第3話ー③ 好きなこと

 ――発表会から数日後。


 奏多は母に連れられ、『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』の専用機関で検査をすることになった。


 その専用機関で検査を終えた奏多は、診察室に通され、その結果を告げられていた。


「神宮寺さん。あなたは度重なるストレスと心に受けた大きなダメージの影響で『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』が目覚めたようだ」


 それから検査員の男性は、一息置くと、


「そして君のクラスは危険度S級クラス。能力はおそらく、バイオリンから放たれる斬撃かと」


 悲しげな表情でそう告げた。


 そしてその結果に奏多は驚愕の表情をする。


 S級クラス? 私が? あの事故は私のバイオリンのせいで――


「あの……それは私のバイオリンの音が、誰かを傷つける音になるということですか」


 奏多は呆然しながら、そう尋ねた。


「心が安定していれば、人を傷つけることはないよ。今まで通り、バイオリンは演奏してもらっても構わない。ただ、大きなストレスが蓄積している状態の時は、なるべく避けたほうがいいかもね。無意識に誰かを傷つけてしまうかもしれないから」


 その言葉の後も検査員の男性は奏多に何かを伝えていたが、その話の内容は奏多の頭にまったく入っていなかった。


 これはどんな悪い夢なんだろう――と奏多は話の間、ずっとそう思っていたからだった。


 なぜ、こんなことになってしまったんだろう。私の音が誰かを傷つける音になってしまうなんて、そんなこと信じたくない――


 しかし奏多は受け入れたくはないこの事実を、今は受け入れるしかなかった。


 どれだけ否定をしようと、奏多が演奏会で誰かを傷つけてしまったことに変わりはなかったから。


「……わかりました」


 奏多はそう言って虚ろな目で首肯した。


「奏多……」


 母は悲しそうな顔をして、奏多の肩を抱く。


 そして奏多は、以前母の言っていた言葉をふと思い出していた。


『奏多のバイオリンの音は人を幸せにするわね』


 そう言われていた時、もしかしたらそうかもしれない――と奏多自身も思っていたが、現実はそうではないことを思い知った。


 私の音は、誰かを幸せになんてできない。ただ傷つけるだけの凶器だったんだ――


 そして奏多は好きなことを好きなだけやれる権利を失ったのだった。




 検査後、家に着くなり奏多はそのまま自分の部屋に向かった。


 そして部屋の中央にあるソファに腰を下ろし、呆然とする奏多。


「私の音は、誰かを傷つけるもの……だったら、私はもう誰かのために演奏することはできない。私はただお父様やお母様の喜ぶ顔がみたかっただけなのに……」


 そう言って両手で顔を覆いながら、奏多は涙を流す。


 こんなことなら、発表会になんて出なければよかった――


 奏多はそんな後悔をしながら、涙を流し続けた。


 そして奏多は涙が枯れるまで泣き続けた後、部屋から出るとリビングで悲し気な表情をする両親を見つけた。


 きっと、私の話をしているのだろう――


 そう思いながら、奏多は2人の会話を聞いていた。


「私が奏多にプレッシャーを与えすぎたのかもしれない……。本当は発表会が決まってから、辛そうに練習していたことを知っていたのに、私は止めることもせずに、あの子にストレスを抱えさせてしまっていたんだわ」


 母はそう言って、目に涙を浮かべていた。


「それなら私もさ。神宮寺家の誇りだなんて言ってしまって、それが奏多を追いつめて、心を傷つける原因になったんだから……」


 父は肩を落としながらそう言った。


「私、奏多になんて言ったらいいかわからないの……。あの子の好きなものを奪ってしまった私たちはあの子に何て言ってあげたらいい?」


 悲痛な表情で父にそう泣きつく母を見た奏多は、はっとして俯いた。


 このままじゃ、お父様とお母様がダメになる――


「それは、嫌だ」


 これ以上、お父様とお母様に心配をかけたくない。2人の笑顔を、奪いたくはない――


 そう思った奏多は両親の間に姿を現した。


「お父様、お母様。私のことはもう大丈夫です。今は演奏できないけれど、大人になって、能力がなくなったときにまた2人が幸せになる演奏をします。だからそれまで待っていてくださいな」


 奏多が今できる精いっぱいの笑顔で伝えると、両親は微笑んだ。


「奏多、ごめんね。辛い思いをさせて、ごめんね」


 母はそう言って奏多をそっと抱きしめたのだった。




 それからしばらくして、奏多はS級クラスの保護施設へとやってきた。


「神宮寺奏多です。よろしくお願いします」


 教室の教壇の前で奏多がそう言うと、これからクラスメイトになる生徒たちから拍手が起こった。


 笑顔で迎えてくれた生徒たちを見て、奏多はほっとしていた。


 やってしまった出来事の罪悪感の薄れと、自分が神宮寺家の長女だという事を忘れることができるような気がしたからだった。


 そしてその日の晩、奏多は持って来ていたバイオリン触れた。


「お父様とお母様と約束、しましたからね」


 そう言って奏多はバイオリンを構えて、その音を奏でる。


 やっぱりこの音が好き、時間が好き。でも。私はこの音を誰かに聴かせることはできないんだ――


 奏多がそう思った時、その音が乱れ、異音を耳にする。


 バイオリンの音ではない、その響きに奏多ははっとして、辺りを見渡した。


 すると、床に斬撃の跡がついているのを目にする。


「なんで……」


 そう呟いて、奏多は苦い顔をした。


 ここじゃ、ダメってことですか。じゃあ、どこなら――


 それから奏多は施設内で広い場所を探し、そして辿り着いた場所が――屋上だった。


「ここなら障害物もない。誰かの目に触れることもない。何もかも、傷つけずに済む」


 そして奏多は翌早朝から、こっそりとバイオリンを弾くことにした。


 昼間、生徒たちと関わる時間は退屈そうにしていた奏多だったが、早朝のバイオリンの時間の時だけは楽しそうに笑っていた。


 しかし、誰も聴いてくれることのないその音に、奏多は時折寂しさを感じていた。


 この時間は好き。でも、もう誰かにこの音は響かないんだ――と思ったからだった。


 そしてあれから6年。奏多は今日も欠かさず、自分のためにバイオリンを弾いている。



 * * *



 奏多は弓を弦から離した。


「ふう。今日はこれくらいにしましょうか」


 パチパチパチ、と後ろから拍手が聞こえ、はっとする奏多。


 振り返るとそこには暁がいた。


「おはよ!!」


 笑顔でそう告げる暁。


「先生!? お、おはよう、ございます……。いつからそこにいらしたんですか?」


 もしかして、聴かれていた? この時間は、まだ誰も起きていないと思ったのに――


 そう思いながら、眉間に皺を寄せる奏多。


「うーん。いつからだろうな」


 暁は顎に手を当てて、しらばっくれたようにそう言った。


「ふざけないでください!!」


 奏多が声を荒げてそう言うと、暁は頭の後ろを掻きながら、


「はははっ。いやあ。でもさ、朝からいいものを聴かせてもらったよ!」


 嬉しそうに笑ってそう言った。


 やっぱり、この人は――


 そう思いながら、奏多は不機嫌な表情をした。


「盗み聞きですか?」

「え!? いや、あの……えっと――」


 暁は狼狽えながら考えた後、奏多の顔をまっすぐに見て、


「気が付いたら、ここにいたんだよ! なんだか、すごく幸せな気持ちになる音がするなって思ってさ!!」


 そう言って歯を見せて笑った。


 その言葉にはっとする奏多。


「……幸せ、ですか?」

「俺、何か変なこと言ったか?」


 暁は首を傾げながら奏多にそう言った。


「いえ。私の母も以前同じことを言っていたなと思いまして」


 奏多は悲し気にそう言って俯いた。


 実際、そんなことはなかったのだけれど――と思う奏多。


「おお、そうだったのか! うん、やっぱりそうだよな!!」


 嬉しそうにそう言って頷く暁。


 それから奏多はゆっくりと暁の方を見ると、


「でも、先生。私のバイオリンは幸せな音ではないですよ。先生もご存じの通り、私の音は誰かを傷つけるものですから」


 そう言って悲し気に笑った。


 私の音は、ものも人も傷つける。だから。幸せな音なんかじゃ、ない――


「奏多?」


 暁は心配そうな顔をして、奏多の顔を見つめた。


 そんな暁にはっとした奏多は、ニコッと笑うと、


「では、先生。また食堂で」


 そう言ってバイオリンをケースにしまい、足早に屋上を出たのだった。

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