後藤春人の秘めたもの
Day2、すなわち次の日。春人と一緒に広い公園にやってきた私は、彼らが演じる様子を、遠くから眺めた。
他の人間に見つかる訳にはいかないから、近寄りすぎずに木の元の茂みに潜む。春人は少し驚いたようだったけど、それもまた物語みたいで面白いと笑って止めることはなかった。
そして彼を観察する事1日。モニターの向こう、春人が見ていたものがわかるようになった。
長い髪の、物語のヒロイン『ナナミ』。それを演じている彼女は地味な顔をしているが、清楚で可愛らしい。
「かなこちゃん、本当に上手だね。今のところ、ナナミが乗り移ってたみたいだったよ」
春人の頬が、うっすらと色付いて解けた。まるで冬が駆け足で逃げ出して、春が慌ててやってきたみたいだった。
「春人くんも、すごいいイイよ。全くの別人みたいだもん。ねえ、本当にもうこれでお芝居止めちゃうの?」
汚れなき天使のような少女『かなこ』は、その大きな目で春人を見上げる。春人はばつが悪そうにほんの少し歪んだ笑いを浮かべた。
「僕は、そんなに才能ある訳じゃないし、就職先は結構大変って先輩情報もあるしさ」
歯切れ悪く紡いだ言葉の先は、少し卑屈な笑いに飲み込まれた。
私が知った春人の新しい顔だった。
「かなこ、ここだけどさ」
背の高い、どっしりと構えた大人がかなこを迎えにきて、二人の会話は途切れる。
「ここは、もっと控えめにした方がいいんじゃない?その後の反動を大きく見せるために……」
彼がかなこに詰め寄る距離は、他の人より半歩以上近い。
かなこはその彼を眩しそうに見つめ、真剣に話を聞いては頷いている。
親密、という言葉が頭に浮かぶ光景だった。
「
いつの間にかこっそりと私が陣取った茂みへと訪れていた春人が語る。
「格好いいよね、プロって。かなこちゃんも、卒業したら同じ劇団に入団が決まってて。本当はこんな日陰の映研で芝居なんかしてる場合じゃないんだよ」
そういって春人が二人へと向けた視線には、羨望の中に彼が演じているときのような仄暗さが少し混じっていた。
私は、何となく察してしまった。
「春人は、あの子の事が好きなのね」
「ノゼちゃんははっきり言うなあ」
春人は乾いた笑いを零しながら、苦笑した。いつものように柔和な笑顔は、どこか借りてきたように空々しい。
「かなこちゃんはね、中学生の時からの友達で。かなこちゃんに誘われて、僕はお芝居なんて始めたんだけど。昔から彼女は可愛くて、すごくて、とんでもなくモテてね。高嶺の花っていうやつ」
かなこを熱の籠った瞳で追いながら、どこか遠くを見るように頬を緩める春人に、その言葉に秘められた決して軽くない想いを思い知らされた。
千年を超えて、初めての恋で、失恋してしまった。
こんなにも簡単に。
私は頭の中が真っ白になって、彼の言う言葉だけ必死に耳で追っていた。胸の中では、ぐるぐるとカテゴライズできない混沌とした嵐が渦巻いていて、頭の芯に鼓動が住み着いてしまったようだった。
「どうして、彼女に言わないの?この映画が最後だって言ってたのに」
口をついて零れたのは、私の気持ちが行く場を失っていたからかもしれない。
人間の思考は実に複雑怪奇で、時としてから回って目的と違う言動を起こす。
だが、この初恋以前には恋愛を知らなかった私は、純粋にそう疑問に思ったのも確かだった。
『かなこ』は目の前にいて。好きだと言っても問題は起こらない。
私が春人に好きだと言うのとは違う。タイムパラドックスの引き起こす物騒な可能性を心配することなんてなくて、ただ口に出すだけだ。
春人は風にざわめく木の葉を見上げて、眩しそうに目を眇めて深く息を吐いた。
「ノゼちゃんは真っ直ぐなんだね。僕にもそういう真っ直ぐな勇気があれば良かったな」
口端だけで微笑んで、ぎゅっと目を瞑る。
薄暗い寒空の下に、葉の間を潜った幾筋の光。私の好きな、目の離せない、輝く春人。
「かなこちゃん、先輩と結婚する予定なんだ。去年から一緒に住んでてね。でも、それよりも」
春人は目を開けない。そこにいる事を、忘れようとしているかのように、独り言のように言葉を綴りながら。
「先輩と出会う前から見てるだけしかできなかったもんな。僕には何一つ人に誇れるようなものは無くて。彼女の隣に並び立てる自信なんかなくて。そうやってただ卑屈に、それなのに諦められなくて、流されてここまでたどり着いただけで」
とりとめなさの残った言葉が、逆に真実味を痛いほど伝えてくる。
春人はあの穏やかな笑顔の下で、冷酷な仮面の下で、こんな風に切なくかなこを想っていた。
ミッションコンプリート。
私の一番知りたかった春人を知ってしまった。
痛くて、苦しくて、悲しい。これが失恋というものだと初めて知った。
そして、春人はこんな思いをずっとし続けているのだとも、知ってしまった。
「ノゼちゃんは不思議だね」
春人がいつもの笑みを浮かべて、私へと向き直る。
「何もかもが不思議だから、何でも喋っちゃうよ。こんな情けないことまでもさ」
綻ぶように笑う、柔らかい笑顔。それをこんなにも向けられたことに、胸の内が痺れた。
「君がいてくれてよかった」
私はここにいないはずなのに、差しだされた手を取らない選択肢なんてなかった。
その言葉を聞いた瞬間に、胸の中が切なく喜びに染まってしまったのだ。
そして、固く握手して笑いあう。これからも、続いて行くかのように。
本日Day2、全日程3日間の中日。
私は春人の手を離したくなくて、明日が永遠に来なければいいとすら思った。
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