花谷ジャンザリと不思議な夢

 ノゼリーナがタイムトラベルに出発してから、僕は緊張とともに長く静かな時間を天方家で一人過ごしていた。

 主人を失った天方家にいる人間は、僕一人で。複数のAIを従えて管理する。

 特に、今回のタイムトラベルのメインAI『メティス』の動向を確認するのは、最重要事項だった。

『メティス』は出発の日に多大な演算を行い、その後は領域を確保しながら待機している。ほとんど活動を見せずに心配になるが、時折行われるセルフチェックに『メティス』の無事を知る。貯蓄エネルギー量は日々減少してはきているが、想定量であり、まだ予定日程の滞在と帰還のために十分な蓄えがあった。


 何か、あったんだろうか。ノゼリーナは不自然なほど『メティス』に接触していない。

 胸が騒いで落ち着かない気分になるが、『メティス』が壊れたりせずに無事なのは確かなので、最悪の事態は起こっていないのではないかと救いのある推測をしている。


 もし何かがあったならば……例えば、何らかの理由でノゼリーナが到着したのが違う座標だったとしたら。タイムマシンはいつだって稼働でき、帰還は容易い。

 もし時の運営上で不都合で未来の管理者に捕まるような事があったなら、『メティス』は真っ先に停止されるだろう。

 もしノゼリーナが何かトラブルにみまわれて、『メティス』に接触できないのだとしたら、一定の時間に定期的にセルフチェックを行わせることはできない。『メティス』は消費エネルギー量の削減のために、自動プログラムは最少に抑えているのだ。

 つまり、ノゼリーナは帰還できる状況下にいるだろう。

 そう思ってはいるのに。

 少し目を離した隙にノゼリーナに何かあったらという不安が胸の内を占めていて、僕はここの所ほとんど眠れていなかった。



 眠れないのは、それだけではない。

 夢を見るのだ。


 天方家の地下研究室。いつもは主であるノゼリーナが常に住み着いているようなその空間には静寂が満ちている。時折音声でAIに指示を出す僕の声以外に音は無かった。

 ノゼリーナがいない僕は、少し怠惰だ。

 パネルを複数展開して、管理画面を眺めながら、適当な保存食を齧る。

 普段は家事家政を生業としているのに、食事を作るのも億劫で、片づけるのもまた面倒くさくて、テーブルの上が埋まってからようやく重い腰を上げる。

 出来得る限りを情報管理に費やして、疲労がたまると長椅子で仮眠を取った。


 そうすると、夢を見る。


 そこは冬の空の下で。さざめく葉擦れの響く木の根元で。

 空から降ってきた少女を見つめて高揚する青年がいる。


 目が覚めると、それはノゼリーナとあのフィルムの青年だと気付く。

 胸が騒いだ。

 もしかしたら、ノゼリーナはあの青年に接触してしまったのかもしれない。

 観察以上の行為の安全性は何一つ確立されていない。接触が引き起こす可能性があるリスクなら、無限に挙げられるくらいだった。


 もしそうだったら……。

 だけど、これは夢だ。事実な訳じゃない。

 そう自分に言い聞かせて、ひたすら物言わぬ『メティス』の動向を探った。


 そして、また束の間の眠りに落ちると、夢を見る。


 青年はいつも自分の不甲斐なさに悩んでいて、自信がなくて、他人に辛いと言う事ができない。

 少女はそんな青年にとても優しい笑顔を向けて、荒んだ寂しい気持ちを慰めてくれる。

 夢みたいな彼女の存在を、自分だけが知っている。

 青年の心は浮き立っている。



 僕は心底ぞっとしてきていた。

 この夢は、何なんだろう。僕は誰かに、何かに、干渉されているのだろうか。

 そう思えるくらいにリアルだった。

 ノゼリーナの弾んだ声も、言葉も、蕩けるような笑顔も、僕が見たことがない涙さえも。


 混乱と嫉妬。

 この夢がただの夢なのか、それとも、どういった経緯でか僕に送られてきたものなのか。

 事実なのか、虚構なのか。

 冷静に考えるべきなのに、混乱した。現実の訳がないと叫びたかったし、ただの夢とするのも非現実的な気がする。

 そして、僕がずっと側にいて見つめ続けていたノゼリーナが、青年に恋をしていることに、胸をかきむしりたい位に嫉妬した。



 そうして過ごすDay3の夜。

 度々夢に現れる二人の姿に疲れ果て、明日はノゼリーナが帰還するはずだと縋る思いでモニターを眺めつづけた。

 ノゼリーナの姿が見たい。例え、彼女が選んだのが僕じゃなくても。

 ノゼリーナの側にいたい。どれだけでも役に立ってみせるから。



 だけどDay3の夜にも、『メティス』は沈黙を保っている。

 セルフチェックにすらアクセスされた様子はなかった。

 あのノゼリーナが、準備を怠る訳なんてない。

 彼女は天才科学者で、それでいて研究のプロなのだ。最大限に不確定要素を排除して成功を導くための努力を怠った事はない。


 目の裏に、涙を零しながら抱きしめあう二人の姿が過った。


 ノゼリーナは帰ってこないかもしれない。

 不安に追い立てられて、僕は再計算を始めた。

『メティス』に集められたエネルギーは最長で5日分。だが、3日を想定していたため、その後の検証は期間内ほど確かではない。


 ノゼリーナを失う事なんて考えられない。

 だから、僕は僕に出来得る最大限の手を打つことにしたのだ。そうしなければ、いてもたってもいられなかった。

 それが杞憂で、ノゼリーナに呆れたように笑われたならいいのにと、強く思いながら。

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