第15話 何事も段階を踏むのが大事

 守と結が帰宅する頃には、もうすっかり辺りは暗くなっていた。

 鎌倉市内の閑静な住宅地に吹く夜風はだいぶ涼しくなっており、季節が少しずつ夏から遠ざかり……まだ遠い春へと近づくのを感じさせる。


「……今さらだけど、おめでとう。高校入学後の初打点」


 夜道に光る街灯に顔を照らされながら、結は上目遣いで守に向けて微笑みかける。


「……本当に今さらだな。……でも、祝ってくれてありがとう」


 そんな結を見て守は思わず顔を赤くしてしまい、照れ隠しのために顔を彼女から背けた。


「……監督、守のこと評価してたよ。……このままなら、きっと秋のレギュラー取れると思う」


「……それは嬉しいけど、俺はそこで終わりじゃねぇからな……レギュラー取った上で、目指すのは春の甲子園だ。……結、お前に……ちゃんと、言いたいこと言うためにも」


 守の顔はまだ赤いが、決意の込められた目はしっかりと結を見つめている。そんな守の視線に、結は思わず一瞬だけ見とれてしまった。


「……うん……首を長くして待ってるよ。2月の代表校発表を」


「……そうか。センバツは秋の大会が終わってすぐじゃなくて、2月にならなきゃ正式な代表が決まらないのか……そう考えると、長すぎて退屈だぜ……」


「退屈だなんて言わないの。……でも、確かに……そうだよね」


 11月にセンバツ代表を決める秋季関東大会と、秋の各地区優勝校がぶつかる神宮大会が終わって、代表が2月に正式発表されるまでは3ヶ月。公式戦が一切行われない、野球のオフシーズンである。


(……でも、春のメンバーを決めるための競争は続く。チーム練習や、練習試合で結果を残せなければ……秋のレギュラーも、容赦なくその立場を奪われるかもしれない)


 結は、途端に不安になってくる。もし守が、秋から春までの間にレギュラーを奪われたら……いや、そもそもまだ秋のレギュラーが確定したわけでもない。今から秋の大会の開幕までの間に結果を残せなければ……考えれば考えるほど、不安は止まらなくなる。


(……いや、これは……本当に不安なのかな……もしかしたら、守と“したい”私が、なんとかして理由を作ろうとしてるだけかも……)


「……それじゃ、俺はこっちだから……また明日」


「あ、うん……いや、待って! 守!」


 自分から遠ざかる守の背中を、結は思わず追いかける。……自分の伝えておきたいことを、ちゃんと伝えるために。


「……どうした……結?」


「……約束、復活させよう」


「……え?」


「……もう、守は……約束なんかに振り回されないと思うから……信じてるから、復活させよう。……今日はヒットと打点だから……ハグとキス」


 結が守を信じているのは、紛れもない真実だ。もう、守はチームよりも自分の欲望を優先するようなプレーはしないと、そう信じているから……そして、結自身がそうしたいから、結は守との約束を復活させたのだ。


「で、でも……いいのか? いいって言われたら俺、遠慮しないぞ?」


「……うん、いいよ。……その代わり……絶対レギュラー取って、甲子園に行ってね」


 その言葉を聞き終えた瞬間、守は結の体を抱き締め……慎重に、慎重に、自分の唇を結の……頬につけた。


「……そこ?」


「……キスにも段階がある。1打点なら頬、2打点なら唇、3打点なら……」


「……なら?」


「……ディープキス」


「……それは恥ずいけど……ま、それだけ守が活躍してくれるんなら、甘んじて受け入れるよ」


「……というわけで、今日はここまで。……ヒットも1本だけだしな」


「……そうだね。……次は、もっと打ってね」


「もちろん! モチベーションにさせて頂きます!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る