第3話ー⑫ 好きなこと

 ――食堂にて。


 奏多の両親は夕食時間の前に帰宅したため、食堂にはキリヤ以外の生徒たちと暁だけだった。


 そして生徒たちは夕食を摂りながら、それぞれの感想を奏多へ伝えていた。


「奏多、めっちゃすごいじゃん! もう感動しちゃったよ~」


 いろははうっとりとした顔で奏多にそう告げる。


 そして奏多は嬉しそうに笑いながら、


「ありがとう、いろは。そう言っていただけて、私も嬉しいです」


 そう答えていた。


「先生とこそこそしてたのは、演奏会の準備のためだったのか! なんだよ~! 言ってくれたら、何か手伝ったのに!!」


 剛は頭の後ろで手を組み、口を尖らせながら暁と奏多へそう言った。


「悪い悪い。みんなにサプライズでやりたかったからな。だから内緒していたんだよ」

「そうそう。そのほうが、皆さんが楽しめるでしょう?」


 暁と奏多は笑いながらそう答える。


「まあ、確かにその通りだな!」


 そう言って頷く剛。


「だよね! でも本当にすごかったよ!! 奏多もセンセーもあんがとうね!!」


 いろはがそう言うと、


「おう!」


 と暁は満面の笑みで返したのだった。


 そして楽しい夕食を終えると、生徒たちは各々の部屋に戻っていった。




 生徒たちがいなくなった食堂で、暁は一人で後片付けをしていた。


 すると、


「先生、私も手伝いましょうか?」


 そう言いながら奏多が食堂に顔を出した。


「あれ? 自室に戻ったんじゃ……」

「先生にお礼言ってなかったなって思いまして。……何を手伝えばいいですか?」

「じゃあ――」


 暁は奏多に食器拭きを頼み、食器用の布巾を奏多に手渡した。


 それから奏多は暁の洗い上げた皿を取り、その皿を丁寧に拭きながら話し始めた。


「今日は本当にありがとうございます、先生。私は先生と会えなかったら、もう二度と誰かの前で演奏なんてできなかったのかもしれないです。だから本当にありがとうございました」


 そう言って暁の方を見て笑う奏多。


「そう言ってもらえてうれしいよ。俺の方こそ、ありがとな」


 暁もそう言って奏多へ笑顔で返した。


 すると、奏多は何かを思い出したようにクスクスと笑い、


「でも、先生って案外しつこいところあるんですね。やりたくないって言っているのに諦めないんですから」


 やれやれという風にそう言った。


「ははっ。でもさ、それだけ奏多の演奏をみんなに聞いてもらいたかったのさ。俺は奏多のバイオリンのファンみたいなものだから」


 暁はそう言って、歯を見せてニッと笑った。


 そんな暁を見た奏多はニコッと微笑んで、


「ふふふ。ありがとうございます」


 嬉しそうにそう言った。


「おう!」


 それから演奏会の時に見た、生徒たちの幸せそうな顔を思い出す暁。

 


「演奏を聴いていたみんなは、幸せそうだっただろう?」


「ええ。それにそれを見た私自身も幸せになれました! 先生が言っていた、人の笑顔が好きだってこういうことだったのですね」


「そうさ。なかなかいいもんだっただろ?」


「はい!」



 そう言って微笑む奏多を見た暁は、初めて会った時の奏多よりも笑顔が増えたなと思っていた。そして、そのことをとても嬉しく思ったのだった。


 それから再び片付ける手を動かしながら、暁は奏多から演奏会で感じたことや思ったことを聞いていた。


 過去の出来事は消えないことだとしても、これから先の未来は行動次第でどうとでもなる。奏多はこれからどんどん素敵な人間になっていけるだろうな――


 暁は今の奏多を見て、そう感じていたのだった。


 辛い過去を乗り越えた奏多は、未来を変えていける力があるって俺は信じているよ――


「……先生。私、いつかここを出られるようになったら、プロのバイオリニストになります」


 奏多はそう言って拭き終えた皿を置くと、


「そして大きなホールで超満員の中、先生に今以上の幸せな音色を届けます。今度は私の後ろではなく、正面で! どうか、その日を楽しみにしていてください!」


 満面の笑みでそう言った。


 暁は奏多のその言葉を聞いて、近いうちに本当にそんな未来が来るような気がする――と思ったのだった。


 だったら、俺が奏多に答える言葉は決まっているな――


「ああ。楽しみにしているよ!」


 暁は嬉しそうな顔でそう返したのだった。


 そして片づけを終えた暁と奏多はそれぞれの部屋に戻っていった。 



 * * *



 ――キリヤの自室にて。


 演奏会後、キリヤは食堂へは行かず、自室に戻ってきていた。


 そして机の前で立ち止まるキリヤ。


 奏多もみんなも、あいつに騙されて――


「くそっ!!」


 キリヤは怒りに身を任せ、左手の拳を机にぶつけた。その拳からは、わずかに冷気が漏れ出ていたのだった。


 みんな楽しそうだった、幸せそうだった。あいつの企画で、みんなが懐柔されていた――


「何なんだよ……なんであいつは――」


 キリヤは怒りで震え、その感情に飲まれそうになっていた。


「あんな政府の犬なんかに、僕は絶対に騙されない――僕はあいつを信じるもんか!」


 そう言ってキリヤは再び机に拳をぶつけると、キリヤの手の冷気でその一面が凍り付いた。


 それを見てはっとすると、キリヤはようやく冷静さを取り戻す。


「心が制御不能になれば、マウスのような日々を送ることになる。――だから今は落ち着け、僕。大丈夫さ。僕は必ず、あいつを追い出してやる……」


 冷たく鋭い視線で凍り付いた机を見つめながら、キリヤはそう呟いたのだった。

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