第3話ー⑧ 好きなこと

「そう、だよな。中途半端にできるようになっても、もっと気持ちが募るばかりで辛いよな。俺も無神経だった。すまない」


 その言葉にはっとした奏多は、慌てて頭を下げた。


「いえ、私も少し言いすぎました。すみません。……でも先生が私のことを思ってその提案をしてくださったことは伝わりましたので。どうかお気になさらず」


 それから奏多は踵を返すと、


「では、私は今度こそ部屋に戻りますね。また食堂で」


 そう言って奏多は屋上を後にした。


 奏多もあんなに感情的になることがあるのか――


 暁はそう思いながら奏多の出て行った扉を見つめる。


 いつも第三者的立場で振舞っているように見えていた奏多が、あれだけ感情をだして怒る姿を初めて見た暁は、自分の行いが奏多を傷つける結果になってしまったんだと後悔していた。


「はあ。俺ももっと考えて行動するべきだったな……」

「本当にその通りですよ、先生」


 はっとした暁は、背後から聞こえたその声を方へ振り返る。


 そしてそこには、鋭い視線で暁を睨むキリヤの姿があった。


「キリヤ、いつからそこに?」

「奏多がここへ来る前から屋上にはいましたけどね」


 淡々とそう答えるキリヤ。


「そ、そうか……」


 じゃあ、さっきの会話も――


 そう思いながら、暁は苦い表情をした。



「先生が何を考えているのかは知りませんけど、あまり僕らのことをかき乱すのはやめてもらえませんか? そういうの、迷惑です」


「かき乱すって。俺はそんなつもり――」



 その言葉を遮るように、キリヤは暁に顔を近づけると、


「奏多のことを何にもわかってないくせに、無理やりバイオリンを弾かせようとしていたでしょう?」


 冷たい視線で睨みながら暁にそう告げた。


「それは……」


 敵意さえなければ、顔立ちが整ってクールな少年ということで片付けられそうな状況だったが、その明らかな敵意が鋭い視線に威力を与え、暁に突き刺さっていた。


 何も返せない。キリヤの言う通り、俺は奏多のことを何もわかっていなかったのだから――


 そう思った暁は、キリヤから視線を逸らすことしかできなかった。

 

「――僕たちのことを何もわからないなら、何もしないでいてくれる? 目障りだよ」


 そう言い残し、キリヤは屋上を去っていった。


「キリヤの言う通り――俺は奏多のことも、他のみんなのことも何も知らないんだな」


 暁は大きなため息をつき、しばらく空を眺めて過ごしたのだった。




 夕食後、暁はこの日の報告書を職員室の自席で作成していた。


「……今日は座学授業を中心に行い、各々のノルマは達成された。神宮司奏多は体調不良のため、ノルマの半分しか達成にはならなかったが、明日以降に加算することで対処することとしたっと……よし。こんなものかな」


 そしてその報告書を研究所へ送信してから、暁はパイプ椅子の背もたれに身体を預ける。


「今日の仕事、お終いっと。はあ」


 今日も平和と言えば、平和な一日だったな――


 そんなことを思いながら、天井を見上げる暁。


「夕食の時、奏多とはなんだかぎこちなくなってしまったな」


 しかしその雰囲気に他の生徒たちは気が付かれていないようだったので、暁はそれにはほっとしていた。


「まあ、それはそれとしてだ」


 それから暁は授業後にあった奏多とのやりとりを思い返し、怪訝な表情をする。


「確かに奏多の言う通りで――自力で幸せな音を奏でられないのは、意味がないってのはわかるけど」


 俺は諦めきれないんだよな。あの音をみんなに聴いてほしいし、聴かせたい――


 その思いが自分のわがままだとわかっていながらも、暁は自分を止められなかったのだった。


「どうにかして、奏多がみんなの前で演奏できないかな……」


 それから暁は考えを巡らせるも、昼に奏多へ提示した案よりも良い案を思いつくことはなかった。


「根本的な問題と言っていたが、それはたぶん能力のことなんだろうな」


 奏多の能力は、バイオリンから繰り出される斬撃だったか――とレクリエーションの時のことをふと思い返す暁。


「自分の好きなものが、人を傷つけるかもしれない力ってことか……」


 そうだとしたら、胸を張ってバイオリンのことを好きと言えないのも道理かもしれないな――


「でも。俺の『無効化』なら、その能力を発動させずに演奏ができる。それなのに、なんで奏多はあの時、断ったんだ?」


 俺が提案した時に一瞬だけ、嬉しそうな顔をしていたように思う。でも、すぐに表情が曇ったんだよな――


 能力が消失しないことを気にしている他に、何かあるのではないか――とふとそう思う暁。


「もしかして、過去に何かあったのか? 人前で演奏できなくなった原因を作った何かが」


 でも、それって何なんだろう――


 暁がそんなことを延々と考えていると、あっという間に時間が経過していたのだった。


「もうこんな時間!? 早く寝ないと。本当に寝坊したら、生徒たちに示しが付かないからな……」


 それから暁は寝支度をすませてから、布団に潜る。


「奏多に好きなことを好きなだけやらせてやりたいな……」


 そして暁は眠りについたのだった。

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