第2話 ブローチは誰の物?


 まだ、冒険は序盤に過ぎない。

 ここは危険のないグリーン表示の海路。


 だというのに。


 俺は大事なアイテムを持った右手をぎゅっと握りしめたまま。


 複雑な潮流を前に立ち尽くしていた。



「外に出れるのか?」


 何度も経験してきたはずなのに忘れていた。

 始まりの島で改めて教えてもらった、羅針盤の使い方。


 あの細いとこに通せば。

 ゲートは開く。


 でも。


「……切符って、あそこ通したら機械の中にいる人が捨てちゃうはずだよな」


 お父ちゃんが教えてくれたんだ。

 あの中に入ってる人が切符を抜き取る時。


 入り口だったら、キリで穴を開けた後。

 ゲートを開けて、向こう側の取り出し口から出す。


 出口だったら、取って捨てちゃうか。

 お腹が空いてたら食べちゃうはずだ。


「あ、あそこを通らずに行く方法は……」


 壁に貼られた道しるべには。

 緑の電車はゲートを出て左って書いてある。


 あっちの部屋を通れば外に出れそうだけど。

 駅員が何人も警備してるから突破できそうにない。


 目的の島へたどり着くまで。

 羅針盤をゲートの中の人に取られるわけにはいかないんだ。


「……あ」


 こういう時の使い方。

 羅針盤に書いてねえかな?


 俺は左のポケットに手を突っ込んで。

 羅針盤を出そうとしたんだが……。


「あれ?」


 おかしい……。

 羅針盤がないっ!!!



 いつも、大切なものは左のポケットに入れるから。

 絶対ここに入れたはず。


 これが無いと。

 島にたどり着けないばかりか……。



 外に出れないっ!!!



 そうだ。

 お父ちゃんが言ってたっけ。


 切符を無くしたら。

 ずっと駅の中で暮らすことになるって。


 そんな人たちが生きていくには……。


 視線に気づいて、はっと顔を上げた先。

 俺を見つめる売店のおばちゃんが。

 にっこり微笑みかけてきたもんだから。

 走って逃げた。



 いやだ!



 俺はお前の仲間になんかならないぞ!



 トイレの前まで逃げた俺は。

 必死に記憶をたどりながら。

 もう一度ポケットを探す。


 右手は大切なものを握ってて、開く訳にいかないから。

 左手で全部のポケットを探ってみたんだが。


「無い……」

「……ぼく? どうした?」


 そんな俺の肩を叩いてきたのは。

 優しそうな駅員さん。


 彼を見た俺は、さすがに平静を保てずに。

 涙を流して大声で叫んだ。



「まだそっち側と決まったわけじゃねえ!」



 そして俺は。

 トイレに駆け込んで。


 外に引きずりだされるまで。

 膝を抱えて震えて過ごした。



 ……右手に握った切符が出て来たのは。

 もうちょっと先の話だ。




 第2話 ブローチは誰の物?



「あれ? 秋乃は?」


 一旦家に帰った俺を迎えてくれたのは。

 凜々花、オンザおかん。


 部屋の中には。

 秋乃と親父の姿が無い。


「明日、パーティーなんでしょ? ちょっと外歩いて体慣らしておかないと」

「それで外に出したのか。大丈夫なのか?」

「病み上がりそのまんまでパーティーに出す方が危ないわよ」


 俺に対してはスパルタなお袋だが。

 秋乃に対して。

 滅茶苦茶なことは言わないだろう。


 そこは信じることにして。

 一応、もう一人の行方を確認だ。


「で? 親父は?」

「それがね……」


 背中にがっちり張り付いたまま、肩にあごを乗っけて目を細める凜々花。


 そんな頭をポンポン撫でたお袋が。

 珍しく口ごもる。


「なんだ。何かあったのか?」

「パパ、凜々花が言った事を勘違いしたみたいなの」

「どゆこと」

「凜々花がね? ママと二人で過ごせて、嬉しいって言ったのよ」


 二人で。

 ああ、なるほど。


「自分が邪魔だって言われた気になったのか。それで静かに黙って出て行ったわけだな」

「ううん? 騒がしく泣き叫びながら出て行ったわ」

「そりゃ随分面倒な勘違いしたもんだ」


 凜々花は、親父のことももちろん好きだ。

 でも、小さな頃から滅多に会えないお袋に。

 最大限の想いを伝えるのは当然の話。


 そしてこいつの語彙が極端なのも。

 いつものことじゃねえか。


「まったく……。バカだな親父は」

「そう言いなさんな。あんたも同じ勘違いしたことあんだから」

「ねえよ」

「あるわよ」

「いつだよ」

「九才ん時」

「比べんな!」


 ばかばかしい。

 子供の頃の話なんか持ち出しやがって。


 それにあの頃だったら。

 親父と似たような事、思って当然だ。


 毎日、凜々花を笑わせるために何でも尽くしてきた俺。


 でも、深夜に帰って来て。

 まるで相手もせずに煙たがるお袋に。

 凜々花は夢中。


 昼ドラだったら陰湿な復讐が。

 推理ものだったら、自殺に見せかけた巧妙な殺人が。

 そして刑事物だったら、断崖で膝を突いた俺が泣き崩れてるところだ。


 ……すげえな。

 九才にしてなんて演技力だよ。


 子供、なんて言って悪かったな、九才の俺。


「しょうがねえなあ。……親父が行くなら公園かな?」

「あら、迎えに行ってくれるの?」

「そうだな」

「珍しい。雪でも……」

「もう降ってる」

「あら先払い」


 じゃあパパを探しに行くのもうなずける。

 そんなひでえこと言いながら見送るお袋には悪いが。


 メインの目的は親父探しじゃねえ。

 ちょっと考え事してえだけだ。


 未だに止まない雪のなか。

 当てにならない天気予報に軽く文句を付けながら。

 少しだけ積もった雪を踏み固め、トロッコは進む。


 見慣れた景色が、まるで別世界。

 靴跡が他に無い、たたそれだけのことで。

 初めての道を歩く気分。


 でも、そんな高揚感に浸ってる暇はない。


 明日に迫ったポイント切り替え。

 一体、どっちに倒したものか。


 カンナさん風に言えば。

 どっちに倒せば秋乃に嫌われねえか。


「なるほど。アクセサリーにはちげえねえ」


 ミルクをいれてかき混ぜる前のコーヒー。

 そんな模様になった公園の入口に立って。


 俺は、さっき見かけたばかりの。

 二人の女性の顔を思い浮かべる。



 ――秋乃の分と、俺の分のプレゼント。

 人形とブローチを手に。

 飛び乗った帰りの電車。


 その車内で。

 向かいに座った二人の女子が話すには。



 彼氏でもない人から。

 アクセサリーを貰っても。


 ちょっと重い。



 なるほど。

 そういうものなんだ。


 ブローチは重いアクセサリーの範疇に含まれるのか?


 あるいは今から無難な品を見つけるか?


 でも。

 他にいいプレゼントなんて思いつかない。


 ……どうしよう。



 多分、高校生。

 同年代の女子の言葉が。

 俺を惑わせる。


 男なんてそんなもん。

 所詮、女子の顔色をうかがって生きる小者ばかり。



 ……そう。

 お前らに嫌われると。

 胸が苦しくなるんだ。


 だから、そんな目で見るな。

 記憶の中のお前たち。



 俺が立った席から上がった湯気は。

 濡れてたパンツとヒーターのせいだから。



 ついさっき。

 似たような目で俺を見てたやつらが、びしょびしょマンって呼んでたんだ。


 それを上回る酷い呼び名は。

 やめてくれ。




 ……漏らしてねえ。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 近所の公園。

 たこ焼き屋がそばにあるから。

 凜々花には瀬戸内公園で通じる場所。


 せっかくはき替えたパンツが。

 また濡れちまうが。

 悩み事にはベンチがつきもの。


 せめて。

 プラスチックの方が水はけがよかろう。

 俺は奥のベンチを目指したが。


「おや。先客か」


 奥まったところに設置されたベンチに。

 珍しいお客様。


 銀髪灰眼、真っ白な肌。

 そしてなにより目を引く真っ赤なフェルトのワンピース。


 この時期ならでは、白いポンポンを三つ並べたサンタ服姿の。

 小さな女の子が俺を見上げてニコニコ微笑んでいた。



 ……さて。

 春姫ちゃんで慣れているおかげで。

 見た目には抵抗ないが。


 この子、日本語はどうなんだろう。

 話しかけるのに躊躇していると。


「こんにちは!」

「おお、こんにちは」

「お兄ちゃんも座る? ベンチ!」

「いや、ここでいい」


 よかったぜ、日本語でオーケーみたいだな。

 春姫ちゃんみたいに、こっちで暮らしてるのかな。


 白いプレゼント袋を足元に投げ出して。

 クリスマスっぽい、ブーツ型の靴下を膝に乗せた女の子。


 ヨーロッパ系というより。

 北欧系に見えちまうのは。


 その、ミニスカサンタ服のせいだろう。


「名前は?」

「さんた!」

「まあ、そうなんだが。……さんたちゃん、どこから来たんだよ」

「Rovaniemi!」

「え? いまなんて?」


 舌っ足らずだから聞き取り辛かったけど。

 なんだか、日本語じゃない言葉が聞こえたような。


 そのせいで。

 思わず、さっきのおっさんを思い出す。


 俺が買った人形にそっくりなさんたちゃん。

 おっさんの娘じゃないかって気がして来たんだが……。


 いや。

 それはねえか。


 いろいろつじつまが合わねえし。


「あのね? あたしパパのお仕事手伝うの!」

「へえ。……できるの?」

「できるよ? お兄ちゃんは、いちねんかんいい子にしてた?」

「そんなこと臆面もなく言えるやつは、百パーいい子じゃないな」

「…………なにいってっかわかんねえ」


 いけね。

 つい、春姫ちゃんと話してる気になっちまったぜ。


 小学生には難しい言い方だったよな。

 反省反省。


「まあ、いい子じゃあなかったかな」

「それはだめだよ? じゃあ、プレゼントは無しね!」

「あちゃあ。残念だ」

「でも、これから一年いい子にしてたら、らいねんはあげるよ!」

「なにくれるんだ?」

「これにね? 欲しい物書いて入れとくの!」


 さんたちゃんは嬉しそうに。

 膝に乗せていたブーツを持ち上げる。


 この時期よく見かける。

 お菓子が詰まったやつの容器かな。


「すげえな。なに書いてもいいんだ」

「ごほうびだかんね! はなぢもんなのよ?」

「鼻血もんか。……じゃあ、一年間いい子にしてたさんたちゃんには、俺もプレゼントあげねえとな」

「ほんと!?」

「なにが欲しいんだよ」

「アクセサリー!」


 おいおい。

 またアクセサリーかよ。


 そう叫ぶなり、駆け出したさんたちゃん。


 俺は滑り台に積もった雪を丸めて遊び始めた女の子の姿を見つめながら。

 おっさんの、くたびれた顔を思い出す。


 娘が喜ぶ姿を夢見て。

 必死で半年もの間探し続けたその気持ち。


「分かるぜ……」


 そのために、北欧へ行けなくなっちまったとは言え。

 おっさんの愛はしっかり届くさ。


 俺は、プレゼントを受け取ってはしゃぐ娘さんの姿を。

 さんたちゃんに重ねて、一人で嬉しい気持ちになっていると。


 ……ふと。

 ブーツの中身が気になりだした。


 さんたちゃん、このブーツに紙を入れるってはしゃいでたってことは。

 ここにあの子の欲しいアクセサリーが書いてあるはずだ。


 もしかして。


 『ブローチ』って書いてあったりしたら。


 俺は、有りもしない最高のシナリオを胸に描きながら。

 厚紙で作られた、ブーツを手繰り寄せる。


 サンタちゃんに見つからないように手を突っ込むと。

 指先に触れた小さな紙片。


 さて。

 どんなアクセサリーが飛び出すのやら。

 こっそり覗き込んだ俺は。



「あ………………」



 思わず。

 息を詰まらせた。



 秋乃と凜々花の顔が否応なしに頭に浮かぶ。


 さっきまで俺の中ではしゃいでいた。

 名前も知らない、おっさんの娘さんが。

 想像の中で泣き顔に変わる。




 『パパに会えますように』




 ――夕闇の走り。

 一陣の風がまるで風花のごとく舞い落ちる雪を躍らせると。


 少女は季節外れの紅葉を袖の中に引っ込めた姿で俺の元に戻って来た。



 身近に、同じ思いをしているヤツが二人もいるってのに。

 俺は、どうして気づくことが出来なかった。


 おっさんの娘さんに。

 一番欲しかったクリスマスのプレゼントが届くことは、もうないけど。


 せめて。

 この子の夢は。


 この子へのプレゼントは。

 ちゃんと届いて欲しい。


「そんじゃ、もう行かなきゃ! パパのお仕事手伝うの!」

「……その袋の中身を配りに行くのか?」

「そう! いい子にしてたみんなに、すげえもん配りにいくの!」


 さんたちゃんは。

 自分の体より大きな袋を背負って。


 長靴を手にしながら。

 灰色の瞳で俺を見つめる。


 そんな彼女に。

 俺は、可能性を一つ信じて声をかけた。


「手伝うなら、一旦、お母さんの所に帰ってからにするといい」

「ん? ……そうしないとだめ?」

「ひょっとすると、長靴に入れた願いが叶うかもしれないぞ?」


 俺は柄にもなく。

 優しい笑顔を彼女に向けると。


 さんたちゃんは、まるで花のように笑顔の花を咲かせながら。


 心の底から欲しがっていたプレゼント。

 その正体を。

 包み隠さず教えてくれた。



「アクセサリー!」

「あれ!? そっちなの!?」

「そっち?」

「いや、なんでもねえ」



 なんだよ、いい話が急にがっかり。


 でもまあ。

 そういうことならしょうがねえか。


「……さんたちゃん。来年、プレゼントを俺にもくれるんだよな?」

「いい子にしてなかった人にはあげないよ?」

「じゃあ、これから一年いい子にしてるから。来年も会おうな」


 そんな別れ言葉に。

 にっこり笑ってくれたさんたちゃん。


 ばいばいと手を振ると。

 雪を蹴り上げながら走り去る。


 ……プレゼント。

 もう、家に届いてると良いな。


 なるべく長い時間。

 一緒に過ごすことが出来ますように。



「……保坂君?」



 急にかけられた声に。

 現実感がまったく湧かず。


 しばらく惚けたまま。

 声の主を見上げていたんだが。


「秋乃?」

「うん……」

「リハビリにしちゃ、長時間歩きすぎだ。家に戻るぞ」

「そうしよう……、かな?」


 お袋の心づくし。

 随分着ぶくれた秋乃が、よろよろと歩くもんだから。


 ちょっとだけ躊躇した後。

 俺は、ミトンの手を取った。


 すると秋乃の吐く息が。

 心なし、白さを増した気がしたが。


 秋乃の方も。

 俺の息が真っ白になったことに気付いておきながら黙っていてくれた。


「公園で……、なにを、してたの?」


 話題に困った俺には助け船。

 もっとも、秋乃の話題も。

 まるで社交辞令だが。


「クリスマス会のプレゼントをな? …………あ。悪い」

「私の分……、買い忘れ?」

「いや。俺の分、だな。……さっき、ちっこい女の子の長靴に入れちまった」

「あげちゃったの?」

「しょうがねえだろ」


 照れながらも。

 正直に話して振り返ると。


 秋乃の顔から。

 すうっと仮面が取れる。


 そんな素顔が。

 優しい笑顔が。


 眩しくて。

 思わず目をそらす。


「……いい子にしてた女の子?」

「どうだろ。悪い子には見えなかったけど」


 平静は装えているだろうか。

 歩く速さは変わっていないだろうか。


 空はこんなに暗くなっているのに。

 足下の雪が昼間のように明るくて。


 まるで。


 ずっと続いて欲しいのに。

 今すぐ終わって欲しい。


 そんな俺の気持ちが。

 見透かされているようで。



 雪が掻き消す、音の無い世界に。

 二つの足音と。

 俺の鼓動だけが。

 耳に響く。



 そして秋乃が。

 雪を鳴かせる音を小さくさせていくから。


 俺も。

 足を止めざるを得なくなった。

  

「じゃあ……。私の分で、いいよ?」

「なにが?」

「プレゼント。……女の子にあげた分」

「どうして」


 定期的にかかる白いフィルターの中。

 栗色の瞳だけが真っすぐに。

 俺を見つめている。


 そんな瞳が。


 ふっと、三日月のように細くなると。


「……私、サンタさんだから。私からその子にあげたの……、よ?」


 冷たい世界の中に。

 柔らかな。

 あたたかな光を灯してくれた。



 触れると消えそうなほど。

 淡い光だけど。


 雪の世界の中だから。

 それはとっても美しく見えて。


「なんだか……。いいプレゼントをもらった気がする」

「え?」

「いや、なんでもねえ」


 俺は、再び秋乃の手を引いて。

 二人だけの足音を静かに響かせる。



 ……きっと。

 街灯のスポットライトのせいだろう。



 秋乃の頬が。


 いつもより。

 赤く見えたのは。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る