梅雨空の下で
「さいきんさ」
今にも降り出しそうな曇天の下、気怠い湿度と肌にべたつく生暖かい風。きっとこの風が止んだら、冷たいのか暖かいのか分からないような雨が降るのだろう。
「さいきんさ」
やっと絞り出すようにして、彼女は再び言葉を紡ごうとする。
「なに?」
天気が悪いだけで気分の良くない僕はつっけどんにそう返事をした。
彼女が怯えた猫のような顔で此方を見るからわざと目を逸らす。
少しだけ歩くペースを速めてみる。
「…」
湿度で重苦しい。何か言葉を掛けようとしているようだけれど、口を開くのも億劫だった。この季節は嫌いだ。
「…待ってよ。」
か細い声で後ろから声を掛けてくる。必死に追いつこうとする姿は雨に濡れた野良犬の様だ。はっきりしない様子にまたいら立つ。
「なに?さきから。何か言いたいことあるの?」
きっ、と正面に顔を向けて問いただしてみる。彼女は目を逸らし俯きがちに地面を眺める。ぽつっぽつっ、数滴の雫が路面に黒い点を描き始め
「…さいきんさ…なんでつめたいの…?」
おびえた子犬のような目で此方を伺ってくる。真正面から見つめ返すとやはり目を逸らす。
彼女にこんな表情をさせてしまっている自分に自己嫌悪する。と同時にどこか冷めたような気持ちを再度確認する。
「…好きってさ、なんなんだろうね。」
「…え…?」
風で騒がしかった辺りが少しずつ静かになる。
「僕は君のことを好きだと思っていた。でも好きだってのがよく分からないんだ。君は僕のこと好きかい?」
「なんでそんなこと言うの…?」
自分が何を言われているのか分からないという表情をする彼女に、僕は自分の中でふっと冷たい気持ちを感じた。
再び歩き出そうと背中を向ける。
「…待って…好き。好きだから。」
「…へえ、じゃあ教えてよ。好きって何?」
彼女の方を向かずにただ静かにそう尋ねた。
「…わかんない。わかんないけど…」
そう言って再び黙りこくる。
「…たぶん君が言う好きは、好きでいて欲しいということなんだ。寂しいから、側に誰かいて欲しいから、…誰でもいいから、自分を見つめる誰かが欲しい。僕を好きというより、僕でいいから側にいて欲しい、そんな感じかな。」
背中を向けたまま、彼女が息を飲む様子が伺えた。
分かっている、こんなことを彼女に言ったところでただの八つ当たりだ。
「僕の好きだってそうだ、別に君じゃなくて良かった。ただ一緒に側にいて笑ってくれる誰かが居ればいい、そんな風に思ってた。でもそれってただセックスしたいのと殆ど一緒なんだよ。」
「…意味わかんない。何言ってるの?さっきから、ぜんぜんっわかんない。」
黙っていた彼女が怒気をはらんだ声で聞いてくる。
「君が僕じゃなくていいように、僕も君じゃなくていい。」
「極論人間の好きだ嫌いだ、なんてただの勘違い。生き物の遺伝子を残したいがためのまがい物さ。」
雨が強く降ってきた。路面は真っ黒になっていた。
「そんな感情に支配されるのが馬鹿らしく思えてきたんだ。」
そう言ってさっきから何も言わない彼女の方に少しだけ振り返ろうとする。
右の頬を思いっきり殴られた。グーで。尻もちをついた。
彼女はびしょ濡れで、顔から汗か鼻水か涙か雨か。
「…馬鹿じゃないの?頭いいのに一周回ってほんとバカ。」
そういって、鞄を拾い上げて、行ってしまった。
冷たいのか暖かいのか分からない土砂降りの雨の中、ちょっとだけ気分が晴れた。
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