第188話 いやらしい奴

 くすくす笑いながら、自分の首をトントンと叩くようなジェスチャーをするアーニャ。


 実際、大慌てで俺の背後に回った動きを考えると、お世辞ではなく、案外本心から言っているのかもしれない。


 ……わりと良い勝負か。

 それはあくまで、アーニャが子供状態になり、パワー・スピード・防御力が激減した状態での話であり、もともとの状態なら、俺は文字通り、手も足も出なかっただろう。


 クソッ。

 俺は、自分の弱さが情けなくて、俯き、唇を噛む。

 必殺技を身につけ、ジョン・ブロップのような強敵を倒し、一人で盗賊団を壊滅させたことで、少しは強くなったとうぬぼれていた。


 しかし世の中、上には上が、いくらでもいるということを、思い知らされた。

 たとえ、水晶輝竜のガントレットのような凄い武器を装備していても、アーニャには勝てなかっただろう。


 あの鋭く無駄のない動き。

 俺の攻撃が当たるイメージが、まったくわかない。


 もう何度も思ったことだが、そもそもこいつ、いったい何者なんだ?


 お前は、なんなんだ? お前のご主人様って、誰なんだ?

 そう問おうとして、再び顔を上げたころには、もうアーニャの姿はなかった。


 木々の切れ目から、風の音に混ざって、声が聞こえてくる。


「今日は疲れただろうし、ゆっくり休みなよ。……もうちょっと強くなったら、また遊ぼうね。僕たち、もう友達なんだし」


 何が友達だ。

 ご主人様に『もういい、こいつを見るのにも飽きたから殺せ』とでも命じられれば、きっと躊躇なく俺を殺すくせに。


 どうせ、姿を消したように見せても、どこかから俺を見ているんだろう。


 いやらしい奴。

 お前なんか友達じゃない。

 そう怒鳴りたかったが、声を張り上げる気力は、もう残っていなかった。


 のそのそと立ち上がり、俺は帰路に就く。


 その道中、気がついてしまった。

 腹を殴られたり、首を絞められたりはしたものの、後に残るようなダメージがまったくないことに。


『大丈夫。安心してね。怪我させたりしないから。ちょっと遊ぶだけだよ』


 ……結局、最初にあいつが言った通りになっちまったってわけだ。


 俺は再び、唇を噛んだ。

 ただ、ただ、悔しかった。


 こうして、まだ早朝だというのに、丸一日働いたような疲労感を持って、俺は宿に帰ったのだった。



 ブロップ一家を壊滅させたことで、格闘士認定試験には無事合格し、冒険者ギルドからも、正式に報酬を貰うことができた。


 報酬の袋を開いて中身を見た時、俺は思わず「わっ」と声を上げてしまった。しばらく働かなくていいほどの、大金が詰まっていたからだ。


 ブロップ一家は、最近になって盗賊行為を活発化させており、複数の有力商人から、奴らを捕まえてほしいという依頼が集まっていたので、誰よりも早く、一人でブロップ一家全員を拘束した俺が、依頼金を総取りすることになったというわけらしい。


 予想以上の臨時収入に、本来なら浮かれて遊びにでも行くところだが、『ご主人様』とやらの指示により、突然牙を剥いて来たアーニャのことを思いだすと、どうにも俺の心は晴れなかった。


 あれから三日間、なんとなくジムに行く気にもならず、適当に街をぶらついたり、本を読んだりして過ごしている。


 そして、今はそれにも飽き、ベッドで何をするでもなく、ぼーっとしていた。


「いい若者が、昼間からベッドでゴロゴロか。感心せんな」


 枕元。

 頭の後ろで、声がする。

 振り返らなくても、それがジガルガのものであることは、すぐにわかった。

 俺は、ぞんざいに返事をする。


「ほっといてくれよ。ちょっと嫌なことがあって、アンニュイな気分なんだ」

「ほう。……何があったのか、記憶を見せてもらってもいいかな?」

「どうぞ」

「うむ」


 そう言うと、ジガルガはとてとてと正面に回って来て、俺の額に小さな頭を当てた。

 数秒後、記憶を読み取り終えたジガルガが、軽くため息を吐く。


「やはりな。我の言った通りであろう? あのアーニャとやらは、主人の指示次第で、どんな命令でも躊躇なくやってのける危険人物だ。決して油断していい相手ではない」

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