第5話 二日目

 今日は土曜日だが、午前中だけ仕事があった。


 労働というのは慣れれば意外と楽しいものだ。働くという行為を毛嫌いする人間はこの世の中でごまんといるが、そういう彼らだって現実を見つめて労働に精を出す。


 坂本さんが帰ろうとしたのを見て、僕は呼び止めた。


「坂本さん。食事と地下鉄代奢りますから、僕の家に来ませんか」


 僕と坂本さん。半分無視されかかっていて虚しそうな顔をしている死神少女と共に地下鉄で僕のアパートまで向かう。部屋に招くと、坂本さんは部屋にどんと置かれている紙幣の山を見て「ほお」と言った。


「こりゃあざっと見で百億はあるねえ。宝くじ買ってもこんなには当たらん金額だ。まあ、金額はどうあれ、どうしてこれを見せたんだい」


「一度、他人からこの金がどう見えているか知りたかったんですよ」


 僕は死神少女を手招きし、今置かれている状況を坂本さんに説明してほしいと言った。彼女は得意げに鼻をふんと鳴らし、僕が置かれている「約百億円を明日までに使わないと僕が死ぬ」ということを説明した。坂本さんはそれに対して丁寧に相槌を打ち、説明を聞き終わると少し物悲しげに言った。


「じゃあさ、この百億を使い切らないと田中君は明日死ぬって事かい」


「はい、そうなります」


 坂本さんは札束の山を見てから僕に言った。


「じゃあさ、田中君がいいのであれば、このお金全部貰ってもいいかい?」


「え、全部は困りますが、何に使うんです?」


「それについてだけど、ここで話すのもなんだし、ちょっと外で話をしよう。そのお金もせっかくだしもっといいものに使ってしまおう」


 坂本さんと僕、少し得意げの死神少女とアパートを出て、冬の街へ繰り出す。地下鉄で何駅か進んで市の中心部に来た時に、僕は坂本さんの意図がつかめた気がした。


 到着した先はメイド喫茶だった。


「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様?」


 マスクをし、メイド服を着た若い女性が僕たちを席まで案内する。


「い、今私を見てお嬢様って言った?」


 死神少女は困惑しているのか周囲を見渡しながら言う。


「さあね。とにかく話を始めようか」


 僕の無機質な言い方に死神少女はむくれた。坂本さんはここの常連らしく、一番お気に入りだというメイドを紹介し始める。注文を聞いたそのメイドが場を離れ、食事やら飲み物を注文してひと段落してから坂本さんは口を開いた。


「さっき見たお金だけど、あれの取り分はどうしようか?」


「どっちにしてもあれは坂本さんに譲りますよ。何か策があるんでしょう?」


「まあな。適当に考えた計画だが、まずあのお金をスーツケースに詰めてどこかに埋める。遺言にそれを匂わせる文章を書いておいて、あとは高みの見物だ。奴ら、金への執着心はすさまじいからこの北海道までやってくるだろう」


「仮に坂本さんが埋めた現金が子供たちに発見されたらどうするんです?」


 坂本さんは右手の人差し指を立てた。


「どうもせんよ。その頃わたしは現世にいない。そうなれば子供たちでこの街のどこかに眠っている現金を血眼で探すことだろう。だが、そこにポイントがある」


 僕が考え込んでいると死神少女は言った。


「仮に現金が見つかったとしても、それを証明する手立てはないということですね?」


 坂本さんは元々皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。


「その通りだよお嬢ちゃん。わたしは現金をどこかに隠すつもりでいるが、その現金とわたしとのつながりは一切ないようにする。だから、それがわたしの隠し財産だとは思わない。犯罪組織がらみの金かもしれないと警戒するだろう。それに百億円というのはとんでもない金額だ。持ち出すとしても旅行客の二人には出来ないし、スーツケース一つに現金が大量に入っていれば帰りの飛行機で怪しまれる。下手したら警察行きだ」


 坂本さんはコーヒーを飲みながら続ける。


「わたしの家には鞄やらスーツケースが沢山ある。会社員時代に出張でよく使っていたからな。そして、わたしがその現金を埋める予定の場所は暴力団がフロント企業を使って購入した土地だ。仮にそこに立ち入ればやつらは黙っていない」


 そこで僕は疑問を口にした。


「坂本さんが金を埋めるときはどうするんです?」


 死神少女がチョコレートパフェを食べながら言った。


「持ってきた現金を見せればいいんじゃないですか?」


 坂本さんが頷いた。


「少々浅はかかもしれないが、実はわたしの知り合いに借金取りがいてね。彼とは金の貸し借りだけではない因縁のようなものがあるんだ。あいつに頼んで現金を部下たちに運ばせる予定だ。一億でも五億でも見せればあいつも部下を引き連れて頼みに応じるだろうからな」


 坂本さんが力なく笑い、コーヒーを啜る。


「でも、田中君。わたしみたいな老いぼれが死ぬのは別にいいが、君はまだ生きるべきじゃないのかい?」


 僕は紅茶を一口飲んでから言った。


「僕は所詮社会の廃棄物ですよ。今こうして働けるけど、正社員として雇ってもらえるほど世の中は甘くないですし、元引きこもりは世間からの吹き曝しに耐えなければならない。それなら、潔く死んだほうが身のためだと思いませんか」


 坂本さんは鞄から一枚の写真を出した。去年に公衆浴場の支配人が企画し、社員とパートを集めて催した忘年会の一幕を撮ったものだ。写真には全パートと社員が笑顔で写っていて、その中には僕と坂本さんの姿もある。


「あの時が一番楽しかった。君は社員の原田さんと一緒に酒を飲んで笑っていた。わたしもパート仲間と盛り上がったものだよ。何だったかな? 若いパートさんがカラオケで歌ったあの曲は」


 僕は去年の忘年会を思い出してみる。僕と三歳ほどしか変わらない手島というパートが最近流行している曲を選択して歌っていた。


「あれは確か、ハッピー・ディスタンスアビリティって曲ですよ」


 坂本さんは難しそうな顔をして、宙を睨んだ。

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