第10話ー② 人生の分かれ道
暁と剛を見送ったキリヤたちは、外から自室へ戻るために廊下を歩いていた。
さっきまで焦っていたからかな。寒さなんてちっとも感じなかったけど――
「やっぱりこの時期は寒いね……」
キリヤは身体をさすりながら、まゆおにそう言った。
「氷の能力を使うキリヤ君でも、そんなことを思うんだね」
そう言って笑うまゆお。
「そりゃ、僕だってまゆおと同じ人間だし、ちゃんとそう思うよ」
「ははは。そうなんだ」
それからキリヤとまゆおは無言で廊下を歩く。
さっき笑ってはいたけれど……剛があんなことになって、まゆおだって不安だよね。何か、会話をしないと――
そう思いながらキリヤは先ほど見た、まゆおの冷静な指示を思い出す。
まゆおが「研究所に」って言ってくれなかったら、今も僕たちは狼狽えたままだったかもしれないな――
それからキリヤはゆっくりと口を開き、
「まゆお、さっきはありがとう。適切な判断で助かったよ」
まゆおの方を見てそう言った。
「ううん。僕は、頼まれただけだから」
まゆおは首を横に振ってそう答えた。
頼まれた? まゆおは一体、誰に頼まれたって言うんだろう――
そう思いながら首を傾げるキリヤ。
そして、今までのまゆおであれば、誰かに頼まれたとしても自発的に行動はできなかったかもしれないのに、とキリヤはふとそう思う。
まゆおはいろはと関わるうちに、自分の意見を持てるまでに大きく成長していたんだね――
キリヤはそんなことを思い、微笑んだ。
「まゆお、変わったね」
キリヤがそう言うと、まゆおは恥ずかしそうに笑う。
「――たぶんいろはちゃんのおかげだよ。僕一人じゃ、きっと弱い僕のままだった。誰かに信じてもらえたり、信じられることってこんなに心強いんだって思ってる」
そう言ったまゆおにキリヤは少し驚きつつ、
「そっか」
そう言って微笑んだ。
まゆおは、こんなにも強くなったんだね――
まゆおの顔を見て、キリヤはそんなことを思っていたのだった。
その後、男子の生活スペースに到着したキリヤとまゆおは、それぞれの部屋に向かう。
「じゃあ明日、みんなにも説明しなくちゃね」
「うん、じゃあおやすみ。キリヤ君」
「おやすみ。まゆお」
それからまゆおは自室に入っていった。
「剛、大丈夫かな……ううん、先生が一緒だし、きっと――」
そしてキリヤは自室に戻っていったのだった。
* * *
――研究所にて。
暁は検査室前にあるソファで剛の検査が終わるのを待っていた。
暁は両手で顔を覆いながら下を向いていると、隣のソファが少しだけへこむのを感じた。
きっと誰かが俺の隣に座ったのだろう――
そう思った暁がその方に顔を向けると、そこには悲しそうな顔をするゆめかがいた。
「大丈夫かい?」
ゆめかは暁の顔を見ながら、優しい声でそう言った。
「まだ、わからないです。剛はこのまま、目を覚まさないなんてことも――」
暁はゆめかの言葉に俯きながら、静かにそう答えた。
「今心配しているのは、君のことだよ」
ゆめかは心配そうな声でそう言った。
俺のこと、か――
それから暁は、先ほど見た剛の部屋の光景を思い出す。
そしてその中で動かなくなっていた剛の顔が、暁の頭をよぎったのだった。
「剛に比べたら、俺なんて……」
暁はぽつりとそう言った。
「あまり自分を責めるな、なんて言っても、きっと今の君には伝わらないことはわかっている。けど君を待っている子供たちがいる。そのことは忘れないでほしい。私は、君が君らしさを失わないでいてほしいと思っているよ」
それだけ告げて、ゆめかは去っていった。
しかし暁はそんなゆめかの行方など、気にも留めずに下を向いたままでいた。
「剛……お前がそんなに無理していたなんて――俺はなんで気が付いてやれなかったんだ」
そう呟きながら、暁は両手の拳を膝の上で握った。
いいや、違う。俺は気が付いていたはずだ。まゆおに言われたときも、食堂で剛を見かけたときも――
剛が言った「暁先生みたいな教師になりたい」という言葉を聞き、暁は自分が天狗になっていたのではないかと感じた。
俺は剛のその想いを、己のプライドのために利用したのかもしれない――
剛を応援したいからと言っていた言葉のすべてが、自分の為だったことに気が付いた暁は、自己嫌悪に陥っていく。
自分のプライドを守ることばかり考え、剛のことは何も考えていなかった自分。
剛が無理をしていたことを知っていたのに、それでも何のフォローもしなかった自分。
能力が暴走した剛を見た時でさえ、自分のことしか考えられず、冷静に対処できなかった自分。
俺は、剛を一人で苦しませていたんだ。だったら、今回の暴走は俺の責任じゃないか――
そして思い出す、ゆめかの言葉――『あまり自分を責めるな』。
それは、君一人のせいじゃないと言ってくれているんだろうな――と暁は思い、表情を歪めた。
ゆめかの言葉の意味がわかっても、暁は自分を責めずにはいられなかった。
それは、今の自分よりも剛の方がずっとずっと辛かっただろう思ったからだった。
「俺のせいで、剛は――」
それから暁はその場で俯いたまま、剛の検査が終わるまで待つことしかできなかったのだった。
そして1時間後。剛の検査が終わり、検査場の扉から所長が姿を現した。
暁は急いで立ち上がり、そのまま所長に駆け寄ってその両腕を掴んだ。
「所長! 剛は、剛はどうなったんですか!!」
暁が焦った口調で所長へそう尋ねると、所長は暁の目をまっすぐに見つめ、重たそうにその口を開く。
「彼はもう、目覚めることはないだろう。完全に心の消失を確認した。残念だが、今の我々の技術ではもうどうにもできない。……すまないな、暁君」
暁は所長のその言葉を聞くと、ゆっくりと膝から崩れ落ちる。
「そ、そんな……。俺の……俺のせいなんです。俺がもっとちゃんと剛のことを見ていたら!!」
暁は視線を下に向けて、苦しそうにそう言った。
「――そんなことはない。君は君のできることを精いっぱいやっていた。仕方ないことだったんだ。だから、そんなに自分を責めるなよ」
その所長の言葉を聞いた暁は、右手の拳を床に何度も何度も打ち付ける。
「――俺が、もっとしっかりしていたら、剛はこんな――俺が、剛の未来を奪ったんです……俺のせいで、剛は……剛は――!」
「やめるんだ。そんなことをしたって、状況は何も変わらないだろう」
所長は、暁の手を強くしっかりと掴みながらそう言った。
「でも、でも――っ!」
そう言って暁は目から大粒の涙を零す。
それは自分の未熟さを悔やみ、大切な生徒を失った悲しさの涙だった。
「暁君――君は自分を見失うなよ。あの施設の生徒たちは、今君を失えば、前のようにまた道に迷ってしまうのだから」
そして所長は、暁に剛の部屋の場所を教えるとまた検査場の中へと戻っていった。
それから暁はふらふらと立ち上がり、所長から聞いている剛の眠る部屋に向かったのだった。
暁が部屋に入ると、ベッドで眠っている剛の姿があった。
もう目覚めることはない眠りについてしまった剛を見て、暁は罪悪感を抱いた。
夢を聞いたばかりだった。これから素晴らしい未来が待っているはずだった。それなのに――
それからベッドの脇にあるたくさんの機械を見て、暁はさらに罪悪感が増した。
この機械がなければ、剛は生きていくこともできないのか、と。
それから暁は、ベッドの近くある椅子に腰を掛けると、そのまま剛の手を握った。
ちゃんと温かい――
そう思いながら、剛の顔を見つめる暁。
そしてその寝顔は、今にも目を覚ましそうなくらいに普通の寝顔をしていたのだった。
「――ごめんな、剛。俺が気づいてやれたらよかったのに。剛に、俺みたいな教師になりたいって言ってもらえてうれしかったんだ。だから剛のことを応援しようって思っていたはずだったのに――大事な時に何にもしてやれなくてごめん……俺は、教師失格だ」
そして暁の頬には、再び涙が伝った。
暁は、自分が今、どれだけ悔やんでも時間が戻らないことはわかっていた。そしてそんな中で、取り返しがつかない過ちを犯してしまった自分に深く深く失望していた。
こんな俺が、教師でいていいのだろうか――
そんな考えが暁の頭をよぎる。
「俺は……」
それから暁は剛の手を握ったまま、剛が目を覚ましてくれることを祈った。
そして気が付くと、夜が明けていたのだった。
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