第17話 なぜ逃げる

 我ながら、やけにテンションが上がっていると思う。

 こうして、人間の体で、落ち着いて風呂にはいれるのが相当に嬉しいらしい。


 魔物だったときは、大して風呂を恋しいとも思わなかったが、前世の俺は思った以上の風呂好きだったようだ。


 俺の異様なテンションに、若干引き気味のレニエルの手を引いて、湯気の出ている民家に到着すると、コンコンと二回ノックする。


 しばらくして、中から老婦人が現れた。


「おや、お嬢ちゃんたち、何か用かい?」


 気のよさそうな人だ。

 俺は、自分でもびっくりするような猫なで声で、頼み込む。


「あのぉ~……、私たち、旅の者なんですが、その、良かったら、お風呂を貸していただけないでしょうか。もう長らく湯船に浸かっていないので、身も心もボロボロなんですぅ……」

「ナナリーさん、いつもぶっきらぼうですけど、そんな甘えたような声も出せるんですね……」


 呆れたような、感心したような顔のレニエルは放っておいて、俺は哀訴を続ける。


 老婦人は、事情がよく分からないといった感じで、黙って俺の話を聞いていたが、少しして、やっと合点がいった様子で、申し訳なさそうな笑顔を作った。


「ああ、もしかして、この家から出てる煙を、湯気だと勘違いしたのかい? ぬか喜びさせて、悪かったねえ。実は今、大鍋で薬草の調合をしてるんだよ。だから、風呂を沸かした時みたいに煙がいっぱい出たのさ」


 ガーンである。

 俺は、へたり込んだ。

 せっかく風呂に入れると思ったのに……


 見るからにショックを受けた様子の俺を見かねたように、老婦人は言葉を続ける。


「そんなに風呂に入りたいなら、町から少し離れたところにある窪地に温泉がある。この町の者は、皆あそこで湯浴みするんだよ。今は暗いから危ないが、明るくなったら行ってみるといいよ」


 素晴らしい情報だ。

 俺は老婦人に詳しく場所を聞くと、礼を言って、家を出た。


「よし、今から行ってみようぜ。温泉かぁ、いいなぁ~♪」


 自然と、声が弾む。

 俺のハイテンションとは反対に、レニエルは窘めるように言う。


「でも、お婆さんが、今は暗いから危ないって言ってたじゃないですか」

「大丈夫だって、この辺りに、そんな強い魔物なんていないし」

「明日の朝まで待てないんですか?」

「待てない。今はいりたい」


 駄々っ子同然の俺の態度に、小さくため息をつくレニエル。


 しかし、しばらく説得すると折れてくれたので、俺たちは窪地にある温泉とやらに向かった。

 雲が晴れ、月明かりがそれなりに強いことと、老婦人の説明が良かったこともあり、温泉はすぐに見つかった。


 町の住民たちが作ったのか、簡素な脱衣場のある、石造りの露天風呂だ。


 鼻腔をくすぐる硫黄の香りに、俺の興奮は最高潮に達した。

 たまらずに服と下着を脱ぎ捨てると、背後でレニエルが「はしたない」だの「隠してください」だのと叫んでいたが、俺の耳にその言葉はまったく届かなかった。


 温泉に駆け寄り、足の先でちょいちょいとお湯の温度を確認する。

 うん。ちょっと熱いけど、入れないことはない温度だ。

 右足から、ゆっくりとお湯に入り、肩まで体を浸からせた時、たまらない声が喉の奥から溢れ出た。


「はあぁぁぁぁぁ~……♪ たまらん……極楽だ……♪」


 疲れた体にお湯が染み渡り、頭が溶けそうなほど気持ちいい。

 乳白色に濁ったお湯を手ですくい、ゴシゴシと顔を洗うと、今日一日の疲れが吹っ飛ぶようだ。


 おや。

 濃い湯煙の向こうに、小さな人影が。

 どうやら、レニエルの奴も服を脱いで、温泉に入って来たらしい。


 俺は、ざぶざぶとお湯をかき分け、そちらに向かう。

 すると、人影がすぅーっと俺から離れていく。

 不可解なレニエルの行動に、俺は眉をひそめて言った。


「おい、どうした。俺だよ俺。なんで逃げるんだよ」

「駄目です、それ以上近づかないでください。これくらい離れていれば、お互いの姿が、ちょうど湯煙で隠れます。このまま、一定の距離を保って入浴しましょう」

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