第6話ー⑫ 信じることの難しさ

 翌朝、暁は奏多のバイオリンの音で目を覚ました。


 それからいつものように身支度を整え、奏多のバイオリンを聴くために屋上へ向かった。


「今朝も奏多は良い音を奏でてくれるなあ」


 暁はそんなことを呟きながら、階段を上っていると、


「あ! 先生、おはよう!」


 嬉しそうな顔でそう言うキリヤと出会った。


「あ、ああ。おはよう。早いな!」

「僕はいつもと同じだよ」


 いつもと同じ……? そういえば、キリヤとはよくこの時間にすれ違っていたな――


「もしかして! キリヤも奏多のバイオリンを毎朝聴いていたのか?」


 暁が歩きながらそう尋ねると、


「そうだよ。僕は奏多がバイオリンを屋上で弾き始めた頃から、ずっと毎朝欠かさずに聴いているんだ」


 キリヤははにかみながら答えた。


「へえ。すごいな、毎朝欠かさずなんて!」

「そんなことないよ。気が付いたら、それが習慣になっていたんだ」


 キリヤは恥ずかしそうにそう言った。それから頬を赤く染めて、


「だって奏多のバイオリンの音ってすごく綺麗でしょ? それにバイオリンを弾いている奏多の姿もすごくキラキラしていて、つい見とれちゃうっていうか――」


 そう言いながら、微笑んでいた。


 そんなキリヤを見た暁は、


「キリヤってもしかして――奏多のことが好きなのか?」


 ふとそんなことを尋ねた。


 すると、キリヤは顔を真っ赤にして、


「は、はあ!? そんなわけないでしょ! ぼ、僕が奏多のこと、なんて!!」


 と狼狽えながらそう言った。


 そういえば、能力が暴走しているとき、奏多の名前に反応して手を止めていたような――


「ふふふ。そうかそうか。わかったよ!」

「って何をわかったの!?」


 違うから! と言ってキリヤは顔を真っ赤にしたまま、暁から顔を背ける。


「――そういう先生はどうなのさ! 奏多のことをどう思ってるの!」

「え、俺!? どうって言われても……」


 キリヤの言葉を聞き、暁は困惑の表情をしてそう言った。


 俺と奏多は生徒と教師の間柄だし、それ以上のことは何も――


「奏多とは遊びの関係なの? わざわざ外に出て、デートまでしてきたのに!?」

「な、なんでそのことを!?」

「みんなの目は騙せても、僕の目は騙せないんだから!」


 キリヤは得意満面にそう言った。


 そして暁はデートの日の朝、キリヤに会ったことを思い出す。


 あの時、いつも以上に不機嫌だったのは、そう言う事だったのか――


 そう思いながら、小さく笑う暁。


「奏多とのことは別に遊びとは思ってないよ。でも、俺と奏多は生徒と教師の関係だろう? だからそれ以上のことは何もないし、俺が何か言っていいことでもない」


 あくまで、頼りになる仲の良い生徒の一人だと思ってはいるけれど、本当にそれ以上は何もないから――


「へえ。そうなんだ。でもそれってそういう関係じゃなくなれば、それ以上もあり得るってことだよね?」


 キリヤは目を細めてから、ニヤリと笑う。


「はああ!? だから、何言ってんだよっ!!」

「まあ先生ならいいよ。奏多のこと、任せられる」


 キリヤは頷きながらそう言った。


「任せられるって、いったい誰目線なんだよ……」


 そしてキリヤは物思いにふける顔をしてから、ゆっくりと口を開く。


「先生が来てから、奏多はよく笑うようになったんだ。先生と出会うまでの奏多は、バイオリンを弾いているとき以外、なんだかずっとつまらなそうにしていてね――」


 それからキリヤは、ずっと奏多を見守っていたことを暁に打ち明けた。


 どうしたら奏多は笑顔になれるのか。そのためには自分がどう動けばいいのか――と奏多のことを思い、何も言わずにずっと影で支えていたキリヤ。


 しかし、それでもキリヤは奏多を笑顔にできなかった。


 奏多の本当の笑顔が見たいのに、キリヤは何もできない自分をずっと不甲斐なく思っていたようだった。


「僕にはできなかったことを先生ならきっとできる。だからこれからも奏多を笑顔にしてあげて。先生じゃなくちゃ、ダメなんだ!」


 キリヤはそう言って暁の顔をまっすぐに見つめた。


 キリヤはこんなに奏多のことを大切に思っていたんだな。こんなに頼まれたんじゃ、断る理由なんてないだろう――!


「ああ、わかったよ。奏多のことは俺に任せておけ!」


 生徒である奏多の笑顔を、教師として俺が支えるから――暁にとって、そんな想いを込めた承諾だった。


「うん。ありがとう、先生」


 そう言ってキリヤは嬉しそうに笑った。


「でも、この話は俺たち2人だけの秘密だからな?」


 いろはに奏多と遊びに行ったことを知られたら、変に騒ぎ立てられそうだし、キリヤの奏多への想いも隠しておきたいからな――


「そうだね。生徒に手を出したなんて政府に知れたら、先生は解雇されちゃうかもだし……これは2人だけの秘密だね!」


 キリヤは大真面目な顔をして、大きく頷く。


「だから! 手なんて出してないって!!」


 暁はなんだかキリヤに弱みを握られたかもしれないと思いつつも、キリヤの大切な想いを聞けたから今回はこれでチャラにしよう――と思ったのだった。


 いつかキリヤの思いが、奏多に届くといいな――


 暁は楽しそうに屋上へ向かうキリヤを見ながら、そう思っていた。


 それから屋上に着いた暁とキリヤは、いつものように奏多のバイオリンを楽しんだのだった。



 * * *



『信じることは難しい』


 だけど、その難しさを乗り越えた先に、ようやく見られる世界や感じられるものがあるということを僕は知った。


 それを知った僕は、きっと少しだけ変われたんだと思う。


 目を覆っていた霧が晴れ、僕はやっと前を向いて未来に向かって歩き出せる日が来たんだ。


 ここからまた、新しい『僕』が始まる――。

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