第3話 一日目
夢を見ているにしては随分現実的だと僕は思う。記憶というものがほとんど信用できなくなってからはなおさらだ。
おんぼろアパートの一室(僕の部屋だ)にて僕と少女がいる。少女は百億円やるから死になさいと言った。なんて現実的な夢だろう。今の僕だったらこう返す。
「ねえ君は死神? 死のプロセスについて聞きたいんだ。僕は痛みを伴う死は嫌いで、確実な死を望んでいる。もし苦痛や痛みを伴わない安楽死的な方法で死神の君が殺してくれるなら僕は本望だ。なぜなら今の世界は……」
結局、どこまで喋ったかわからないまま終わる。どういうわけか頬が痛い。虫歯になったわけではなさそうだ。
「……目覚めたかしら?」
僕はどういうわけかフローリングの床に倒れている。上体を起こすと目の前に紙の束があって、それには全て福沢諭吉が印刷されている。財布に入っているべきはずの現金が積まれていて、数えるのがおっくうになる。その横に少女が座っている。
「夢ではない……のか」
「夢ならどれくらい良かったかしら」
「そんな有名シンガーの言い回しで応じられても困る」
「いい歌よね。玄米犬歯の『イチゴ』って歌」
「何もかも違う気がするがな」
僕はよろよろ立ち上がり、歯を磨く。洗面台に置いてある時計は朝四時を指している。出勤時間まであと少しだ。次に顔を拭いて髭を剃る。
鞄を持って玄関まで行こうとすると、少女がやってきた。黒いセーターにジーンズを穿いた、どこにでもいそうな格好をしている。
「こんなにお金があるのに、仕事に行こうとするの?」
指さす先に札束の山があるが、僕は視線をそらして答えた。
「たとえフリーターでも、責任というのはついて回るからね」
僕は玄関の鍵を閉め、地下鉄の駅の方まで足を進める。昨日降った雪があちこちに積まれて山になっている。道路も歩道も建物も、今僕が見ている世界は全て白色だ。足を進めていてふと食事をとっていないことを思い出した。腹が減っては労働が出来ない。そう思い地下鉄駅の傍にある牛丼屋に入った。
券売機の前で鞄を開くと財布がなかった。アパートを出る前にあれほど確認したはずだが、どこを探してもない。家に戻ろうかと思った矢先、先ほどの少女が何食わぬ顔でガラス戸を開けずに。言い換えるなら透明人間がそのまま入ってきたかのようにやってきた。
「お金を使いなさい。ほら、一万円」
少女がすっと一万円を差し出す。僕は受け取って券売機に差し込み、牛丼セットの並盛を注文した。店員に出てきた券を渡し、カウンター席に座ると、少女もそれにならう。
「引っかかったわね、あなた」
「ああ、三日で使い切れって奴だな」
「そうよ。じゃあ説明しておくわね。私は死神。普通死神は何の条件もなしに人の命を奪わないわ。だけど、金品や物品に細工をして、それを使ったものを期間内に殺すの。でも、それにはいくつか抜け穴がある。それが……」
お待たせしました。とお盆を持った店員がやってきて、僕の前に食事を置く。若い店員は僕の隣、正確に言えば死神少女が座っている場所を見て申し訳なさそうに言った。
「すいませんお客様。このご時世ですので一席分距離を置いてくれませんか? それと、食券をお持ちでないのでしたらあちらの券売機にて食券をお買い求めください」
死神少女はむっとした顔をした後、子犬のようにうるうるした目で僕を見ている。
「彼女、この店に来るのが初めてなので券売機のシステムがわからないんですよ」
「ああ、そうでしたか。ではご説明します」
若い店員はカウンター席を抜けて、券売機の前まで移動する。僕は死神少女に言った。
「ほら行けよ。店員さんの行為を無下にするつもりか?」
「私、現世の食事を食べなくても大丈夫な身体なんだけど?」
彼女のお腹が鳴り、顔を赤らめて死神少女は席を立つ。
「死神も、飯を食うのか」
僕は味噌汁を飲みながら窓の外の景色を眺めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます