第3話ー② 好きなこと
――演奏会、当日。
奏多は会場に向かう直前まで、練習を続けていた。
「今の出来ならば、きっと大丈夫ですね」
奏多は今までの練習で一番納得のいく演奏ができ、ほっと胸を撫で下ろしていた。
やれることはすべてやった。あとは本番ですべてが出せれば――
それから奏多は母と共に車で発表会の会場へと向かった。
その後、車が会場へ到着し、奏多はその車を降りた。
「私は今日、ここで――」
そう呟いて目の前にある発表会の会場を目にした奏多は、急に不安な気持ちで満たされた。
もっと練習したほうが良かったのでは? まだ不完全なところがあったはずです……これじゃ、お父様とお母様が笑いものになってしまうかもしれない――
奏多がそう思いながら不安な表情で佇んでいると、
「奏多、大丈夫よ。奏多がずっと頑張って練習してきたことを私はわかっているわ。だから、いつも通りにみんなを幸せにする演奏をしたらいいのよ」
母は笑顔で奏多にそう告げた。
「は、はい……」
母の優しいその言葉を聞いても、奏多の気分が晴れることはなかった。
うまくいかないかもしれない。お母様の期待を裏切るかもしれない――とその考えが奏多の頭からはなれなかったからだった。
それから奏多は母と別れ、不安な表情のまま控室へと向かった。
「うまくやらなくちゃ。私は神宮司家の長女なんですから――」
そんなことを延々と呟いているうちに、奏多は控室の前に到着する。
「すぅ」と息を吸い込み、奏多がその扉を開けると、そこには奏多と同じ年ごろの少女たちがいた。
少女たちは、奏多が部屋に入ってきた一瞬だけ奏多に視線を向けたが、その後は元の位置に視線を戻し、雑談を再開していた。
「見て見て! 今日の衣装、この日のためにってお母さんが用意してくれたの!」
「いいなあ。かわいい~」
「早くお父さんやお母さんに聞いてもらいたいね!」
「そうだね!!」
楽しそうに話す少女たち。そんなごく普通の子供の会話を聞いていた奏多は、近くに椅子に座って、
「お気楽でいいわね」
と小さく呟いた。
それから膝の上に膝の上に乗せたバイオリンの入ったケースに視線を向けて、奏多は悲し気な表情をした。
私もあの子たちのように思えたら、こんなに辛くなんてないのに――
そう思いながら、奏多はケースを握る手に力を込めた。
でも。私はあの子たちとは違う。神宮寺家の長女として、誰よりもうまくやらなくちゃいけない。お父様とお母様に恥をかかせるわけにはいかないのですから――
奏多はその想いにし潰されそうになりながらも、「私なら大丈夫」と自分に言い聞かせ続けた。
それから発表会が始まり、少女たちは順番に呼び出され、演奏をしていった。
そして最後から2番目の出番だった奏多は、他の子たちの演奏を聴くことなく、時間ギリギリまで最後の調整をしていた。
「まだ……まだこんな精度じゃ……」
このままじゃダメ。このままじゃ、うまくいかない――
苦い顔をしてそう思いながら、奏多は譜面を見つめていた。
何度譜面を確認しても何度イメージトレーニングをしても、奏多はうまくいくかどうか、不安で不安でしょうがなかった。
「神宮寺さん、出番ですよー!」
係の女性にそう呼びかけられると、奏多はバイオリンを持って控室を出た。
ステージに向かう途中、奏多は笑顔で横切る少女を目にした。
きっとあの子はうまくいったのだろう――そう思いながら、奏多は通り過ぎる少女を見ていた。
私はもっとうまくやらなくては。お父様とお母様の期待に応えるために――
そして奏多は舞台袖に到着した。
「じゃあ、神宮寺さん。ここで少し待っていてください」
「はい」
奏多はそう返事をしてから、こっそりと舞台を覗きこんだ。
そしてその何もなく眩しいだけのステージを見た奏多は、ぞっとして身体を震わせた。
自分を守るものはあの場所には存在しない、そう思ったからだった。
もし、失敗したら――? とそんな不安が奏多の頭をよぎる。
それから奏多は、バイオリンをぎゅっと強く握った。
やるしかない。ここで引き返すことは許されないのだから――
そして奏多は不安な気持ちを抱いたまま舞台に立った。
奏多の登場と共に、観客席からは大きな拍手が起こった。
その拍手の音を聞いた奏多は、顔を強張らせながらステージ中央に向かって歩く。
うまくやらなくちゃ。私は神宮寺の娘なんだから。失敗は許されないのだから――
それから奏多はステージ中央に立つと、ゆっくりと観客席の方に視線を向けた。
観客はステージに一人で立つ奏多を見ながら、拍手を続けていた。
みんな私を見ている。私に期待している。その期待に応えなくちゃ――
観客席を見ながら、そう思っていると、
あ、れ……なんで何も聞えないの……それに、頭の中も真っ白で――
聞こえるはずの拍手音が突然聞こえなくなり、奏多は困惑する。
バイオリンってどうやって弾くんだっけ? わからない……わからない――
それから奏多は、そのまま何もできず、ただその場所に立ち尽くしていた。
「もしかして、緊張してる?」
「まあ初めてじゃ、仕方ないわよね」
聞こえる嘲笑に、奏多はさらに頭の中が真っ白になった。
私、どうしたら――
そう思い、奏多は苦しそうな顔をして俯いた。
そしていつもより自分の鼓動が早くなっていることを奏多は察する。
「ねえ、あの子って確か、あの神宮寺家の――」
その言葉を聞いた奏多は、はっとして顔を上げた。
すると、その先に悲しそうな顔をして自分を見つめる母の姿が目に入り、奏多は焦りを感じた。
何か弾かなきゃ……何か――!
そして奏多はバイオリンを構え、その弓で弦を弾くと、
「きゃああああああ!」
会場から女性の悲鳴が上がった。
声をした方へ視線を向ける奏多。そしてその視線の先には、腕から血を流して苦しんでいる女性の姿があったのだった。
「何が、あったの――?」
奏多は呆然と佇んで、そう呟いた。
それから会場は大混乱になり、観客たちは逃げ惑っていた。
しかし奏多だけは、呆然としたままその場から動けずにいた。
悲痛な表情を浮かべながら手当をされている女性を見ても、奏多は状況がまったく理解できていなかった。
なんであの人、あんな怪我をしているの――?
それからその女性と目が合う奏多。
どうして私のことを、そんな恐ろしいものでも見るような目で見ているの――?
奏多は戸惑いながら女性の目を見つめ、そう思うのだった。
そして、その発表会はそのまま中止になった。神宮寺奏多が引き起こした事件が原因で――。
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