第26話ー④ 未来へ進む路

 ゆめかと別れ所長室の前に到着した暁は、その扉をノックする。


 それから「どうぞ」と言う所長の声を聞いた暁は、その扉を開け、部屋に入った。


「お疲れ様です、所長」

「うん、お疲れ様。よく来たね、暁君」


 部屋の中央にあるソファに座る所長は、そう言って微笑んだ。


「今日はどうしたんですか、所長?」


 暁が首を傾げてそう問うと、


「まあそこに座りなさい」


 と所長は自分の正面に座るよう暁にそう言った。


 そして暁は所長に言われるがまま、ソファに腰を掛ける。


「そういえば、いいコーヒーが入ったんだ。君も飲むだろう?」

「は、はあ。では、いただきます」


 暁がそう返すと、所長は楽しそうに部屋の奥にある給湯室へ向かって、コーヒーの準備を始めた。


 そんな所長の様子を窺いながら、暁はくすっと笑う。


 相変わらずコーヒーのこととなると幸せそうだな、所長は――


 そんなことを思いながら、暁は所長が給湯室から出て来るのを待ったのだった。


 ――数分後。


「さあ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 所長から差し出されたそのコーヒーの香ばしい香りを嗅いだ暁は、いつも自分が飲んでいる通販で大量購入した安価のドリップコーヒーよりも確実に良質なものとわかった。


 でも所長はなぜ、こんないいものをわざわざ用意して待っていたのだろうか――


 そう思いながら、暁はカップに入ったその良質であろうコーヒーを見つめた。


 そしてはっとした暁は、


 もしかして優香の飛び級の件のことを考え直してくれとでもいうつもりなんじゃ? じゃあ、もしかして……このコーヒーは承諾させるための人参か――?


 そんなことを悶々と考えていた。


「ん? どうしたんだい? 飲まないのかい?」


 なかなかコーヒーに手を付けない暁を見て、所長は首を傾げる。


「あはは、少し考え事を……」


 暁はばつが悪そうにそう言った。


「そうか。ああ、それと一つ言っておくと――このコーヒーに深い意味はないよ。ただ君とコーヒーを飲みたいと思っただけのことさ。だから何も気にせずに飲んでくれ」


 そう言って微笑む所長。


「は、はい」


 俺の考えが筒抜けじゃないか!? まあそんなことより……所長もああ言っていることだし、信じてみようかな――


 そう思いながら、暁はようやくコーヒーに口をつけた。


「あ、おいしいですね」


 暁が素直な感想を告げると、


「そうだろう!! これはようやく、手に入れた代物なんだ! いやあ……やっぱり普段の安物とは比べ物にならないくらい、品のいい口当たりだねぇ。香りも――本当に、素晴らしい!」


 所長は幸せそうにコーヒーについて語った。


 そんな所長を見て、普段の大人らしい一面だけじゃなく、無邪気なところもあるんだな――そう思う暁だった。


 そして暁ははっとすると、


「――そうだ。いつまでもコーヒーに浸っている場合じゃないですよ! 俺をここに呼んだ理由はなんですか!!」


 幸せそうにコーヒーを楽しんでいる所長へそう尋ねた。


「ああ、すまん、すまん!」


 所長はそう言って申し訳なさそうな顔を暁に向ける。


 それから所長は本題に入った。


「実は、先日の優香君の飛び級の件だ」


 さっきとは打って変わった真面目な顔に暁は息をのんだ。


「もしかして、やっぱり無しとかじゃないですよね?」


 暁は神妙な面持ちでそう尋ねると、


「いやいや、それはないよ! 安心してくれ」


 所長は笑いながらそう答えた。


「そうですか、よかった。それで、あの……」


 暁はほっと安心してから、じゃあ所長は、他に何を言いたいのだろう――と疑問に思っていた。


「ああ、それでな――」


 それから所長は手を組み、顎を乗せると、


「優香君の飛び級は認めるよ。だが、それには条件があるんだ」


 真面目な顔でそう言った。


「え、条件……?」


 条件って……所長は一体、何をさせようって言うんだ――?


 暁は不安に思いながら、所長の次の言葉を待った。


「そうだ。その条件だが――優香君に高校3年生レベルの学力が備わっていることが確認できたら、飛び級は認めるということだ。まあ今の彼女ならば、十分だと思うがね」


 所長はそう言って微笑んだ。


「なるほど、そう言う事でしたか……でも、それってどうやって確認するんですか?」


 暁が首を傾げながらそう言うと、


「普段の授業で使用しているタブレットがあるだろう? それで高校3年生までの範囲を卒業するまでに終わらせるんだ」


 所長は微笑んだままそう言った。


 所長は簡単にそう言うけど、でも――


「それって、かなり大変なんじゃないですか」


 暁は眉間に皺を寄せてそう言った。


 本来の2年生の範囲とプラスで3年生の範囲までなんて……。しかも残り5か月ほどで終わらせることは可能なんだろうか――


 そんな不安を抱く暁。


「そうだ。これはかなりリスクのある挑戦だ。下手をすれば、剛君のように成りかねない」


 剛の、ように――


 そしてそう思う暁の脳裏に、今も眠ったままの剛の顔がよぎる。


 キリヤたちには、自分のやりたいことをやってほしいと思っているけれど、でも無理をして、能力が暴走してしまったら――


 そう思いながら、暁は俯く。


「君の返答次第で、優香君の飛び級の話がどうなるかが決まる。さあ選んでくれ。時間はないぞ」


 所長は真剣な顔で、暁にそう告げた。


 俺は今、ここで答えを出さなければならないってことなんだな――


 そして暁はキリヤと職員室で話したことを思い出す。



『僕は先生みたいに教師にはなれなくても、違う方法で同じ境遇の子供たちを救いたいんだ!』



 あの時のキリヤは本気だった。そんなキリヤの進む路を、俺は妨げたくない――


 自分の選択が優香への負担になることを暁は察していた。しかし、暁はそれでもその選択をすることにした。キリヤと自分が優香を支え、同じ過ちを繰り返さないと誓って。


 俺は教師として、生徒たちの未来を支えるんだ――!


「俺は、優香を信じます。剛のようにならないよう、俺とキリヤで必ず彼女を支えます!!」


 暁は強い意志を持ってそう言った。


 そして所長はコーヒーを一口飲んでから所長は微笑むと、


「――そうか。では、私も精一杯の手助けはしよう。4月に2人そろって、研究所に来てくれることを楽しみにしているよ」


 嬉しそうにそう言った。


 それからカップのコーヒーを飲み干した暁は、所長室を後にした。


「これからが大変だな。よし!!」


 そして暁は施設に戻っていったのだった。




 ――S級保護施設にて。


 施設に戻った暁は早速キリヤと優香を職員室に呼び出し、飛び級の条件について話した。


「――以上が、所長から出された条件だ」


 それを聞いたキリヤは心配そうな表情を浮かべる。しかしそれとは反対にケロッとしている優香。


「優香、大丈夫そうか?」


 暁がそう尋ねると、


「ええ、もちろん問題ありません。もともとお勉強は好きですし、キリヤ君との今後が関わっているならば、なおさら気合が入ります!!」


 胸の前で両手の拳を握り、そう言って微笑む優香。


 そしてその顔を見た暁は、優香の覚悟を感じていた。


 優香はやる気みたいだな。だとしたら、俺は俺にできることをやるだけ、だな――!


 そう思いながら、小さく頷く暁。


「でも無理をしたら、剛みたいに――」


 不安な声でそう言うキリヤ。そして、


「キリヤの言う通りだ。だからそうならない為に、俺とキリヤで優香を支えるんだ。優香一人に大きな負担を背負わせないさ。3人で分担すれば、少しは楽になるだろう?」


 暁はそう言ってキリヤに微笑みかける。


「先生のおっしゃる通りです。私は一人じゃない。だって、こう言ってくれる先生やキリヤ君がいる。だから私はできるって思うんです。キリヤ君、私を信じてください! ね?」


 そう言って、優香もキリヤに微笑んだのだった。


 そして暁と優香の顔を見たキリヤは、「わかった」と小さな声で言うと、


「先生もいることだし、僕も優香を信じるよ!!」


 そう言って微笑んだ。


 微笑むキリヤを見て、キリヤの抱いていた不安の感情が解消したことを察する暁。


「これからが大変だと思うけど、頑張ろうな!」


 暁がそう言うと、キリヤと優香は声を合わせて「はい!」と答えたのだった。


 ようやく進路が決まったキリヤは、やりたいと望む方へと向かうことにしたのだった。もちろん、優香と共に――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る