堕ちた先の出会い
扉を潜った瞬間、―――私は落下した。
目の前に晴天が流れていく。
肺を満たす空気は清々しく冴えていて、身体を引っ張る重力が酷く不快だった。
ざわざわと寒空の下でも健気に茂っている木の葉を騒がせて、パキポキと小枝が折れる音が響く。太い幹に掠ったのだろう肩が押されて、認識するのに精いっぱいな世界にじーんと痛みが走った。
失敗だ。
地理的座標軸は、旧世界と現代では少し異なったらしい。少なくても目測で2メートルほど、地表の高さが異なっていたようだ。
千年で2メートル。ふむ、悪くはない誤差だ。私が落下しているのではなければ。無事に夢来国連合へと戻ったら、理論検証して学会で発表しよう。
ひとまず頭というメインコンピュータさえ守れれば、あとは次元収納バッグに詰め込んできた準備品でなんとか回復できるだろう。時を止める薬は未だ開発されていないけれど、細胞の時間をほんの少し巻き戻す薬ならばある。これは私たちの時代でも『命を買う』くらいの高級品だが、命を買わなければならない事態では仕方ない。
地球の中心にある引力に抗って、両手で頭を抱えた。
それ以外の場所は無防備だが、これ以上の抵抗を試みる暇はない。
地面はすぐそこのはずだ。ぐっとみぞおちに力を入れて、身体をできるだけ丸めて固くする。
「……!?うっわ、………っ!!!!!!」
悲愴な声が耳に届いた。全身に走った衝撃に一度息が止まった私がようやく目を開けて周囲を伺うと、私の下で倒れていたのは、逢いたくて仕方なかった『ごっちん』その人だった。
エラー。取り返しがつかない。
最初から接触してしまった。
慌てて私のお尻の下にある身体から飛び退く。ぐっと眉間に皺を寄せてうめくごっちんを見ていると、閉ざした瞼が戦慄いて開いた。
エラー。取り返しがつかない。
ターゲットに、認識されてしまった。
「っ……たたっ………ああ、無事、だった?」
私が激突したお腹をさすりながら、私を認識したごっちんが苦しそうな表情にほんの少しの笑みを乗せて掠れた声で話しかける。
胸も頭も、爆発しそうだった。
「ごめんなさい……ああ、ほんと、……大丈夫?」
逃げなければいけないのに、心も身体もいう事を聞かない。
震える手を倒れたままのごっちんへと伸ばす。そっと彼のお腹の上の手へと掌を重ねれば、彼はまた表情に浮かぶ苦痛を打ち消すかのように笑顔を作って私へと向けてくれた。
どうしよう、好きだ。彼が好きだ。
なのに、なんてことだろう。一番のエラーは、彼をこんな目に合わせたことじゃないか。
フリーズ一歩手前のビジー。どうしていいかわからずに慌てふためくしかない私に、また少しだけ呻きながら上半身を起こしたごっちんは声をかけた。
「ん……大丈夫っぽい、かな。君も、怪我はない?」
髪に絡んだ枯れた色の葉っぱを払いながら、真っ直ぐに私を見つめる。
「………は、い…」
言葉に詰まった。何度も何度も繰り返し映像で見た、彼の輝く瞳が私を見ている。
台詞を覚え込むくらい聞いた、彼の声が私に向けられている。
胸がいっぱいで、溢れだしてしまう。
「ね、やっぱりどこか痛い?怪我、してるの?」
視界が、滲んでいた。必死に彼を見逃さないように見開いた目で捉えた彼の姿は、霞んでぼやけている。膝をついてにじり寄り、私に手を伸ばすその顔を、見ることが出来ないのが悔しい。
血も涙もない女、だなんて言われ続けてどのくらい経ったのか。ないはずはないと考えていたが、私にも涙はあったらしい。
多大なる被害を被っているのは向こうのはずなのに、ごっちんは慌てながら私を心配している。
ああ、きっといい人なんだ。そんな気はしていた。彼の素が見えたのだろうモニター越しの姿は、いつも相手を気遣っていた。
「どうしよう、……病院?あ、歩けそう?」
私の手を握って顔を覗きこんだごっちんに、慌てて首を振る。これ以上、多くの人に関わる訳にはいかない。
「……ごめんなさい、大丈夫なんです。本当に。あなたこそ、お怪我はないですか?」
それに、さっきまで苦しそうな顔をしていたのは彼の方だった。
私は怪我をしていたとしても、何とでもすることができる。だけど、この時代にないであろう技術で、彼を癒してあげることはできない。案ずるべきは、彼の身のほうだった。
ごっちんは、どこか空虚に笑った。
「心配ないよ、僕、丈夫なんだ。まだ、生きる運命ってことだね」
映像の中で垣間見せた、遠くを見つめたようなあの目だった。その視線の先に何があるのだろうと思ったけれど、今あるのはただの澄み渡った青空だけだった。
握られた手を、ぎゅっと握り返す。
あなたに逢いたくて、私は今ここにいる。あなたが、生きていてくれたから。
何もわからないごっちんへと、どんな言葉を返していいのかわからない。
だけど想いだけは、形となってここにある。
「もしよければ、お名前を…教えてください」
知りたかった。彼の事を少しでも。
ごっちんは握り返された手にほんのちょっとだけ目を見開いて、それからふんわりととほほ笑んだ。
「僕は、
「天方ノゼリーナ」
「ノゼリーナ?はは、ノゼちゃんっていうの?よろしくね」
私の名前、この時代のこの国では冗談みたいな名前なんだろうか。ごっちんは、後藤春人は笑った。
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