第3話ー④ 好きなこと
暁が教師として施設に来た、初めての朝。
暁は遠くから聞えるバイオリンの音で目を覚ました。
「んん、この音は……」
暁はその音に誘われるように身体を起こし、部屋から出ていた。
「どこから聞こえているんだ」
そう呟いて廊下を彷徨いながら、いつしか屋上の扉前にたどり着いていた。
「ここ、か。バイオリンの音ってことは、たぶん――」
それから暁は屋上の扉をこっそりと開けた。
すると、そこには朝日を浴びながら、優雅にバイオリンを弾く奏多の姿があったのだった。
「ああ、やっぱりそうか。それにしてもすごく素敵な音だな」
それはとても優しくて幸せになる音色で、暁は聴いているうちに思わず顔が綻んでいた。
そして暁は演奏を終えた奏多に向けて、無意識に両手を叩いていたのだった。
――数分後。奏多とのやりとりを終え、暁は一人で屋上に残っていた。
そして暁は先ほどまで聴いていた音色の余韻に浸っていたのだった。
「それにしても、良い音色だったな。あんなに素敵な演奏ができるなら、誰かに聞かせないともったいないよな」
暁はそう呟いてから、屋上の柵を掴んで空を見上げた。
どうしたら、奏多の音をみんなに聴いてもらえるだろうか――
そんなことを考えながら、暁は「うーん」と唸る。
「まさかこんな早い時間に、生徒たちを屋上へ集めるわけにもいかないだろうし」
いろはとか剛って朝、弱そうだしな――
「うーん――あ、そうだ! これならいけるはず!」
暁はニヤリと笑いながら、そう呟いた。
「そうと決まれば、さっそく奏多に相談――」
奏多を追おうと暁は踵を返すと、奏多の綺麗な音色とは違う、綺麗さのカケラもない腹の音が響いた。
「まずはやるべきことを終えてから、だな」
それから暁は自室へ戻って行ったのだった。
――食堂にて。
暁が食堂に着くとキリヤ以外の生徒たちが揃って、すでに食事を始めていた。
「あ、センセー! おはよ!!」
暁の姿に気がついたいろはは、溌溂とそう言って手を振った。
そのいろはの声で他の生徒たちも暁の姿に気づき、暁は次々に生徒たちと朝の挨拶を交わした。
そしてその中にはさっき顔を合わせた奏多もおり、
「おはようございます。先生って案外、お寝坊さんなんですね」
そう言って奏多はニコッと笑う。
「あ、ああ。おはよう!」
暁は笑顔でそう返しながらも、疑問を抱いた。
さっき顔を合わせたはずなのに、何もなかったみたいな言い方だな――
そう思いながら、朝食を再び取り始める奏多を見つめた。
あんな時間に演奏していたのは、誰にも気づかれないようにするためってことか――?
きっと何か理由があるんだろう、と思った暁は、奏多に話を合わせることにしたのだった。
「なんだよ~先生、寝坊か?」
剛はニタニタと笑いながら、暁の顔を覗き込む。
「ははは……実はそうなんだよ! 朝はちょっと苦手でさ。明日からは頑張って起きるよ!」
暁が申し訳ないと言った顔で頭を掻きながらそう言うと、
「まあ、先生は昨日が初出勤だったから、緊張して眠れなかったんだな。その気持ち、よくわかるぜ先生!!」
そう言って剛は親指をぐっと立てた。
「あはは、ありがとうな剛」
「そういえば。俺も初めてここへ来た日は、なかなか寝付けなくてな……。翌日は睡眠不足で、カリカリしてキリヤと喧嘩になったっけ――」
剛はそう言いながら、物思いにふける。
もしかしてレクリエーションの時に言っていたのは、このことだったのかな――
そんなことを思いながら、暁は懐かしそうに「うんうん」と頷く剛を見つめていた。
「ふふっ。そういえば、あの時も見事な惨敗でしたわね!」
奏多はそんな剛をからかうように口をはさむ。
「『あの時も』は余計だ! あの時しか、俺はキリヤと真剣勝負をしてないぞ!」
「あら、そうでしたっけ? キリヤがそう言うのならわかりますが、毎回勝てない剛が言うと、なんだか負け犬の遠吠えに聞えますよ」
そう言って口に手を添えてから、奏多は「うふふ」と笑った。
「なにを~! いいぜ、今日は奏多の相手をしてやろうか!」
「やめておきなさい。身体がミンチになりますよ」
奏多がそう言って剛を細い目で見ると、
「いいぜ、望むところだ!」
剛は拳をぐっと握ってそう答えた。
「まあまあ、お2人とも落ち着いてくだされ~」
「うん。喧嘩は良くない」
結衣とマリアがそう言ってなだめると、
「ちぇ。仕方がないから、今日はこの辺にしておいてやるよ」
剛は唇を尖らせてそう言った。
「うふふ。それはどうもです」
奏多はそう言って微笑んだ。
「朝から、肝が冷えるな……」
奏多たちのやり取りを目の前で見ていた暁はそう呟いて、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「あはは。よくあることなので、先生も早くなれると良いですな!」
「ああ」
そう言って結衣に苦笑いで返す暁だった。
それから何事もなかったかのように、食堂はにぎやかな雰囲気になっていた。
さっきみたいなことがなければ、みんな基本的に仲良しなんだな――
そう思いながら、暁は和気あいあいと食事を楽しむ生徒たちを見つめていた。
「センセー。何、にやにやしてんの?」
ぼーっと生徒たちを見つめていた暁は、唐突にそう言われ、目を丸くした。
「え? そんなにニヤニヤしてたか?」
「うん! なんか、こう――ニタァって感じ!!」
いろはは自分の口角を指で持ち上げながらそう言った。
それはやりすぎだろ! と暁はいろはにツッコミを入れてから、
「でもなんだかこういうのを見ていると、お前たちも普通の子供と同じなんだなって思ってさ」
感慨深げにそう言った。
「はあ? みんなはそうかもだけど、アタシはそんな子供じゃないし! お子様扱いしないでくれない?」
いろはは頬を膨らませながら、可愛らしく怒っていた。
そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ――
「悪かったって! ごめんな、いろははもう大人の女性だったな!!」
暁がやれやれと言った顔でそう言うと、
「ふふーん♪ そうでしょ! 色気たっぷりでしょ?」
しなをつくるポーズをしていろははそう言った。
うーん。色気はまだまだだな――
暁はいろはを見ながら、そう思って一瞬苦い顔をすると、
「そ、そうだな」
と内心がばれないように笑った。
「じゃ、じゃあ今日も授業があるし、早く食べ終えて授業の準備をしないとな!!」
「うぃ~」
いろははそう言って席に戻った。
それから生徒たちは順番に食事を終え、食堂を後にしたのだった。
食堂に一人残った暁は、先ほどまで朝食を楽しそうに摂っていた生徒たちの姿をなんとなく思い出していた。
ここにいる生徒たちは世間では殺人級の能力を持つ子供たちと言われているけれど、それでもここにいる生徒たちだって普通の子供たちと変わらないんだよな――
「能力さえなければ、今頃はきっと――」
暁はふと自分の過去とここにいる生徒たちを重ねる。
「あいつらも、自分の能力に絶望した時があったのかな」
ぽつりとそう呟く暁。
まだその経験がなかったとしたら、そうならないように俺が生徒たちを助ける。だって俺はその為にここへ来たのだから――
そして暁も食堂を後にしたのだった。
* * *
授業の準備のために一度自室に戻った奏多は、朝食時にあった暁の行動について考えていた。
「なぜあの時、私に合わせてくれたのでしょうか……」
毎朝の日課を誰にも知られたくないと思っている奏多は、暁と食堂であった時にあえて何事もなかったかのように振舞っていた。
暁のことを信じていたわけではないが、思うように行動してくれた暁に奏多は驚き、不思議に思っていたのだった。
どうやら先生は、あの時の私の不自然な行動から気持ちを汲んでくれたようですね。何を企んでいるのか知りませんが、今回ばかりは感謝せざるを得ません――
「感謝、か……」
奏多は表情を曇らせて、机にあるバイオリンケースを見つめた。
本当は、思いっきり演奏したいのに――
はっとした奏多は首を横に振る。
「それはダメです。私はここのみんなを傷つけたくない」
ここのみんなは、私にとって大切な家族のような存在なのですから――
「もう少し我慢したら、きっとこの能力も消失するはず。だから、それまでの辛抱ですから……」
それから奏多はバイオリンケースにそっと触れると、
「窮屈な思いをさせてしまって、ごめんね」
眉間に皺を寄せてそう呟いた。
好きなものはすぐに手が届く場所にあるはずなのに、自由に演奏できない環境の今、奏多にとってそれはとても遠くにあるように感じていた。
このまま好きっていう感情まで遠ざかってしまうのかな――
「またあの頃みたいに、大切な人たちの前で幸せな音を出せるでしょうか」
そう呟き、奏多は悲し気な表情を浮かべたのだった。
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