第179話 必殺のタイミング

 しかし、奴が一瞬とはいえ、視線を酒瓶の方に移したおかげで、テーブルの近くに移動する時間ができた。


 俺はテーブルから、ビールらしき液体の入ったジョッキを取り、ジョンに投げつける。


 さあ、どうする?

 かわすかい?

 それとも受けるかい?


 どちらでもいい。

 奴が何かアクションを起こしたら、その隙を狙って、白銀の刃をぶち込んでやる。


 しかし、ジョンの選択はそのどちらでもなかった。

 直立不動。

 ジョッキはジョンの頭にゴンと当たり、彼の上半身はビールまみれになった。


 額から垂れ落ちるビールを、舌を伸ばして舐めとり、瞳をつぶったまま、ジョンは半笑いで言う。


「もったいねえ。けっこう良いビールなんだぜ、これ」

「そりゃ失礼した」


 チャンスだ。

 かわすでも受けるでもない――直立不動という選択肢を取ったことで、隙を作らなかったつもりなのかもしれないが、そいつは大間違いだ。


 目にビールが入っちゃ、まともに攻撃を避けることなんてできやしないだろう。


 脱力。

 腕を軟質化。

 それっ、くらえっ!


 凶器と化した拳が、ジョンの眉間めがけ、唸りを上げて飛んでいく。

 必殺のタイミングだ。


 ガギィンッ!

 硬い炸裂音と共に、強烈な手ごたえを拳に感じる。


 勝った――

 白銀の刃がまともに眉間を直撃して、立っていられる人間などいるはずがない。

 超高速の鉄の塊で、ぶっ叩かれたようなもんだからな。


 だが、そこで奇妙な違和感を覚えた。

 さっきの、炸裂音。

『ガギィンッ!』だって?

 鉄の塊で、人間の頭を叩いて、そんな音がするだろうか?


 そう思ったときには、もう遅かった。

 猛牛そっくりの勢いで突進してきたジョンに、俺は抱きしめられていた。


 いや、抱きしめるなんて、可愛らしい状態じゃない。

 プロレスでいうところの、ベア・ハッグである。

 凄まじい腕力で体を締め上げられ、俺は顔面を青く染めながら、短く呻いた。


「ぐぁ……っ!? な、なんでっ……頭に直撃したのにっ」


 ジョンは、割れた眉間からダラダラと血を流しながら、笑う。

 額から鼻、鼻から唇にかけて出血で真っ赤であり、まるで赤鬼だ。


「いや、おでれえたよ。本当さ。一瞬だが、完全に意識が飛んだ。すげえ技だ。まさか、腕が伸びてくるなんてな。こいつで、ベロー兄弟をやったんだな。いや、すげえよ、お嬢ちゃん。たいした必殺技だ。俺が改造人間じゃなきゃ、今ので勝負がついてたよ」

「改造人間だって? うがっ……!」


 話しながらも、ギリギリと締め上げられ、背骨がきしみ、俺は悲鳴を上げる。

 ジョンは、先程ビールを舐めとったように、垂れ落ちる赤い血液を、ぺろりと舐め上げた。


「さっき話しただろ? 世の中には、強くなるために自分の体をいじくりまわしてるような、いかれた奴がいるってさ。……俺も、そのいかれた連中の一人さ。もう十年以上前に手術してね、頭蓋骨と心臓周辺、そして肋骨の周りに、魔法で強化錬成された超合金を埋め込んであるのさ。鎧みたいにね」


「そ、そんなのありかよ……っ!? ずりーぞっ!」


「おいおい、お嬢ちゃんがそれを言うのかい? 腕が伸びるなんて、俺から見てもずるくていかれた改造だと思うがね。……さて、どうするかね。このまま本気で締め上げりゃ、一分もしないうちに、お嬢ちゃんの背骨を折ることはできる。殺しはやらない主義だが、頭を割られた以上、さすがにタダで帰してやるわけにもいかんよなあ」


 クソッ。

 なんてザマだ。

 白銀の刃が決まって、勝負がついたと油断した。

 奴がぶっ倒れるまで気を抜かなけりゃ、こうも簡単に捕まることはなかったのに。

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