第111話 今日は良い日

「そんなこと、ありませんよ。永久に」

「えっ?」

「だって彼、つい先日、死にましたから。アドロロさんの集落が襲われた時、彼も通商のために、留まっていたんです」


 まるで石を吐くように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐと、ソゥラは頭を下げ、テントを出て行った。

 残されたのは、俺と、レニエルと、イングリッドと、重たい雰囲気だけ。

 レニエルが、呆れたように言った。


「ナ、ナナリーさん……どうして、ああいうこと、聞くんですか。もの凄く、気まずかったじゃないですか……」


「だ、だって、気になったんだもん……まさか、服を贈ってくれた商人が、死んでるなんて思わないし……」


「それにしたって、途中でソゥラさんの顔色が変わったときに、話を切り上げることもできたじゃないですか」


「えっ? 顔色、変わってた? いつ?」


「イハーデンの商人さんからの、贈り物だって言ったときですよ。明らかに、辛そうだったじゃないですか」


「マジで……? 全然気づかなかった……」


「はぁ、ナナリーさんって、そういうところ、ありますよね」


「そういうところって何! そんな、遠回しな言い方されると、なんかやだ! もう寝る!」


 まだ寝るには早い時間なのだが、俺はふて腐れたように横たわる。

 うげっ。

 重い。

 なんだ?

 何かが、覆いかぶさって来た。


 うっ、酒くさい……

 その匂いで、大体の事情は分かった。

 先程、話をしながら、ソゥラが持ってきたスーリアの地酒を、イングリッドが一人でがぶ飲みしていたからだ。


「うへへぇ~……あなたぁ~……私も一緒に寝る~……」

「近寄んな酔っ払い! お前、一人でどんだけ飲んだんだよ!」


 レニエルが、転がっていた酒瓶を見て、ため息をつく。


「ど、どうやら、全部飲んでしまったようですね」


 アホだこいつ……10分かそこらで、一升瓶サイズの酒を、全部飲んじまったのか。


「まあ、俺は別に、酒飲まないからいいけどさあ……なんでも、節度ってもんがあんだろ……」


「うへへへぇ~……あなたぁ~……しゅきしゅきぃ~……」


「だから、近寄って、スリスリすんなって! 酒くさいから!」


「やらぁ~……もっとしゅりしゅりする~……だってぇ~……今日は良い日だから~」


 怒涛のスリスリ攻撃を受けながら、俺はイングリッドを引きはがそうとするが、腕力の違いは歴然。一瞬で俺はイングリッド専用抱き枕と化すことを余儀なくされた。


 もはや抵抗は無意味だ。こうなったら、スリスリだけでも止めるため、俺はイングリッドに話しかける。喋ってれば、スリスリはできまい。


「良い日? どうして?」


「だってぇ~……あなたが初めて、私の名前を呼んでくれたから~……『やるじゃん、イングリッド』って~」


「えっ? そう? そうだっけ? でも、初めてってこたないだろ」


「初めてだよぉ~……ずっと呼んでもらえるのを待ってたのに~……いつも、『おい』とか『なあ』しか言ってくれないんだもん~……」


「言われてみれば、そうかもしれないな。……でも、そう言うお前こそ、俺の名前、呼んだことないんじゃないか? いつも、『あなた』としか言わないだろ」


「だってぇ~……名前を呼ぶの、恥ずかしいんだもん~……」


 なんじゃそりゃ。

 結局その後、たっぷり三十分はスリスリゴソゴソナメナメされ、その後、イングリッドは寝てしまった。


 む、無駄に疲れた。

 転がっている酒瓶をひっくり返すと、一滴だけ、手のひらに雫が落ちた。

 俺は、ぺろりとそれを舐めてみる。

 うっ、こりゃ、相当に強い酒だ。

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