第177話 獰猛な笑み

 しかし、俺の年齢がどうしたというのか。

 俺の訝しげな視線に気づき、ジョンは気恥ずかしそうに苦笑した。


「いや、ごめんね。別に深い意味はないんだよ。ただ、おじさんの娘と、ちょうど同じくらいの年齢だからさ」

「娘がいるなら、盗賊なんかやめて、ちゃんとした仕事に就けよな」


 思わず、偉そうなことを言ってしまう。

 40過ぎた男が、小娘にお説教されるのは、さぞ不愉快に違いない。

 だがジョンは、別段気分を害した様子もなく、言葉を続ける。


「おっしゃる通り。でもおじさん、頭が良くないから、他にできる仕事なくってねえ」

「そうでもないだろ? そのガタイなら、肉体労働でもなんでも、いくらでもまともな働き口はある」


 そこで初めて、ジョンの柔和な顔に、獰猛な笑みが浮かんだ。

 それは、野生の猛獣を思わせる笑いだった。

 背筋に、ゾクリと悪寒が走る。


「いや、あのね。頭が良くないって言ったのは、頭が悪いって意味だけじゃなくってさ。気性的な意味もあるんだよ。つまりさ、おじさん、普段はほら、こんな感じで、普通にお話しできるんだけどね。割と、すぐカッとなっちゃうっていうかさ。頭に血が上るとさ、もう、駄目なんだよ」


 言いながら、ジョンは床に倒れているベロー兄弟に目をやった。

 その瞳は、もう笑っていなかった。

 ジョンは俺を睨みつけて、今までとはまるで違う、地の底から響くような低い声を轟かせる。


「このガキ……よくも俺の可愛い手下をやりやがったな……ただじゃすまさねえぞ……」


 大声ではないが、内臓の底まで届きそうな、迫力のある声だった。

 なるほど、普段は温和だが、ちょっとしたきっかけでキレちまうタイプってことか。

 そりゃ、まともな社会じゃ生きていけんわな。


 しかし、正直言って、これだけ敵意をむき出しにしてくれた方が、俺としてはありがたい。

 先程までのように柔和で気さくな態度だと、戦う気持ちになんてなれそうもなかったからだ。


 ジョンが立ち上がった。


 どうする。

 このまま室内で戦うか?

 それとも、外におびき出して戦うか?


 決まってる。

 室内だ。


 190cm近い巨体だ。狭い室内で戦うのは、さぞ窮屈だろうぜ。

 狭い室内と言っても、俺の体格なら、この程度の広さがあれば縦横無尽に駆け回ることができる。


 俺が、圧倒的に有利だ。

 先制攻撃を仕掛けてやる。

 俺は素早くジョンにダッシュすると、彼の前足に蹴り――ローキックを放った。


 命中。

 手ごたえあり。

 しかし、ジョンは蚊に刺されたほども感じていないようで、冷たい瞳で俺を見下ろしている。


 まあ、無理もないか。

 体格に差があり過ぎる。

 俺の打撃など、まずこいつには通用しないだろう。


 やはり、この大男を倒そうと思ったら、急所に白銀の刃を叩き込むしかない。

 その時、顔面に何かが迫った。

 直撃寸前、コンマ数秒の差で身をよじり、その『何か』をかわす。


 背筋を、冷や汗が流れ落ちた。

 その『何か』とは、岩石のような、ジョンの拳だった。


 こいつ、この巨体でなんてスピードだ。

 目の前に迫るまで、パンチの予備動作すらも感じなかった。


 ジョンはすでに、二発目のパンチを打とうとしている。

 熟練された格闘技者独特の、無駄のない動きだ。

 アーニャが言っていた、『地方の武術大会でベスト4に入った』という経歴は嘘じゃないらしい。


 連続攻撃を受けるのは避けたい。

 俺は慌てて距離を取る。

 ジョンが追いかけてきた。


 馬鹿め。

 前に出てきたジョンの足――その親指を、思い切り踏み抜いてやる。


 どうだ。

 いくら体格差があっても、指をピンポイントで攻撃されるのはこたえるだろう。


 ジョンの奴は素足だが、俺は頑丈な革靴を履いている。

 普通なら、のたうちまわるくらいの激痛を感じるはずだ。


 案の定、ジョンの顔は一瞬苦痛に歪んだ。


 しかしジョンは止まらなかった。

 驚いたことに、大してダメージを受けていないらしい。

 猛然と俺に迫り、腰の入った良いパンチで再び顔面を狙ってくる。

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