最終話 冒険の旅へ
アレサが機能停止してから、およそ三ヶ月の時が流れていた。
あの日以来、アレサは一度も言葉を発していない。
その間、修介は忙しさに身を任せることで喪失感を紛らわせた。
ヴァレイラと共に積極的に妖魔討伐の依頼をこなしながら、街の復興作業も今まで通りに参加し、それらと並行して旅の準備を進めた。
無論、それで悲しみから逃れられるわけではない。
時おり発作のように激しい後悔に苛まれる。本来負うべき代償をすべてアレサに背負わせて、自分だけが幸せになることなど果たして許されるのか。そんな自問自答を何度繰り返したかわからない。
心にできた空洞が埋まることは生涯ないのだろう。
だが、修介は決して下を向かないと誓っていた。
アレサがそれを望んでいないからだ。
アレサのマスターとして相応しい自分でいる為に、亡き友との約束を守る為に、そして永遠の相棒との誓いを果たす為に……宇田修介は新たな冒険への第一歩を踏み出すことにしたのである。
抜けるような青空の中で、太陽が夏の爪痕を残そうとでもするかのように輝いている。
ルセリア王国の夏は短い。あと数日もすれば、あっという間に涼しくなるだろう。
修介は手をかざして日差しに抗う。視界の先には、王都へと続く街道が草原を貫くようにどこまでも続いていた。
目指すは大陸の東にあるヴォルテア王国。そこでサラの身体を治療してくれる魔術師を探し出すことが旅の目的だった。
この日を迎えるまでに、かなりの時間を要した。
一介の冒険者に過ぎない修介が準備に手間取るようなことはあまりない。手間取ったのはサラの方だった。彼女は魔法学院から派遣されている冒険者ギルドの相談役である。その後任がなかなか決まらず、ずっと足踏み状態が続いたのだ。
つい先日、サラの姉弟子であるマーラが後任に決まったことで、ようやく出発の日取りを決めることができたのである。
その間、修介は旅に同行してくれる仲間を集めた。
目的地は遥か遠くの異国の地で、道中には相応の危険が待ち受けていることが予想される。それでいて特に報酬があるわけではない。さらに事情をある程度知っていて信頼できる者となれば必然的に限られてくる。
だが、いざふたを開けてみれば、メンバーはあっさりと決まった。
「おぬしらだけだとすぐに路頭に迷いそうだからの」
「あたしも行くに決まってるだろ。いちいち聞いてくんな」
「私もパーティの仲間に入れてくれるのでしたら喜んで」
と、三者三様の物言いで、ノルガド、ヴァレイラ、アイナリンドの三人が同行を申し出てくれたのである。
ちなみにアイナリンドは無事にギルドへの登録を済ませ、正式な冒険者になっていた。すんなり事が運んだのは、セオドニーが事前にギルドに通達しておいてくれたからだった。
種族もエルフとして登録されているが、さすがにエルフであることは公言していない。活動を通じて少しずつ周囲と関係を築いていけば、いつかは受け入れられる日もくるだろう。その矢先に旅に付き合わせてしまうことに申し訳なさはあったが、当の本人は「私が行きたいから行くだけです」と平然としたものである。
弟のイシルウェは姉が人間と旅に出ることに難色を示したが、表立って止めるようなこともなく、割とあっさりと認めていた。本人はマッキオと共に白い塔の再調査に赴いている為、今回の旅には同行しない。この姉弟の関係性については、未だに修介もよくわかっていなかった。
残念ながらデーヴァンとイニアーの傭兵兄弟は、二ヶ月ほど前に西の国境で再びダラム王国との小競り合いが起こったと聞いて意気揚々と旅立っていった為、そもそもグラスターにはいなかった。イニアーが「出稼ぎ」という表現を使っていたことから、戻ってくるつもりはあるのだろう。
エーベルトとはあの地下遺跡探索以来、会っていない。受付嬢のハンナによると、かなり前にグラスターの街を出たとのことで、噂では北の大山脈へ向かったという話があったが、本当かどうかは誰も知らない。
もっとも、仮に誘えたとして、あいつが同行することは絶対にない、と修介は確信していた。
シーアは相変わらず治療師として神殿に担ぎ込まれてくる怪我人の治療に追われる日々を送っているらしく、クナルやトッドも冒険者としての経験を積む為に、様々な依頼をこなしているようだった。
皆がそれぞれの道を歩み始めている。
いずれまたどこかでパーティを組むこともあるだろう。
そんなことを思いながら、修介は何げなく後ろを振り返った。
遥か遠く、広大な緑の絨毯の上に、グラスターの街がぽつんと浮かんでいた。
(この景色もしばらくは見納めだな)
修介の中で、グラスターの街はすでに第二の故郷とも呼べる存在になっていた。離れることには一抹の寂しさがあった。
「……大丈夫。また帰ってくるさ」
そう言い聞かせるように呟き、景色を目に焼き付ける。
「――シュウ」
名を呼ばれ、修介は振り向く。
いつのまにかサラが近くまでやってきていた。
「急に立ち止まって、どうしたの?」
サラは風になびく長い髪を片手で押さえながら問いかけてきた。
「いや、なんでもないよ。ただグラスターの街ともしばらくお別れだから、ちょっと感傷に浸ってたってだけだ」
「やっぱり未練があるの?」
「ないよ。英雄なんてガラじゃないし」
「でも領主様から住む家を提供してもらうって約束をしたんでしょう?」
サラの言う家とは、今回の称号授与の副賞として、グントラムから街の郊外に家を一軒立ててもらうという話を指していた。ずっとマイホームを欲していた修介にしてみれば、称号よりも嬉しい褒賞なのはたしかである。
「実際に家が建つのは復興作業が完全に終わった後って話だから、今すぐ住めるわけじゃないよ」
「なにそれ、それじゃいつになるかわからないじゃない」
「仕方ないだろ」
「グラスターの守り手なんて立派な称号を与えておいて、ずいぶんと扱いがぞんざいなのね」
「まぁ、そのおかげですんなり旅に出られるわけだけどな」
「冒険者が旅に出るのは普通のことよ」
サラが呆れたように言った。
グラスターの守り手……領地の名を冠した称号が持つ意味。
領主がその称号を与えるということは、国内の諸侯に対して、その者がグラスター領にとって身内同然の存在であると宣言したということだった。
つまり、修介はグラスター領の庇護下に置かれたことになり、領内にいる限り、よそ者が危害を加えようとすれば、それは領主であるグントラムに対して喧嘩を売ったことと同義になる。
これは後になって知ったことだが、称号を与えるようグントラムに進言したのはセオドニーだった。そこへ話を聞きつけたシンシアが猛烈な勢いで賛成したことで、今回の称号授与に至ったのだという。
なんのことはない。セオドニーの「手を打っておいた」という発言は、このことを指していたのだ。
ちなみにその情報の出所は、今やシンシアの筆頭護衛騎士として傍仕えしているブルームである。酒に酔っての発言だったので真実かどうかは甚だ怪しいところだが。
この話をイニアーにしたところ、「見事に囲われたっすね、旦那」と笑われた。
グントラムやセオドニーにそういう意図があるのは間違いないだろう。
修介は個人的にグントラムに敬意を抱いていたし、なにより自分はもうグラスターの民だと思っていたので特に抵抗感はなかった。
とはいえ、そのグラスターの名を冠した称号を持つ人間が他国へ旅に出ようとしているのだから、サラが気にするのもある意味では当然かもしれなかった。
「――ねぇ、シュウ」
サラの口調があらたまった。
その表情から修介は次に彼女が何を言うかわかった。
「本当に後悔してない?」
「してないよ」
間髪容れずにそう答える。
「でも、私の身体のことで――」
「ストップ。そのことは何度も話しただろ。仲間を助けるのは当たり前のことだって教えてくれたのはサラじゃないか。みんなも迷惑だなんて思ってないよ。それでも申し訳ないって気持ちがあるのなら、それは他の仲間が困ってるときに返せばいい」
「……」
「それにな、この旅は俺が行きたくて行くんだ。もちろん、サラの身体を治療するって目的はある。だけど、それだけじゃない。この旅は俺自身の夢でもあるんだ。世界のあちこちを旅して、色んな景色を見て回るっていう夢を実現させる旅だ」
「……それって、やっぱりあなたの記憶喪失のことと関係あるの?」
「へ?」
記憶喪失の設定を完全に失念していた修介は変な声を出してしまった。
「ああ……いや、それはあんまり関係ない、かな……。どっちかというと思い出作り目的、みたいな? と、とにかく、俺は俺の目的の為に旅に出るんだから、サラは気にせずいつもどおりにしてればいいんだって」
そう言って修介は優しくサラの肩に手を置いた。その上にサラの手が重なる。
「ありがとう、シュウ」
「気にすんな。それにほら、前にみんなで一緒に王都へ行くって話をしただろ。その約束も果たしたかったしな」
「覚えててくれたんだ」
サラの顔がぱあっと明るくなる。
「当たり前だろ。せっかくみんなで旅に出るんだ。旅そのものを楽しもうぜ。そりゃ不安もあるけど、みんないるし、きっと楽しい旅になる。それに……」
そこで一旦、修介は言葉を区切った。次の台詞を言うかどうか迷ったのだ。自分でもかなり恥ずかしいことを言おうとしていた。
「それに?」
「その……なんだ、俺はサラと一緒に色んな景色を見たいっていうか、それが楽しみでもあるっていうか……」
「……」
サラはびっくりしたように目を見開いた。が、すぐに嬉しそうに笑って、えいや、と勢いよく修介の腕に絡みついた。
「シュウは王都、初めてなんだよね?」
「ああ」
「だったら、私が街を案内してあげる」
「そいつは楽しみだ」
「ついでに魔法学院のおばあさまのところに一緒に挨拶に行く?」
「そ、それは遠慮しておきたいかなぁ……」
とはいえ、大切な孫娘を旅に連れ出すのに挨拶に行かないわけにもいかないだろう。そもそも今回の旅は表向き、ベラ・フィンドレイからの学術調査依頼、という名目なのだ。会わないで済むはずがなかった。
「おいそこ! いつまでいちゃついてんだ。おいてくぞ!」
遥か前方にいるヴァレイラから罵声が飛んできた。その傍にはアイナリンドとノルガドの姿もある。
「いきましょっか」
サラが上目遣いに言った。
そのとき、腰のアレサが小さく震えたような気がした。
気のせいなのはわかっている。それでも少し、胸が躍った。
――アレサ、見ててくれ。
柄を握りしめ、そう語り掛ける。
アレサはいつだってここにいる。
「よし、いこう!」
修介はサラの手を握り、走り出した。
澄み渡る青空がどこまでも、どこまでも続いていた。
グラスター戦記 第十一章 了
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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