第268話 修介とアレサ
その日は、いつもと変わらない休日になるはずだった。
窓から差し込む日差しで目を覚まし、井戸水で顔を洗う。最近は復興作業で毎日のように重い資材を運んでいたせいで身体のあちこちが痛い。
宿の主人が用意してくれた朝食を食べた後は日課の素振りをし、それが終わると昼近くまで部屋の中でアレサに文字の読み書きを教わる。旅に出ることが決まってから、本格的に勉強を再開したのである。
午後になると街へと繰り出した。
本当は部屋の中でごろごろしていたかったのだが、前日の夜に珍しくアレサから『明日は街の散策をしにいきましょう』と提案されていた為、行かないわけにもいかなかった。
特に行き先の指定がないようなので、とりあえず市場に出る。
街の復興は少しずつだが着実に進んでいるようだった。今も木材を叩く音がそこかしこから聞こえてくる。
昼食代わりに適当な屋台で買い食いし、気の向くまま歩いていると、顔なじみの食堂の店主から「たまにはうちに食べに来いよ」と声をかけられた。
たしかに最近はあまり外食をしていなかった。理由は単純で、サラの屋敷に行って晩飯を食べる機会が増えたからである。
あの告白以来、サラと一緒にいる時間は自然と多くなっていた。想いが通じ合うという感覚が久しぶりなこともあって、そんなつもりはなくても舞い上がっているのかもしれなかった。
ちなみに屋敷に顔を出すとアイナリンドは歓迎してくれるのだが、ヴァレイラからは「きやがったなヒモ野郎」と邪険にされるのがお約束だった。
その後は冒険者ギルドの周辺を散策した。
この辺りの路地は複雑に入り組んでいて、ちょっとした迷路のようになっている。一年近く暮らした今でもすべての道を把握できていないほどである。
そういった場所を歩くのは何気に楽しい。同じ場所でも違った角度から見るとまったく別の景色に見えたり、進んだ先が見知った場所だったりすると「おお、ここに出るのか」とちょっとした感動を覚えるのだ。
なので、入ったことのない路地を見つけるとつい足をむけてしまう。
前の世界でもそうやって地元の街をくまなく歩いた。下手をすると不審者扱いされてしまうので、時間帯や服装には気を遣ったものである。
そんなこんなで、修介は日暮れ近くまで散策に勤しんだ。
特になにか収穫があったわけではないが、久々にのんびりとした時間を過ごせて良い気晴らしになった。
そろそろ帰るか、そうアレサに声をかける。
『帰る前に、マスターにお願いがあります』
「なんだよあらたまって」
修介はそう返したものの、思考の大半はすでに今日の晩飯をどうするかという議題に割かれていた。
『この街でマスターの一番お気に入りの場所へ連れて行ってください』
「はぁ? 今からか? もう日が暮れるぞ」
予想外すぎる要望に修介は戸惑う。それでいて頭の中ではしっかりと行き先の選定を行っていた。アレサがわがままをいうことは滅多にない。基本的に断るという選択肢はなかった。
「……ちょっと時間が掛かるけどいいか?」
『かまいません』
「わかった」
修介が向かったのは街の外にある小高い丘の上だった。
東門を出て少し歩いた場所にあるその丘は、冒険者になりたての頃、毎日のように薬草採集に赴いていた時に発見した、グラスターの街を一望できる絶景スポットである。
門を出入りする手続きが面倒なのでそうそう訪れることはないが、逆に街の東側へ出る時は必ず立ち寄る程度には気に入っていた。
『……なるほど、やはりここを選びましたか』
到着して早々、アレサがそう感想を口にした。
「単純に見晴らしが良いってこともあるが、なんていうか城塞都市なんて前の世界では見ることなんてなかったからな。これぞザ・異世界って感じがするだろ? 特にこの時間帯は夕日も綺麗だから結構気に入っているんだ」
話しながら修介はグラスターの街を眺める。夕日を背にした街並みは美しく、どこか幻想的だった。
「まぁ、今となっては珍しさよりも愛着の方が強いかな」
『そういうものなのですか?』
「誰だって長く住んでいればその土地に愛着がわくものだろ。そう感じるってことはそれだけこの街の暮らしに慣れたってことだ。だからと言って、生まれ育った故郷を忘れたわけじゃないぞ。前の世界でも休みの日には地元の山に登って自分が住んでいる街の景色を眺めたりしてたしな」
『寂しい休日を過ごしていたのですね』
「余計なお世話だ。俺はひとりの時間を大切にする人間なんだよ」
『そういうことにしておきましょう』
「あのなぁ――」
修介は文句を言いかけて止めた。不毛な上に勝ち目がないからである。
「……まぁいいや。それで、なにか話があるんじゃないのか?」
そう水を向けると、アレサは肯定するように小さく震えた。
『マスターに大切なお知らせがあります』
「なんだ?」
軽口を叩き合った直後とあって、修介は完全に油断していた。
『――もうまもなく、私は機能を停止します』
その言葉の意味を理解するのに十秒ほどの時間が必要だった。
「……ちょ、ちょっと待てって。え? 機能停止って……は? いきなりなに言ってんのお前。いくらなんでもその冗談は笑えないって」
『落ち着いてください、マスター』
「落ち着けるわけねーだろッ! どういうことだよ!?」
修介は唾を飛ばさんばかりに叫んだ。
『今夜……正確には六時間十七分二十八秒後に私はすべての機能を停止します。なお、残り時間は状況によって多少前後します』
「そういうことを聞いてるんじゃねぇ! 機能停止ってなんだ!? アレサとはもう二度と会話ができなくなるってことか!?」
『そういうことになります』
「なんでッ!?」
修介は自分でも引くほど取り乱していた。
『端的に申し上げると、エネルギーが尽きるからです』
「エネルギー……? け、けど、前に聞いたとき寿命は八百年あるって言ってたじゃないか!」
『それは何もしなければの話です。私が何かをすれば、その分だけエネルギーの消費量は増します。当然のことでしょう』
「いやでもまだ一年だぞっ!? 元が八百年分もあるのに、そんな急になくなるなんておかしいじゃないか!」
動揺する修介に、アレサは淡々と事実を述べていった。
アレサにはガイド役として様々な制約が設けられており、もしその役目を逸脱するような行為をした場合、ペナルティが科されること。そのペナルティとは、エネルギーの消耗が著しく増大するというものであること。
アレサがその事実に気付いたのは、魔獣ヴァルラダンとの戦いで修介を庇い、一時的に機能停止に陥った時だった。再起動後、エネルギーの残量が目に見えて減っていたのである。
それ以降も、アレサが修介の為に何かをすれば、その分だけエネルギーの消耗は加速度的に増えていった。
『――先日の魔術師との戦いが決定打となりました。あれで残っていたエネルギーのほとんどを使い果たしました』
「そんな……」
修介はとても立っていられず、その場に膝をついた。
ちょうどその時、太陽の姿が城塞の向こう側に消えていった。
景色が夜へと変貌を遂げていく。まるで心が闇に覆われていく様を表現しているかのようだった。
アレサの言葉に嘘がないとしたら、ヴァルラダンの攻撃から庇ってくれた時も、グイ・レンダーとの戦いで力を貸してくれた時も、それ以外のありとあらゆる場面で手を貸してくれたそのすべてが、自らの命を削って行っていたということになる。
そしてそれは、アレサの機能が停止する原因のほぼすべてが修介にあると言っているようなものだった。
「な、なんとかエネルギーを充電する方法はないのかよ」
修介は喘ぐように問いただした。
『私のエネルギーは充電式ではありません。失われたエネルギーを取り戻す方法は存在しません』
「そんな大事なことをどうして教えてくれなかったんだよ! もし知ってたら――」
『知っていたら、マスターは私を使いましたか?』
「そ、それは……」
修介は言い淀む。その仕様を知っていたら、間違いなく冒険の旅にアレサを持っていくことはしなかっただろう。仮に持っていったとしても実戦で使うことは絶対にしなかったと断言できた。
『マスター、私は道具です。使われなければ存在する意味がありません。それに私の存在がマスターの枷になることを私は望みません』
「だからって、それが残りのエネルギーを使い果たしていい理由にはならないだろ!」
『結果的にそうなってしまったというだけです』
「けど、無茶をしたらこうなるってわかってたんだろ? なんでだよ……なんでそんな真似を……」
修介は震える声で呟く。
この世界でずっとアレサと共に生きていく。それが当たり前だと思っていた。それがこんな形で終わりを迎えるなど、到底受け入れられるはずがなかった。
『……マスターは以前、私に何かやりたいことはないか、と聞いてきたことがありましたよね。あの時、私は考えたこともないと答えました。そして、強いて言うならマスターの成長を見守ることだと、そうお伝えしました。覚えていますか?』
「……ああ、覚えてる」
『今の答えはあの時とは異なります』
修介は黙って続く言葉を待つ。手が無意識のうちにアレサの柄を強く握りしめていた。
『私の今の望みは、マスターと共に戦うことです。最初はガイド役以上のことをするつもりはありませんでした。ですが、マスターがひたむきに頑張っている姿を見ているうちに、私はただのガイド役としてではなく、マスターの相棒として、魔術娘や金髪娘と同じように仲間として共に戦いたい……そんなことを考えるようになっていました』
「アレサ、お前……」
アレサがそれほどまでに強い想いを抱えていたということに、修介はまったく気付いていなかった。いや、気付かせないように振舞っていたのだろう。それを知った修介がどう行動するか、アレサにはわかっていたから……。
『あの魔術師との戦いは、私にとって最初で最後のチャンスでした。最後にマスターと共に戦うことができて私はとても満足しています』
「勝手に満足するな! 俺にはまだアレサが必要なんだよ!」
『マスター、なぜ私がマスターが自責の念にかられるとわかっていてすべてを話したか、おわかりになりますか? 今のマスターならば事実を受け止めた上で、前に進んで行けると判断したからです。マスターは今回の旅の中で、どんな苦境に陥ってもあきらめずに最後まで自分が選んだ道を進み続けました。マスターに、もうガイドは必要ありません。私の役目は終わったのです』
「終わってねぇ! 違うんだ……必要とか、必要じゃないとか、そういうことじゃなくて、俺がアレサと一緒にいたいんだ……」
『私も同じ気持ちを抱いています。ですが、私はもうマスターの希望に添うことはできそうもありません』
アレサのその言葉で、修介は現実を受け入れざるを得なくなった。
「……本当に機能停止、しちまうのか?」
『はい』
「こんなことになって、アレサは後悔してないのかよ」
修介の問いに、アレサは否定するように小さく震えた。
『マスターはこれまでの戦いでいくつもの傷を負ってきましたが、そのことについて後悔していますか?』
修介は少し考えてから、答えを口にする。
「後悔は……してない、と思う。戦士の傷は勇敢に戦ったという証みたいなものだから」
『私も同じです。私が失ったエネルギーは、マスターと共にこの世界で生きた証なのです。後悔などするはずがありません』
「アレサ……」
『マスターはいつだって私の期待に応えてくれました。だから今回も乗り越えられると信じています。それに、私がいなくてもマスターには喜びや悲しみを分ちあえる仲間がいるではありませんか。これからは彼らの声に耳を傾け、互いに支え合って前に進んでください。そして胸を張って幸せだったと言えるような人生を歩んでください。それが私の最後の願いです』
限界だった。あふれる涙を堪えることができなかった。
いかないでくれ――そう叫びそうになるのを修介は懸命に堪えた。
今言うべきはそんな言葉ではない。
アレサのことを想うのならば、最後の最後まで情けない姿を晒したままでいいわけがなかった。
修介は涙を拭い、腹に力を込めた。
「アレサ、あとどれくらいの時間があるって言ってたっけ?」
アレサが正確な残り時間を告げる。
「……わかった。ならその残った時間、全部俺にくれ」
そう宣言すると、修介は返事を待たずにアレサを鞘から抜き放った。そしてポーチから布を取り出し、刃を磨き始める。
作業の間、抱えている罪悪感や情けない言葉はすべて胸の奥深くに押し込み、いつもどおりの他愛のない会話に終始した。
街で見かけた看板の読めなかった単語についてや、復興作業で一緒になった職人から聞いた面白話。そしてこれから出る旅についてなど、話題が尽きることはない。
アレサもいつもと同じように様々なアドバイスや説教を口にした。
お互いに思いつくままに言葉を紡ぎ、時間を忘れて語り合う。
……どのくらいそうしていただろうか。
気が付けば、アレサはほとんど振動しなくなっていた。返ってくる言葉も途切れがちになる。
それでも修介は普段通りに振舞い続けた。
アレサがそれを望んでいると信じて。彼女が安心して休めるように、せめて最後だけでも恰好良いところを見せておきたくて……。
『マスター……私は、いつでも……傍に……』
それがアレサが発した最後の言葉だった。
「アレサ……ありがとう……」
修介はゆっくりとアレサを鞘に戻した。そして腕に抱き、頬を寄せる。アレサの身体には、ただの金属とは違う、たしかな温もりがあった。
その温もりを忘れぬよう、腕に力を込める。
空に瞬く星たちが、ふたりを静かに見守っていた。
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