後藤春人とモニターの向こう

 彼は、屈託なく笑っていた。そのあまりの親しみやすさに、なんだか初めて会った気がしなかった。


「それで、ノゼちゃんは何で木の上から降ってきたの?」

 ざあっと音を立てて寒空の下で緑の葉を揺らす大きな木を指さして、彼は空を仰ぐ。

 風に浮かされて、ゆらゆらと彼の髪も揺れている。モニターの向こうのその光景を直接見ることができて、私の胸はいっぱいだった。

 溜まった涙は、幸せに緩んだ頬を滑って消えていった。


「えっと…何で、かな」

 まさか千年後から時を超えて着地した座標が地上2メートルだったとはいえず、私は肩を竦めた。こんな時の言い訳は上手くない。

 何かあった時はいつだってジャンザリがうまく丸く収めてくれていた。その存在が側にいないのが、今は少しだけ心細い。


「それじゃ……何かしてたの?」

 答えを返せない私に、後藤春人は質問を変えた。

 だけど、それも答えられる質問じゃない。

「何、してたんだろうね?」

 あなたを見つめにきた、なんて言えるはずはない。

 あはは、と乾いた笑いが出た。まるで不審者のようだ。冷たい空気に撫でられた頬に、じんわりと汗が浮かんだ。


「えっと、ノゼちゃんはこの辺に住んでるの?」

 曖昧な態度のままの私へと気をつかったらしい彼は、また質問を変えてきた。

「ずっと、遠くから来たよ」

「ずっと遠く?」

「えっと………」

 千年後の『新世界』からだ、なんて言ったならどうなるのだろう。

 思わず頭を片手で抱えると、落下していた時に打ち付けた肩がズキリと痛んだ。


 彼は、私の顔をじっと見ていた。それから何度も瞬いて、恐る恐る口を開く。

「もしかして、覚えてない、とか?」

「ええっと………」

 何もかもを覚えているけれど、この世界を何も知らないという意味ではその方が都合がいいのかもしれない。尋ねられて初めて、そんな逃げ道に気がついて、私はおずおずと頷く。その瞬間、後藤春人の目は、輝いた。


「うわぁ、物語みたいだ。あっ、気を悪くしたらごめんね、ノゼちゃんは不安だよね」

 数多の星を湛えた夜空のような綺麗な目を微笑ませて、感嘆の声を上げ、それから慌てて謝罪を口にする。くるくる変わる表情。その全てに表れている、彼の空気。

「いや、………っふふ、君は面白いね」

 溺れるままに、笑った。私、笑うんだ。こんなことで。こんなことが、楽しくて。

「ごめんね、っはは、ノゼちゃんこそ面白いね。ああ、僕のことは春人でいいよ」

 春人が立ち上がり、私へと手を差しだす。私がそれを掴むと、ぐいっと引っ張り起こされた。

 打ちつけた肩は、まだ少しじくじくと熱を持って鈍く疼く。でもそれ以上に、どこもかしこもが逆上せあがって、甘くざわついていた。



 春人と私はすぐに馴染んだ。

 明るく開けた、広い公園の片隅。彼は、一人で木の根元に腰掛けて台本を読んでいたらしい。大学のサークル活動で、皆で映画を撮っているのだという。

 それは、多分私が見たあの映像だろうとすぐにわかった。

 情報媒体のデータが修復できたのは、ほんの小一時間分だっただろうか。その半分が映画の映像で、残りは日常風景だった。だから、私は春人たちが撮っている映画の全てを知っている訳ではない。


「それで?どれだけ綺麗ごと並べた所で、結果が出なければただの負け犬の遠吠えだろ?」

 ぐっと表情を変え、柔らかな雰囲気が消え失せた春人が、まるで目の前に人がいるかのように視線を向け、挑むように睨みつけて唇の端に皮肉げな弧を描く。

 映画の中の春人は、そういう人物像だった。合理的で情が薄い。人を見下したような視線を向けていて、全て計算で動くコンピューター。なのに人間くさい三角関係の恋愛に溺れている。

 私は春人の瞳に宿る昏さに見とれていた。芝居というものは、こんな風に人を変えることができるのだろうか。その視線を分析してみれば、人を害すような毒の成分が検出されるのではないかと思った。



 シナリオの一区切り。春人は瞬きの間にその表情を、人のよさそうな柔和なものに戻す。それから、少し照れたようにこちらを振り返った。

「お芝居、好きなんだ?それとも、映画が好きで参加してるの?」

 つられたように頬を緩ませて尋ねる。心の奥深くが、ふわふわしていた。

 春人は、最初に座っていた木の根元に腰を下ろしていた私の隣へ座って、ほんの少しだけ困ったように眉尻を下げた。

「そうだなあ、ずっと昔は文芸部で。友達に誘われて演劇を始めてね。大学で初めて映研に入って、フィルムに納まる経験はまだほんの数回しかないよ」

「へぇ、あんなに活き活きしてるのに」

 どこか所在なさげな春人の返答に、私は不思議に感じたままに口に出す。

 映像の中の春人は、誰よりも魅力的だったし、とてつもなく輝いていた。

 春人は面食らったようにパチパチと瞬いて、また豪快に笑った。

「そっかぁ。ありがとう。そんな風に言われたこと、なかったな」

 細くなった目も、緩んだ頬も。私はまた一つ彼を、全力の彼の笑顔を知ることができた。


 それから、ぽつぽつと世間話のように語り出す。

 創作とは、とか。演技とは、とか。演出とは、とか。編集のこととかも。

 正直、今までコンピューターと会話して生きてきた私にはさっぱりとわからなかった。でも、嬉しそうにそれを語る春人を見て、心の底がぽかぽかと温まるような気持ちになった。

 彼にもっと語って欲しい。彼が好きな事を語るのを、ずっと聞いていたいと思った。



 それでも時の流れは等間隔に流れていて。空にオレンジ色の斜陽がフラッシュを差し込むと、春人は確認するように私に話しかけた。

「ノゼちゃんは……行くあて、とかないよね」

 野宿に困らないようにアイテムなら積んでは来ていたが、そんなことは伝えられるわけがない。それに春人の前では、私は記憶喪失の遠くから来たことしかわからない人間になっていたはずだ。

 一瞬だけ考えて、こくりと頷く。

 春人はそう深く考えることもなく、にっこりと笑った。

「僕ね、叔父さんのアパートを預かって住んでるんだけど。今時流行らないような、何とか荘っていう古いとこで良ければ、空き部屋を貸すよ。ああ、結構ね、行くあてない友達が転がり込んできたりするから、ノゼちゃんさえよければ遠慮なく」


 彼の人生は、今この瞬間も物語なのだろうか。思いも寄らない言葉に、私は急いで頷いた。

「本当?すごくありがたいけど、いいの?」

 春人の側にいられる。それが嬉しくて。弾んだ声で彼に詰め寄る。

「本当、古臭いところだから申し訳ないくらいだけど、寝泊りは出来るし。少し落ち着いて考えてみたら、ノゼちゃんの記憶も戻るかも」

 晴れやかに笑って立ち上がる春人は、私に手を差しだした。それを勇気を出して飛びつくような気持ちで握ると、またぐいっと身体を引っ張り起こしてくれる。

 また幾分の気の置けない会話を重ねながら、私たちは春人の住処へと向かった。



 失敗続きのDay1、たくさんの奇跡。彼の姿をたくさん見ることができて、私はなおも彼を知りたい思いでいっぱいだった。

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