第16話 お風呂に入りたい

 早速宿に部屋を取ると、俺は靴をポイポイッと脱ぎ捨て、ベッドに飛び乗った。


 やれやれ、自慢のおみ足が、歩きすぎて棒みたいになってるぜ。

 自分で軽くマッサージをすると、自然と呆けた声が出た。


「はぁ~、疲れた。足には自信があるが、今日はたっぷりと移動したからな。さすがの俺もヘトヘトだ」

「そうですね。僕も、こんなに歩いたのは生まれて初めてです。かなり汗をかきましたから、お風呂に入りたいところですが、この宿には浴場がないようですね。残念です」


 レニエルは俺と違って、脱いだ靴を綺麗に揃えると、向かいのベッドにちょこんと腰かけた。

 それから、丁寧に襟を正し、しゃんとした姿勢を保っている。


 他の宿泊客は誰もいないのだから、もっとリラックスすればいいのに。

 まったく、どこまでも折り目正しい子供だ。


「お風呂かぁ、いいね~。生まれてこの方、水浴びしかしたことないから、温かい湯船にゆっくり浸かりたいな~」


 もちろん前世では、風呂に入ったことはあるのだろう。

 しかし、シルバーメタルゼリーに転生してからは、人間様のお風呂で落ち着いて入浴などできるはずもなく、一度も風呂に入ったことがない。


 まあ、魔物だった頃は、そこまで風呂に入りたいとも思わなかったけどね。

 ぷよぷよぶよぶよの不定形な体だから、洗う必要もないし。


 だが、そんな俺の事情を知らないレニエルは、憐憫れんびんの情がたっぷり詰まった眼差しをこちらに向けてきた。


「年若い女性が、水浴びしかしたことがないなんて、ナナリーさん、今までいったいどんな暮らしを……」

「おいやめろ、そんな憐れんだ目で俺を見るんじゃない。別に、たまたまだよ、たまたま。世の中広いんだ。風呂に入ったことのない女が、一人くらい、いたっていいだろ」


 同情はするのもされるのもあんまり好きじゃない。


 俺は、軽くため息を吐き、額にかかった銀色の前髪をかき上げ、窓の外に目をやる。太陽はすっかり沈んでおり、民家の明かり以外は、見渡す限り夜の闇である。


 ふと、あるものが目に入った。

 月明かりにぼんやりと照らされた、煙である。

 どうやら、近くの民家から出ているようだ。


 一瞬、火事かと思ったが、それにしちゃ慌てた様子が全くない。

 こんな小さな町だ、一軒でも火事になったら、上を下への大騒動になるだろう。


 となると、煮炊きの煙か?

 いや、それにしちゃ煙の量が多いな。

 と、いうことは――


「なあ、おい。あれ、もしかして湯気じゃないか?」

「えっ? ……ああ、そうかもしれないですね。きっと、住民の方が、お風呂に入っているんでしょう」


 俺は、いいこと思いついたという感じで、にししと笑った。


「あの、ナナリーさん、どうかしましたか?」


「なあ、ちょっと行って、俺たちも風呂に混ぜてもらおうぜ」


「えぇっ……そんな図々しいこと……」


「大丈夫だって、若い女二人が『お風呂に入れてください~』って来て、断る奴なんてそうはいないって」


「僕は男なんですけど」


「そうだった、ごめん。まあ、それはそれとして、行くだけ行ってみようぜ。お前もさっき、風呂に入りたいって言ってたじゃないか。な? ちょっとでも迷惑がられたら、俺も諦めるからさ」


「は、はぁ……ナナリーさんが、そこまで言うなら……」


「よし、決まり! んじゃ、早速行こう!」


 そう言って、脱いだばかりの靴を履きなおすと、俺はレニエルを伴って部屋を飛び出した。

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