想定と予想外

 Day3、午後に今日も春人と一緒に公園へ向かう。



 春人は午前中は大学に行くということだった。その間に持参のコンピューターの点検と、間借りした旧世界の一室の調査を行った。

 千年後には予想程度しか残っていなかった『旧世界』の文明を心行くまで調べ上げることができるのは、とても有意義な時間だった。


 といっても、この情報は『旧世界』の長い歴史の一部であり、標準的な見解には値しない。ピンポイントを抜き出した詳細な情報は、多くのデータの中の一部として有用、との位置づけだ。

 データは形に残して持ち帰ることができない。そうした場合にそれが、私たちの時間軸にどういう影響を与えるかわからないからだ。故に私の記憶に刻める範囲が限界といえる。

 それでも文化の欠片をその目で見ることができるというのは、多くの歴史学者にとって夢のような事である。この場に母がいたならば、きっと飛び回って情報収集にせいをだしていたことだろう。


 コンピューターのメンテナンスに割く時間は、正直、想定外の短縮を余儀なくされていた。本来の予定としては、行動は観察のみだったのだ。それ以外の時間は全て猶予として計算していた。

 セルフチェックは怠らないものの、綿密に手を加えたチェックは行えていない。十分準備を重ねてきて、エラーが起こっていない事が救いである。


 予想もしていなかった状態下で。春人とはほとんどずっと一緒に過ごしている。

 春人に用事がない限り、彼の演じる姿を見つめ、彼とたくさんの話をして。同じ建物の違う部屋へと就寝の挨拶を交わして戻る。私を気遣って春人は出来る限りで側にいてくれていた。

 その目をかいくぐってできる事はごく僅か。春人を遠ざければ幾らでも時間は手に入るのかもしれない。

 でも、春人は私にエンターテインメントのような非現実性を見だしているようだった。親しみを込めて私を見る楽しそうな春人の姿を見ていると、どうしても離れようとは思えなかった。


 これは一時の夢。最初で最後のチャンス。もうほんの少しだけで、霧散する夢だ。

 恋に身を滅ぼされた者は多いと、太古の昔から詩人も哲学者も語る。

 それはこんな気持ちだったのだと、私は実感していた。

 研究だけを生きがいとし、人間よりも機械と生きてきた天方ノゼリーナが、こうも容易く全てを投げうってしまうのだ。



 しかし、本日はDay3。想定は3日間、72時間ほどであったから、明日の午前中には私は自分の時間軸へと戻る予定なのだ。心を決めなければならない。



 午後の公園は、薄曇り。雨が降ってくる前に、背景に違和感がない部分の撮影を行うらしい。

 春人の仲間たちが集まって賑やかに話を交わすのを、私は今日も遠目に見ている。

 各々の予定が異なって、毎日全員は集まらないものらしい。昨日見なかった顔もあれば、記憶しているのにいない顔もあった。


 人気のない遊歩道。冬枯れの中にざわめく常緑樹。数多くない冬咲きの花が足元を彩っている中で、『ナナミ』と主人公が抱き合っている。

 ここからは覗けない表情や言葉が、きっとあのフィルムにも刻まれていた。きっととても美しい光景だった。

 それなのに、それを見守る春人の顔だけが私には焼き付いた。

 瞳の熱は消え失せず、どこか泣きそうな程に切なげなのに、口許は笑っている。


 どうして誰も、気づかないのだろう。

 悲しくて、苦しくて、思わず眉間に皺が寄った。なぜだろう。不思議になる。

 春人が好きなあの人に、気づいて欲しい訳じゃない。

 それ以外の人に知られる事は、きっと春人は望んでいない。

 なのに、春人があんな顔をしているのがひどく辛い。

 私だってこんなにも叶わぬ恋をしてるのに。


 人の心は永遠に解明不能。いくつものAIがどれだけニューロンを模したとしても、その電磁ネットワークでは紡げない。

 バグだらけで、断片化と無駄な領域で占められていて、それでいてそれに方向性を左右されたりもする。

 恋というものは、それの最たるものなんだと理解した。

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