第248話 最後の瞬間

 何故か。


 当然だろう。

 真剣じゃないのだから。


 当然だろう。

 下等な人間程度、油断していても負けるわけがないのだから。


 その驕りが、命取りだ。


 気づいてないのか?

 何度も食らったボディ攻撃で、ご自慢の俊敏さも、随分と落ちてることに。


 いや、気づいているな。

 気づいているけど、こいつにとっちゃ、大した問題じゃないんだ。


 当然だろう。

 真剣じゃないんだから。


 究極的には、勝っても負けても、どっちでもいいのだから。


 せいぜい、最後の瞬間まで、そうやってニヤついてろ。

 そのニヤけづらに、とっておきの切り札を、食らわせてやる。


 そんなことを考えている間も、アーニャはぴーちくぱーちくと、たわいもないことを、小鳥のようにさえずっている。


 その姿がなんだか間抜けで、俺は声を殺して笑った。


「なに、その含み笑い。ちょっと、ムッとするな」


「へえ、お前でもムッとしたりするのか」


「そりゃそうさ。『楽』以外の感情が調整されてるっていっても、怒ることくらいあるんだからね」


「ふぅん、そうなのか。ふふっ」


「あっ、また笑った。なんなの、もうっ」


「お前、いつもヘラヘラしてるからな。ちょっとムッとしてるくらいの方が、可愛いと思ってさ」


「えへっ、そうかな?」


「隙ありっ!」


 最高のタイミングだった。

 おしゃべりで油断しきったアーニャの顎めがけ、ボディを狙う軌道だった右のパンチを無理やり上方に向け、渾身のアッパーカットを放つ。


 背を反らせるスウェイバックでは、もう回避不可能なタイミングだ。


 とうとう捉えたか?

 一瞬そう思うが、やはりというか、アーニャはしぶとい。


 回避を諦め、両方の手で俺のパンチを押さえ込むようにして、何とかガードをする。


 まあ、お前なら防ぐと思ってたよ。

 そこで俺は、拳を硬化させ、魔法を発動させた。


 先程から、荒い息に織り交ぜ、小声で詠唱していた、爆発の呪文。

 水晶輝竜のガントレット――その内側で小規模な爆発が起こり、ガントレットをミサイルのように発射させる。


 前回の試合でも使った、ロケットパンチだ。


 どうだ。

 この至近距離。

 この勢い。

 ガードしたアーニャの手を吹っ飛ばして、顔面に直撃するはずだ。


 行け!

 心の中で強くそう念じる。


 だが、なんとアーニャは、爆発の勢いで飛び上がってくるガントレットを、両手で握りつぶすようにして、ねじ伏せてしまった。


 それは、天に向かって飛び立つ小型ロケットを、腕の力で止めたようなものだ。


 とてつもない怪力。

 いったい、どれだけの腕力があれば、こんな芸当ができるのだろう。

 戦慄する俺に、アーニャはニタリと笑う。


「ガントレットを飛ばすこの技は、前に見たよ。僕に、同じ技が二度通じると思った?」


 それは、勝利を確信した微笑みだった。

 さらに続けて、アーニャは何かを言おうとする。

 彼女が何を言おうとしたのか、俺には分からなかった。


 その顔面を、殴り飛ばしたからだ。

 左の拳で。


 アーニャに、最初に教えてもらった、俺の使えるパンチの中で、最も速いパンチ。

 左のジャブ。


 当たった。

 とうとう当たったぞ。


 完全に油断していたのか、アーニャは笑顔のまま、数メートル先までぶっ飛んだ。

 ジャブとはいえ、水晶輝竜のガントレットを身に着けており、かなり腰の入った、ストレートパンチに近い打ち方だったから、威力は十二分だ。


『僕に、同じ技が二度通じると思った?』だって?

 もちろん、思ってなかったよ。

 いや、通じれば、それに越したことはないとは思ってたけどね。


 でも、たぶん駄目だとは、予測していた。

 お前は凄い奴だからな。

 だから、奥の手のさらに奥に、切り札を用意してたんだ。

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