第249話 切り札

 俺は、昨日の、ヴィルガとのやり取りを思い出していた。


※※※※※


「うん、疲労しきった状態でも、なんとか一分程度は戦えるようになったな。この一週間、拷問まがいのしんどい特訓に、ようここまで耐えたもんや」

「う、うす……ありがとうございます……」


 試合前日の夜。

 訓練が終わり、俺は息も絶え絶えに、ヴィルガに礼を言う。


 俺との特訓に、長時間付き合ってくれたので、彼女も相当疲れていてもおかしくないのだが、まったく疲労を感じさせない涼しげな顔で、ヴィルガは言葉を続けた。


「せやけど、結局、ウチの顔面張っ倒すまではいかんかったな……」


「はい……せいぜいで、頬をかするのが、限界でした……」


「あんたの対戦相手――アーニャが、ウチとほぼ互角の使い手なら、まあ、十中八九、顔面を捉えることはできんやろな。……しゃーない、こうなったら最後の手段や。奥の手のさらに奥に、切り札を用意しとくか」


「えっ、そんなのあるんすか?」


「うん。ただ、ものごっつ体に負担かかるから、なるべくなら使わんほうがええ」


「どんな切り札なんです? もう時間ないっすけど、今からでも覚えられますかね」


「別に、新しいことを覚える必要はないよ。切り札っちゅうても、つまりは、一回使い切ったアクセラレーションの加速モードを、最後の最後、疲れて油断した状態の敵にもう一回発動させて、あんたの使える一番速い技でぶん殴る。それだけや」


 俺は、小さくため息を吐いた。

 ヴィルガが、あり得ないことを言ったからだ。


「あの、ヴィルガさん。アクセラレーションについては、俺なんかより、あなたの方がよっぽど詳しいから、知ってるでしょ? 加速モードを一回使ったら、最低でも数時間は休まないと、再使用するなんて不可能ですよ」


「その通り。ウチにアクセラレーションを教えてくれたおっちゃんも、そう言うとったわ。なんでも、連続で加速モードを使うのは、体へのダメージが大きすぎるから、脳が無意識に制限をかけるっちゅう仕組みらしいで。……でもな、実は脳を騙して、連続で加速モードを使えるようにする裏技があるんよ」


 マジか。

 俺は、ゴクリと唾を飲み込む。


「その裏技とはな……催眠術や。ウチな、昔、催眠術師の助手のバイトをしとったことがあるから、ちぃっと催眠の真似事ができるんよ。んで、その催眠で脳のリミッターを外せば、連続で加速モードが使えるっちゅうわけや」


「はぁ……ヴィルガさん、いろいろやってるんすね」


「せや、人生いろいろや。……話し戻そか。試合終盤、疲れて油断しきった相手に、一瞬だけでもいいから加速モードを使って、左のジャブでも打ち込めば、まず間違いなく当たると思うで。ただ……」


「ただ?」


「さっきも言うたけど、本来、脳が制限をかけるほど危険なことを、催眠で無理やりリミッターを外しておこなうわけやから、体への深刻なダメージは避けられん。恐らく、最初に加速モードを使ったときの数倍の苦痛が、反動としてあんたの体を襲うやろう。……それでもやるか?」


「……やります。ジガルガを、救うためなら」


「さよか。わかった。じゃあ、今から催眠、かけたる。……でも、なるべくなら、この切り札を使うまでに、勝負を決めるんやで」


「わかりました」


※※※※※


 やりましたよ、ヴィルガさん。

 切り札を使うまでに、勝負を決めるってわけにはいかなかったけど……


 ぶっ飛んだアーニャが、リングに倒れるのとほとんど同時に、俺も、膝からリングに崩れ落ちた。


 完全なる、体力の限界だった。

 全身から、噴き上がるように汗が出ているのに、寒気を感じる。


 寒い。

 恐ろしく、寒い。

 疲労の限界を超えると、人間の体はそうなるのだろうか?

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