第36話 9回の裏
『9回裏、横浜蒙光高校の攻撃は……3番、センター、柳田クン』
4-4の同点で迎える最終9回の裏。サヨナラ勝ちを狙う横浜蒙光にとっては最高の、もう1失点も許されない朱護学園にとっては最悪の打順が巡ってくる。
(……3番柳田、4番原田、5番万谷。横浜蒙光名物スリーキャノンとこの場面で戦うことになるたぁ……持ってるじゃねーの、宝生クンよぉ)
(プレッシャーエグいぜ……でも、もしここを三者凡退に打ち取れば、流れは俺達に巡ってくる……)
横浜蒙光の最強クリーンナップを目の前にしても、朱護学園の1年生バッテリーは笑っている。レフトから自分達を見守ってくれるエースと同じように、どんな状況でも野球を楽しむと決めているからだ。
(……初球、低めに。絶対に甘く入るなよ)
(分かってる。……今こそ、全集中の投球!)
宝生が投じた初球は清水が構えたコースにドンピシャのストライク。
その後も清水はボール球を2つ使いながら、丁寧な攻めで柳田を追い込んだ。
(……ここまでの4球、柳田は1球もスイングしてこないか……初球からガンガン振ってくるこの人がここまでボールを見てくるたぁ……不気味この上ない……)
この時、清水の本能は自らの頭脳に向けて繰り返し危険信号を送り続けていた。まともにぶつかっては危険だ、逃げるべきだと。
しかし今は同点での最終回、1点も許されない場面で、カウントは2-2。まだ後1球遊べるが、3ボールになれば
そしてもしランナーが出れば、それはサヨナラのランナーになる。後ろに強打者原田を控えた状況で逃げてランナーを出すことは、あまりにも危険だった。
(……いいや、置きにいって長打を打たれるのが最悪のパターンだ! 3ボールまでならまだいい! ここはコースギリギリを攻める!)
清水が選んだボールは、低めへのストレート。しかし、4球をかけて宝生の球筋を見極めた柳田はそのボールをバットの芯で捉えたのである。
「ショート!!!」
清水が叫んだとおり、柳田が打った打球はショートの守の頭上に向けて一直線に飛んでくる。
(ジャンプすれば届く! 後はタイミングだけだ!)
迫りくるボールにタイミングを合わせて、守は身体中のバネをフルに用いて大ジャンプをする。
が、思い切り伸ばしたグラブはボールまで届かない。柳田の打球は重力に逆らいノビ続けたため、多少失速して落ちてくるだろうだろうという守の見立てを裏切ったのである。
『ショートの頭、そして左中間を抜けたぁ~!!! 横浜蒙光、先頭柳田のツーベースヒットでいきなりサヨナラのチャンスを作り出したぁ!!!』
「うっしゃあ!!! 俺は打ったぞ! 後はテメェが死ぬ気で帰せ、原田ァ!!!」
「……うむ」
9回の裏、
表の守りで万谷が6者連続三振の快投を見せたこともあり、もはや試合の流れは完全に横浜蒙光に移っていた。
「「「は、ら、だ!!! は、ら、だ!!!」」」
「舞台は整ったぞ、原田ァ!!!」
「やっちまえぇ! サヨナラホームランだ!」
球場全体に、神奈川最強スラッガーへの期待が満ちる。横浜蒙光のファンはもちろん、中立な立場で試合を見る者も、誰もがここで試合は決まると、そう思い込んでいた。
「………………」
右打席に向かう原田を中心に発せられるこの異様な雰囲気に、宝生が、清水が、朱護学園の誰もが呑み込まれていた。
ここで自分達は終わるのかと、そう思わされていた。
レフトからゆっくりとマウンドに向けて歩きだしている、あの男以外は。
「……頃合いだな」
「……そうですね。この雰囲気を変えられるのは、エースしかいません」
ベンチが審判に投手の交代を告げるよりも前に、背番号『1』はマウンドまで来ていた。
宝生からボールをもらったエースは、マウンドを守ってくれた後輩に、バックを守ってくれる仲間に、そして自分がこれから戦う好敵手に向けて、白い歯を見せて笑いかけるのであった。
『選手の交代をお知らせいたします……朱護学園、ピッチャー宝生クンに代わりまして……鈴本クン』
「……っし。それじゃあ再登板といこうか」
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