと素直に認めてしまったのだった。


「うふふ。そうですか」


 そう言いながら、楽しそうに笑う奏多。


 いや、すっごく可愛いんだけど――!


 奏多の笑顔を見ながら、暁は心の中でそう叫ぶ。


「あ、あまりからかわないでくれよ!!」

「すみません。先生と久しぶりに会えるのが嬉しくて、つい」


 奏多からそう思ってもらえるのは本当に嬉しいなと思う。いたずらに冷や冷やさせられることもあるけれど、でも俺は――


「そんな奏多のことも好きだけどな」

「――嬉しいこと言ってくれますね、先生。ありがとうございます!」


 頬を赤く染めながら、そう答える奏多。


 奏多も俺と同じ気持ちでいてくれたのなら、嬉しいな――


 そんなことを思いつつ、奏多と会話を続ける暁だった。




 ――数時間後。


 暁たちは随分長いこと話し込んでいたようで、気が付くと空はあかね色に染まっていた。


「わっ。もうこんな時間か……」


 暁は部屋の時計を見ながら、そう呟いた。


「なんだか楽しい時間はあっという間ですね」


 少し残念そうな顔で答える奏多。


「そうだな……。奏多はいつまでこっちにいるんだ?」


 暁がそう問いかけると奏多は顎に指を添えて、


「年越しはこっちでする予定なので、2週間くらいですかね」


 と頭を傾けながら答えた。


「そうか」

「できるだけこちらに顔を出すようにします。だって先生やみんなに会いたいですから」


 そう言ってから微笑む奏多。


「おう。ありがとうな、奏多。俺も奏多ともっと一緒にいたいと思っているよ」

「うふ。ありがとうございます、先生」


 それから暁は奏多をエントランスゲートまで送って行く。


「では、また明日。おやすみなさい、先生!」


 そう言って奏多は迎えの車に乗り込み、自宅へと帰っていった。


 明日も奏多とは会えるはずなのに、暁は奏多と別れたゲートを見ながらさみしさを感じていた。


「はあ。戻って、から揚げでも食べよう」


 そして暁は夕食を摂るために食堂へ向かった。




 ――食堂にて。


 暁が食堂に着くと、そこでは生徒たちが楽しそうに夕食を摂っていた。


 そして暁の存在に気が付いたマリアは、


「奏多、もう帰っちゃった?」


 そう言いながら暁の前まで来て、さみしそうな顔をしていた。


「ああ。でもまだ日本にいるみたいだし、また来るって言っていたよ」


 暁がそう言うと、マリアの顔は明るくなり、


「そっか。じゃあ今度は女子会したいよね、結衣!」


 後ろで食事を摂っていた結衣にそう告げる。


「ええ、そうですね! 今回は先生に独り占めされてしまいましたからね!」

「独り占めって――!」


 まあ間違ってはいないけど――


 そんなことを思いつつ、暁は苦笑いをした。


 それから暁が食堂の中を眺めていると、生徒たちの会話の内容は奏多のことばかりだった。


 きっとみんなも奏多に会えて嬉しかったんだろうな。長年一緒に過ごしていると、やはり血のつながりはなくても家族のように思えるのかもしれない――


「そろそろ俺もみんなとメシにするか!!」


 それから暁は生徒たちに混ざり、夕食を摂り始めたのだった。


 そして食事の終盤。暁はカウンターに並ぶ豆乳プリンを見つける。


「お、今日は豆乳プリンの日だったのか」


 そう言ってから暁は立ち上がり、カウンターに並ぶ豆乳プリンを1つだけ取って着席した。


 確か奏多は、豆乳プリンが大好物だったんだよな――


 そんなことを思いつつ、暁は久々に食べる豆乳プリンの味を堪能するのだった。



 ***



「キリヤ君、ちょっと?」


 夕食を終えて自室に戻ろうとしたキリヤを、優香がそう言って呼び止めた。


「何? どうかしたの?」


 キリヤは優香のそばに行ってそう答える。


「別に何かあったわけじゃないけど、ちょっと散歩しようよ」


 優香がそんなことを言うなんて、なんだか珍しいな――


「う、うん。いいよ」


 それからキリヤと優香は、建物の外をぶらぶらと歩くことにした。


 キリヤは優香と外を歩きながら、なぜ優香は自分をこの散歩に誘ったのかを考えていた。


 何か悩み事でもあるのかな。もしかして勉強がしんどい、とか――?


 しかしどれだけ考えても、キリヤは優香の考えがわからなかった。


「やっぱり寒いね。もうすぐ新年か……」


 そんなこと言いながら、キリヤの隣を歩く優香。


「え、うん。そうだね。でもその前にクリスマスもあるよ」

「そうだったね。クリスマス、新年を迎えたらもうすぐ卒業、だね……」

「うん」


 それから無言になる優香。


 やっぱり勉強のことで悩んでいるんじゃ――


「ねえ、勉強はどう? 捗ってる?」


 キリヤが優香の顔を見ながらそう尋ねると、


「このままいけば、1月の中旬にはキリヤ君に追いつくかな!」


 優香はキリヤの方を向き、ニコッと笑いながらそう答えた。


「さすがだね。じゃあ今度は、僕が優香から勉強を教わらないとだ」


 キリヤは笑いながら、優香にそう言った。


「仕方ないなあ! 優等生の私が直々に教えてあげる!」


 優香は上を向きながら自慢げにそう言った。


「よろしくお願いします」


 優香とそんな会話をしつつ、食堂でもできるような世間話をわざわざこんな寒い夜に建物の外でするのはおかしい――と思うキリヤ。


 もしかして、優香の身に何かあったんじゃ……でも、それって一体何なんだろう――


 そんな疑問がキリヤの頭の中をぐるぐると駆け巡った。しかし結局キリヤは自分で答えが出せず、散歩の理由を直接優香に尋ねることにしたのだった。


「……ねえ、優香。何があったの? こんな真冬の夜に散歩へ誘うなんてさ」


 キリヤは優香の顔をまっすぐに見てそう問いかける。


「別になんてことはないんだよ。ただ、久しぶりに神宮寺さんにあったキリヤ君はどう思ったのかなって気になっただけ」


 そう言って寂しそうな表情をする優香。


「どう思ったか……」


 優香の問いに、キリヤは顎に手を当てて考える。


 久々に会った奏多に……僕は再会の喜びを感じていたんだと思う。離れ離れになっていた家族とまた会えたっていうそんな感情みたいな――


 しかしキリヤは優香がなぜそんなことを気にするのかわからなかった。


 思い当たる節と言えば――


「……もしかして優香は、僕がまだ奏多のことを好きだと思っているの?」

「うぅ……」


 優香の反応を見て、それが図星と確信するキリヤ。


 だけど僕、奏多が好きだった話なんて優香にしてたっけ? ……まあ今はそんなことはどうでもいいか――


 以前のキリヤは確かに奏多に対して好意を抱いていた。しかし、キリヤの恋はあの時(9か月前)、あの場所(屋上)で終わりを迎えている。


 今のキリヤにとって、奏多は好意を抱いている女性ではなく、家族や仲間という存在になっていたのだった。


「奏多は僕たちの大切な家族だ。だからそれ以上の感情はないよ」


 僕は優香に笑顔でそう答えた。


「そう」


 そう言って、ホッとした様子をする優香。


「でもなんでそんなこと、聞くの? ――あ! もしかして僕が、優香を置いて奏多のところに行っちゃうと思ったから?」

「そうなんだけど、そうじゃない!」


 そう言って、そっぽを向く優香。


「僕にとって優香も大切な家族であることに変わりはないよ。だから絶対に一人でさみしい想いはさせない。ずっとそばにいるって約束したしね!」

「ありがとう……でも、そうだよね」


 そう言って、落ち込む優香。


 僕って今、優香に落ち込むようなことを言ったかな――?


「優香、どうしたの?」


 キリヤはそう言いながら優香の顔を覗き込むと、


「だから、そういうところだよ!!」


 優香は怒りながらそう答えた。


「え、どういうこと?!」


 優香のその態度にキリヤは首をかしげつつ、そのまま散歩を続けた。


 それから数十分間、キリヤたちは冬の星空の下を散歩してからそれぞれの自室に戻って行った。


 こんな何気ない日々を送れる今が、僕にとってとても大事な時間なんだな――と帰り道に優香の横顔を見て、そう思ったキリヤだった。

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