第10話ー⑦ 人生の分かれ道

 暁と奏多は、ベッドに並んで腰を掛けた。


「それで?」

「ああ――」


 そして暁は、前を向いたまま自分の想いをゆっくりと語り始める。


「俺は剛が受験勉強のために無理をしていたことを知っていたのに、何もしてやれなかったんだよ。

 あの時の俺は、俺みたいな教師になりたいって言ってもらえたことが嬉しくて、目の前にいた剛のことが見えていなかったんだ――」


 そう言いながら俯く暁。


 奏多は何も言わず、真剣な表情で暁の話を聞いていた。


「――まゆおに剛が無理をしていることが心配だって言われていたのに、俺はこのまま見守ってくれなんて、無責任なことを言って……あの時になんとかしていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれなかったのに」


 暁はそう言って膝の上に両手で拳をつくり、悲しみを込めるようにその拳を強く握った。


「それは結果論に過ぎませんよ。誰もこんな運命が待っているなんて知りもしなかったんですから――」


 暁は奏多の言葉を遮り、


「でも俺は! できるはずのことをやらなかった。だから――教師失格なんだよ!!」


 怒りを込めた口調でそう言った。それから少し冷静になった暁は、握っていた拳をほどく。


「それと、俺は施設に戻ってから生徒たちに剛のことをどう伝えればいいのかがわからなかったんだ。本当のことを話せば、お前のせいだって責められるような気がして――」


 暁はそう言いながら、身悶える身体を抱いた。


 自分を守ることしか考えられなかったことへの恥ずかしさと怒りが、暁の身体中を震わせていたのだった。


 そんな暁を奏多は心配そうに見守った。


「俺が剛の話をした後に、生徒たちはみんな、剛は大丈夫だってそう言っていたよな。そんな姿を見ていたら、みんなは俺よりもずっと大きく成長していたんだってことに気が付いて……それで……」


 そう言って暁は、静かに俯く。


「先生……?」


 奏多はそう言って、暁の顔を覗き込んだ。


「俺は研究所にいたあの頃から何にも変わっていないんだってことを思い知ったんだよ。

 俺は教師として、生徒たちに何もできていない。だったら、俺がここにいる意味ってあるのかなって思ってさ……みんなにはもう俺なんか必要ないのかもって……」


 それからしばらくの沈黙があり、奏多はため息をつくと、


「……先生は馬鹿、ですね」


 呆れた声で暁にそう言った。


「はは。そう、だな……」


 馬鹿、か……。確かに奏多の言う通りだな――


 暁は失笑しながら、そう思っていた。


「――先生は、みんながなんでここまで成長できたとお思いですか?」


 奏多が怒りのこもった声でそう問いかけると、


「なんだろうな。生徒同士の絆とかかな」


 暁は脱力した声でそう返した。


 俺の知らないところで、生徒たちは成長していったのだから――


「はあ。それもそうですけど、一番の理由は先生ですよ」


 奏多はため息交じりに暁にそう言った。


「俺、か?」


 暁がそう言って顔を上げると、奏多は呆れた顔で暁を見つめていた。



「ええ。それがわからない先生は、とんでもないお馬鹿です!」


「え、でも。俺なんて、何にも――」


「先生がこの施設に来て、先生の言葉や行動でみんな救われたんですよ? 私もその一人です。もちろんキリヤや剛だってそう。だからみんなは先生に憧れ、先生のためにと行動ができるんです!」



 奏多は暁の目をまっすぐに見て、そう告げた。


「そんな、こと……」


 俺はただ自分のために、行動していただけなんだよ。俺は、奏多たちが思うような人間じゃないんだ――


 そして暁は再び俯いた。


「先生がいなければ、私たちはきっと過去の問題を解決できずに大人になったかもしれない。先生がいなければ、今の私たちもいなかったんです」


 そんなことはない、きっと俺じゃなくたって奏多たちはそうできたはずだ――


 そう思い俯いたまま暁に、奏多は語り続ける。


「私は先生に会えて、本当によかったって思います。好きなことを思いっきりやったらいいってそう言ってもらえなかったら、私は留学なんて考えなかった。先生が私の未来を創ってくれたんですよ!」


 奏多の言葉に、暁ははっとして顔を上げた。


「俺が、奏多の未来を……?」


 暁がそう尋ねると、


「そうです!」


 奏多は満面の笑みでそう答えた。


「だからこれから出会う生徒たちにも未来を創ってあげてほしい。それがきっと先生がここにいる意味だと私は思うのです。だから自分が必要ないなんて、そんなこと言わないでください」


 奏多はまっすぐに強い眼差しで暁にそう告げた。


「生徒たちの未来を創る……」

「剛は、そんな先生の姿に憧れたのではないですか」


 奏多が微笑みながらそう言うと、


「もしそうだったら、嬉しいな」


 照れ臭そうに暁は笑った。


「では、先生は剛の憧れる先生であり続けないとですね。剛が目を覚ました時に恥ずかしい姿は見せられないでしょう?」


 奏多は両手の指を合わせて、頭を傾げながらそう言った。いつもの意地悪な表情で。


「そうだな……今のしょぼくれた姿を見せたら、本気の拳が飛んできそうだ」


 そう言ってニッと笑う暁。


「ええ。それに、私もそんな恥ずかしい人の隣にはいたくないですね!」


 奏多は得意満面にそう言った。


 そんな奏多を見た暁は、


「おいおい、隣にいる気満々なんだな」


 そう言ってクスクスと笑う。


「ええ。私は先生のお嫁さんになるんですから!」

「じゃあ俺は、奏多が好きな俺でいなくちゃな」


 暁が真剣な顔でそう伝えると、奏多は頬を赤く染めた。


「え、先生……?」

「なんてな! ははは!」

「もうっ!!」


 奏多は頬を膨らませながら、暁の肩をポカポカと叩いた。


「い、痛いって!!」

「先生なんて、もう知りません!」


 そう言って、そっぽを向く奏多。


 それにしても。奏多が傍にいてくれて、本当によかったよ――


 暁は、そんなことを思いながら奏多の横顔を見つめていた。


「奏多、ありがとな。助かったよ」

「ふふふ。先生の助けになれて光栄です」


 それから暁と奏多は見つめあい、そして微笑んだのだった。




 その後。奏多は自室へ戻っていき、一人になった暁は、研究所で言われたことを思い出していた。


「『俺らしく』いてほしい。……所長や白銀さんがそう言ったのは、こういうことだったんだな」


 そう呟いて、暁は微笑んだ。


 剛が目を覚ました時に、今よりももっと成長した教師になっていよう。剛やみんなが憧れてくれた気持ちを裏切らないように――


 そして先ほど奏多に言われた言葉が暁の頭をよぎる。


『これから出会う生徒たちにも未来を創ってあげてほしい。それがきっと先生がここにいる意味だと私は思うのです――』


「未来を創る、か……」


 俺の存在がみんなの未来を創ることができるなら、俺は今の俺ができる精一杯のことをする。一人でも多くの子供たちの未来を創るために――


「そうだ。キリヤが食事を持ってきてくれていったっけ」


 決意を新たにした暁は、職員室にあるキリヤが持ってきた食事を頬張ったのだった。




 翌日、暁はいつものように奏多のバイオリンの音で目を覚ました。


「奏多は今日も相変わらずなんだな」


 それから暁は着替えを済ませて、屋上へ向かう。


 そしてその途中で、暁はキリヤに出会った。


「ああキリヤ、おはよう」

「お、おはよう……」


 そう言うキリヤの態度が、少しよそよそしく感じる暁。


 昨日はキリヤにも迷惑をかけたし、俺が元通りになったことをちゃんと伝えないとな――


「昨日は食事を運んでくれてありがとな。それと心配させて悪かった。奏多から聞いたよ。俺の助けになりたかったって」


 それを聞いたキリヤは俯きながら、


「僕には何もできなかった。だから奏多に頼んだんだ。きっと奏多なら先生の助けになれるって思って。いつも助けてもらってばかりなのに肝心なところで役に立てなくてごめんね、先生……」


 悲しそうな声でそう告げる。


 そうか。キリヤはキリヤの出来ることをしてくれていたんだな――


「そんなことないさ。キリヤがあの時、部屋に来てくれなかったら、俺はここを出て行っていたかもしれない。それに奏多を連れてこなかったら、俺の心は壊れていたかもしれないだろう」


 暁は笑顔でキリヤにそう告げた。


「でも――!」

「キリヤがいてくれたから、俺はここにいられる。だから、ありがとう。本当に助かったよ」


 暁がそう言って微笑むと、


「うぅ……先生!」


 涙目になったキリヤはそう言って暁に抱きついた。


「ちょ、男同士それはやばいって!!」

「そんなの関係ない! 先生、ありがとう。大好き。僕、ずっとついていくよ!!」

「あはは、ありがとな」


 それから暁たちは屋上に向かい、いつものように奏多のバイオリンの音を楽しんだのだった。




 今回の出来事は確かに苦い経験だったが、多くのことに気づかされた。


 そして胸の引っ掛かりが全て取りきれたわけではないけれど、今回はこれで良かったのかもしれない。


 きっとここが、俺の人生の分かれ道――。

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