第3章 毒リンゴとお姫様

第17話 いろはの憧れ

 むかしむかしあるところに、ようしはとてもうつくしいが、こころのみにくいおきさきがいました。


 おきさきはまほうのかがみをもっていて、まいにちのようにかがみにといかけます。


「かがみよかがみ。せかいでいちばんうつくしいのはだれだい?」


 おきさきはかがみがいつものように「あなたがいちばんうつくしいです」とこたえるのをまちました。


 しかしかがみは、


「はい、それはしらゆきひめです」


 とこたえたのでした。




 鏡の言葉にひどく腹を立てたお妃は猟師に白雪姫を殺すように命じる。


 そして命の危機を感じた白雪姫はお妃と暮らしていた城を出て、迷い込んだ森の中で小人たちと出会った。


 それから白雪姫は小人たちと楽しく暮らしていたけれど、突然やってきた老婆に扮したお妃から渡された毒リンゴを食べて、永遠の眠りについてしまう。


 毒リンゴを食べて眠りについた白雪姫の元に現れたのは、白馬に乗った王子様だった。


 そしてその王子のキスで白雪姫は目を覚ます。


 それから白雪姫はその王子様と結婚して、ハッピーエンド。


 これは世界で一番綺麗で、優しくて幸せなお姫様の物語。



 * * *



 とある病室。ベッドから身体を起こして絵本を広げる幼いいろはといろはの母の姿があった。


 幼いいろはが持っているのは『白雪姫』の絵本。


 いろははその絵本を見ながら、


「お母さん、アタシも白雪姫になれるかな」


 隣にいる母にそう言った。


「ええ。いろはならきっとね」


 母はそう言って優しく微笑んだ。






 初めて『白雪姫』の物語を読んだ日から、アタシはずっと『白雪姫』に憧れていた――


 世界で一番の美しさは無理だとしても、そこそこにかわいい女の子にはアタシにだってなれるって思っていたし、それにアタシは『白雪姫』に負けないくらい幸せな自信があった。


 アタシの家はお金持ちだし、お父さんからもお母さんからも愛されていることを知っていたから。


 そう思っていたけれど、結局アタシは『白雪姫』になれないままだった。


 そもそも『白雪姫』になるって何なんだろう――?


 アタシはいつしかそんなことを考えるようになっていた。



 * * *



「いろは! この服はもういいの?」


 いろはの母はリボンの付いたフリルのワンピースを持っていろはにそう言った。


「んー。いいや! それより、今はこっちの服がいい!」


 そう言っていろはは今着ているトレンドの服を母に見せびらかす。


「昔はこっちの方がかわいいって言っていたのにね。いろはも大人になったってことなのかしら? 白雪姫になりたいって言っていたころのいろはが懐かしいわね」


 やれやれと言った顔をして、母はそう言った。


「は、はあ!? もう、いつの話してんの? 白雪姫なんて――」


 そう。『白雪姫』になんて、なれるはずがない。だって、『白雪姫』は物語の中の存在なんだから――


「あはは! ごめんね。じゃあこの服はもう捨てるわよ?」

「OK!」


 それから部屋を出ようとした母は、何かを言い残したことに気が付いたのか扉の前で振り返ると、


「あ、そうそう! 午後からちょっと出かけてくるわね!」


 笑顔でそう言った。


「えー。また剣道の試合観に行くの? 何がそんなに面白いんだか」

「いいの! 今は応援したい子がいるんだから!」


 応援したいって……アイドルじゃあるまいし――


「あー、はいはい。わかった」


 いろははため息交じりに母へそう返した。


「いろはも行かない?」

「行かないよ!」


 いろはがそう言うと、母は肩を落として、


「あら、残念……。じゃあとりあえずこの洋服は処分しておくわね」


 そう言ってから部屋を出て行った。


 お気に入りの選手って何て名前だったかな……うーん。忘れちゃった――


 剣道の試合を観に行った後の母の機嫌がいいことから、相当その選手に入れ込んでいるんだなという事を察していたいろは。


 お母さんが夢中になるくらいの選手ってどんな子なんだろうな――といろははふと思う。


 まあアタシが気にしたところで、一生関わりなんて持つことのない子なんだろうけど――


 そんなことを思いつつ、いろははソファに寝転がった。


 それからいろはは、さっきの会話の中に出てきた『白雪姫』という言葉をふいに思い出す。


「白雪姫になりたい……か」


 アタシは可愛くなりたかったんだろうな。かわいい服をたくさん来て、それで毎日を楽しく過ごして。そして白馬の王子様と出会いたいってそう思ったんだろうね――


「そうなれるのなら、そうなりたいけど。でもきっと無理なんだろうな……それに白馬の王子様なんて」


 それからいろはは身体を起こして、目に入った本棚に置いてある『白雪姫』の絵本を手に取り、ゆっくりと表紙をめくる。


「今更読んだって、もう……」


 しかし気が付くと、いろはは夢中でその世界に入り込んでいた。


「ここにはたくさんのキラキラとドキドキが詰まってる……やっぱりアタシは、白雪姫がいいな」


 でもアタシってキュートなお姫様って感じでもないんだよね――

 

 そう思いながらため息を吐くいろは。


「うーん。……あ、そっか!」


 いろはは、机に置いてあった人気ファッション雑誌を開く。そこには肌の露出が多い服装(清楚系とは真逆のギャルファッション)を着たいろはと年が変わらないくらいの少女が映っていた。


 フリルやリボンはさすがにもうはずいから、絵本の白雪姫みたいなかわいいじゃなくても、アタシが思うかわいいでいいんじゃない――?


「アタシはこれでいく!」


 それからのいろはは、少しずつ好んでギャルファッションでいることが多くなった。


 ようやく自分が思うかわいさを見つけたいろはは、その日からとても楽しく過ごしていた。


 好きな服を着て、好きなところへ行って――さすがに王子さまはまだ現れていないけど、時間の問題なんじゃない――?


「アタシ、今すごく幸せだ」


 いろははいつも口癖のようにそう言っていた。


 そしていろはは、これからもずっとこんなキラキラドキドキした楽しい日々が続くんだ――とそう思っていた。


 しかし、それから1年後。中学1年生になったいろはは『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』が覚醒した。


 何の前触れもなく、突然に――。



 * * *



「いろはちゃん、何を読んでいるの?」


 そう言ってまゆおはいろはが読んでいる絵本を覗き込む。


「白雪姫。ずっとアタシの憧れなんだ!」

「へえ。そうなんだ! すごく素敵だね!」


 まゆおはそう言いながら笑顔で答えた。


「まゆおは子供っぽいって、馬鹿にしないんだね」


 いろはがそう言うと、まゆおはそのままの笑顔で答える。


「だっていろはちゃんが憧れている存在だよ? 馬鹿にするわけないよ! それに『白雪姫』は今のいろはちゃんのルーツになっているわけだから、僕も少し気になるかな!」


 それを聞いたいろはは目を輝かせながら、


「よーし。じゃあ、アタシが白雪姫の良さを一から十まで、まゆおに叩き込んであげるよ!!」


 楽しそうにまゆおに告げた。


「ふふふ。お手柔らかにお願いします!」


 そう言って、二人は笑いあったのだった。




 ――『白雪姫』に憧れた少女が、『白雪姫症候群』と言う力に翻弄される物語。

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