第4話 一日目 ―2―
現世の街の「牛丼」なるものは意外と美味しかった。
田中尚弥にも説明したのだが、死神は本来食事しなくても良い身体をしている。しかし、どういうわけか人間としての生理現象はそのまま死神が借りている身体にも影響しているらしく、関節を鳴らしたり、空腹時にお腹が鳴ったりする現象もそのまま採用されている。しかし、「食べられない」わけではないため、誰かが食事を提供すれば口に運ぶことが出来るのだ。
牛丼屋を出て、地下鉄駅の出入り口から地下に降り、ホームに降りる。
「で、君は仕事場までついていくつもりか」
田中尚弥が訊ねてきたので、私は答える。
「説明してなかったわね。その通りよ。今日から数えて一日目。明後日までに百億円を使いきらないと、あなたは死ぬ」
「殺してくれと言ったつもりだがな」
「考えてもみて頂戴。あと三日で百億円を使いきれるかしら?」
「正確に言えば、あと九十九億とちょっとだ」
「……あなた、性格悪いって言われない?」
私が何か言おうとしているうちに地下鉄車両がやってきて、田中尚弥はそれに乗る。七人ほどが横並びに座れるシートに腰を下ろし、私もその隣に座る。
「一つ気になったのだけど」
田中尚弥は訊く。
「君は、死神なのに牛丼屋の店員には見えていたな。実体が存在しているのか?」
「私の姿は見える人には見えるのよ。そうね、いくつか条件があるけれど、死期が近い人とか、自殺願望を持っている人とか。後は死神に魅入られている人ね。そういう人には姿が見えるわ」
「言ってしまえば、僕は自殺願望があるから見えるのか」
「違うわ。上からの命令であなたの命を頂戴しに来たのよ。私はその代理人」
「死神にも上下関係が存在するとはな」
「あら、死神は上下関係当然の業界よ?」
「上下関係があるのは、警察と軍隊だけで十分だ」
いくらかくだらない問答をしているうちに彼が「次で降りる」と言って席を立つ。そこから改札を通り、地上を抜け、しばらく歩いていると彼が働いている温泉施設が顔を出した。
※※※
早朝から始まる清掃業務を済ませ、開店を迎えたら比較的自由になる。公衆浴場の清掃スタッフというのは、そういう仕事だ。
今日も仕事に励もうとしているが、一つだけ厄介な存在がある。
そう、死神少女のことだ。
彼女曰く「対象を見届けるのが仕事」であるらしく、僕から離れることをしなかった。死神だからほとんどのスタッフには見えないのではないかと思っていたが、どういうわけか先ほどの店員が姿を視認できるように、社員の原田さんや年配のパートの坂本さん。その他女性スタッフも彼女がいる方を見て「新人さんですか?」と言ったのだ。
僕は涙目の死神少女を横目にどう答えるか悩んだ末、「職場見学に来た学生」として彼女を紹介した。
公衆浴場が営業開始時刻を迎え、バックヤードで一息ついていると、そこに坂本さんが来て、僕の正面の椅子に座る。死神少女はといえば変わらず僕の隣にいる。
「いやあ、田中君さあ。こんなべっぴんさん連れてねえ。もしかして、コレかい?」
坂本さんは右手の小指を立てて僕に見せる。
「ちょっと違いますがね。まあ似たようなものですよ」
「全く違います。私は死神で、彼の死を見届けに……」
死神少女が言い終わる前に、坂本さんが言った。
「そうかい? いやあ、わたしはねえ、妻と五年前に死別したもんでねえ。子供たちはみんな揃って東京や大阪に行っちゃうし、一人寂しく年金とパートで暮らしているんだけどね、最近は孫がおこづかいをせびってくるんだよねえ」
「はあ、お孫さんですか」
僕は坂本さんの話を聞く。死神少女は無視されたのが辛いのか、頬を膨らませている。
「うん。孫が五人。こづかいやるために働いているって言っても過言じゃないね。そうじゃなかったら今頃貯金だけで暮らしていけるよ。わたしはね、昔飲料水の販売店に勤めていたの。それで定年まで働いてさあこれからだという時に妻がガンであっけなく逝っちゃってねえ。今は孫たちのために働いているといっても過言じゃない」
死神少女はそこで口をはさんだ。
「坂本忠雄さん、六十四歳。子供は二人で孫が五人。子供との関係は良好ではなく、孫にもいい印象がない。一週間後、すい臓がんで息を引き取る……」
坂本さんが驚いたように死神少女を見る。
「へえ、ただのべっぴんさんと思っていたけど、そうじゃないみたいだ。医者が言ったわたしの余命まで当てて見せるとはな」
僕は驚いて死神少女と坂本さんを交互に見る。
「坂本さん、ガンだったんですか?」
「まあね。田中君を始め、誰にも言っていなかったけど」
「どうして言わなかったんです」
「いやね、余計な心配をかけたくなかったんだよね。見つかった時点でもう手遅れだったし、いつ言おうかって思ってたらこんな時間になった。わたしは老いぼれで子供たちに遺す遺産もないから、一人寂しく死のうと思ってね」
「子供たちにも伝えなかったのですか」
「たとえ血がつながっていても、人は人なんだ。わたしのことなんて死んで当然だと子供たちは思っているし、何だったら残り少ない遺産を狙って、早いうちにくたばらないかって思っているんじゃないかな」
僕はどのような言葉をかけていいかわからず、そのまま時が流れるのを待った。
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