第267話 称号
談話室には、式典の出席者と思しき者たちがすでに顔を揃えていた。
幸い、まだ式典は始まっていないようだった。
修介はとりあえず目立たぬように壁際に立ち、室内を見回してみる。
改まった場だというのに雰囲気が物々しく感じられるのは、出席者のほとんどが騎士や冒険者だからだろう。例によって騎士と冒険者で綺麗に分かれて集まっており、その間を使用人たちが忙しそうに行き来している。
てっきりデーヴァンも呼ばれていると思って探してみたが、どこにも姿は見当たらなかった。おそらく辞退したのだ。たしかに彼が式典に参加している姿はあまり想像できなかった。
外のバルコニーには領主グントラムの他に、騎士団長カーティスや重臣達、そしてシンシアの姿があった。彼女は以前の宴の時と同様に白を基調としたドレスを着ており、甲冑を纏った武骨な男どもの中にあって、夜空に浮かぶ月のように美しく輝いて見える。
と、視線に気づいたのか、シンシアの顔が修介の方を向いた。
修介は一瞬どきりとしたが、それを顔には出さずに小さく会釈する。
シンシアは以前のように駆け寄ってきたりはせず、微笑みを浮かべて目礼を返しただけで、すぐに他の者の応対に戻った。その横顔は修介が知る彼女よりもどこか大人びて見えた。
修介はどこかほっとした気持ちでシンシアから視線を外した。
彼女の好意を知っているだけにどうしても罪悪感を抱いてしまう。かといってこちらからわざわざサラとのことを説明しに行くのもおかしな話である。
そういう機会があれば、ちゃんと話そう。とりあえずそんな消極策を選択し、修介は室内へと視線を戻した。
ふと、見知った顔が視界に入った。
修介は部屋の中央で手持無沙汰そうに立っているその男に近づき、声をかける。
「ダドリアスさん」
「ん? おお、シュウスケか。君も呼ばれていたのか」
「はい」
「ちょうどいい。悪いが式典が始まるまで相手をしてくれないか。どうもこういう場には慣れていなくてな」
「もちろん、かまいませんよ」
俺も似たようなものですから、と修介が付け加えると、ダドリアスはほっとしたような顔で「助かる」と返してきた。
彼は冒険者から騎士になったという異色な経歴の持ち主である。騎士と冒険者どちら側にも寄らずに一人で立っていたあたり、相変わらず苦労しているのだろう。
それでも彼がカシェルナ平原の戦いでトレヴァー亡き後、残った部隊の指揮を執り、戦の勝利に貢献したことは記憶に新しい。しかもその功績が評価され、つい先日即応部隊の副長に抜擢されたとのことだった。
修介が祝辞を述べると、「それだけ騎士団の人材不足が深刻化しているということだ。素直に喜べん」と苦い顔で返された。
話の流れから、修介は騎士達の方へと視線を向ける。
輪の中心にいるのは、やはりランドルフだった。その功績をあらためて語る必要はないだろう。今や名実ともにグラスター領が誇る最強の騎士である。
その時、冒険者達がいる方で大きな笑い声が起こった。
声の主はゴルゾだった。
「あいつも呼ばれてたのかよ……」
修介は思わず顔をしかめた。
たしかにゴルゾは傭兵隊の先頭に立って活路を切り開いたりと、かなりの活躍をしていた。この場に呼ばれていたとしても別におかしくはない。
だが、ダドリアスによると、ゴルゾが呼ばれた理由はそれだけではないという。
「妖魔の襲撃があった時に、ちょうど病気の娘の治療で性愛の神の神殿を訪ねていたらしくてな。娘を守るために神殿の前で孤軍奮闘した結果、その場にいた人たちから感謝されて、それが領主の耳に入ったらしい。今では一躍時の人だ」
「マジか……」
ゴルゾは修介の視線に気付く様子もなく、派手な身振りを交えて周囲の冒険者達に話しかけている。ひょっとしたらその時の活躍を自慢しているのかもしれない。
ダドリアスの話では、今回の襲撃事件ではそういったエピソードは枚挙に暇がないという。
たとえば訓練場の教官ハーヴァルに率いられた訓練兵たちが逃げ惑う住民の避難誘導に尽力したとか、とある鍛冶屋の息子が売り物の武器を提供しながら男達を扇動して戦いに加わったとか、この場に呼ばれていない者たちの中にも、街を守るために戦った勇敢な者が大勢いたとのことだった。
「そっか、そうだよな……」
修介はかみしめるように呟いた。
魔法王や魔力炉といった世界の命運を左右するような超常的なものと深く関わってしまったせいで、自分一人が大きなものを背負っているかのような錯覚に陥っていたが、そんなことはなかったのだ。
人の数だけ戦いがあった……それぞれが大切なものを守るために命を懸けた。当たり前のことだが、その事実が重くなっていた心を少しだけ軽くしてくれた。
やがて式典が始まった。
式典とはいっても華美な装飾や演出など一切ない、ごく質素なものである。時世的に致し方ないとも言えるが、元々グラスターの地では質実剛健が貴ばれているので、平時であってもあまり変わらないとはダドリアスの言である。
壇上では領主グントラムが中庭に集った民衆に向けて演説を行っていた。
此度の勝利は騎士団の活躍によるものではない。すべてのグラスターの民の力で掴み取った勝利である――そんな主旨の内容だった。
グントラムの言葉はいつだって力強く、自信に満ちあふれている。
修介も戦場で戦う姿を実際に目の当たりにしたが、まさしく勇者と呼ぶに相応しい戦いぶりだった。彼が率いていたからこそ、あの極限状態で討伐軍が勝利できたのだと修介は思っていた。
一方で、街中では領主を非難する声も決して少なくはない。カシェルナ平原で勝利していながら、妖魔の街への侵攻を防げなかったからである。
真相を知っている修介からすれば歯がゆい状況だが、当のグントラムはそんなことを微塵も感じさせない威風堂々とした姿で力強く民に語り掛けている。そうでなければ領主などとても務まらないのだろう。
「――ではここで、我らが領土を、そして街を守る為に多大な功績を上げた勇敢な戦士たちを紹介させてもらおう」
グントラムがそう宣言すると、呼び出しの者が出席者の名を読み上げた。
呼ばれた者はひとりずつ壇上に上がり、グントラムからその活躍を称えられ、褒賞を手渡される。その都度、民衆から拍手と歓声が湧き起こった。
ひと際盛り上がったのは、やはりランドルフの時だった。彼の名を連呼する声はしばらく鳴りやまず、その人気ぶりが窺えた。
その後も次々と出席者たちの名が呼ばれていく。
ところが、修介の名が呼ばれる気配は一向になく、とうとう最後のひとりになってしまった。
もしかして忘れられているのかも、と不安になったところでようやく名が呼ばれた。
修介はごくりと唾を飲み込んでから壇上に向かう。これまでに味わったことのない緊張感で手足が小刻みに震えている。
壇上に立つと、広い中庭が一望できた。集まった民は少なくとも千人は軽く超えるだろう。これほどの人から注目された経験など、学生時代に生徒総会で無理やり議長をやらされて以来かもしれなかった。
隣に立つグントラムが、よく通る声で語り始める。
「この者のことは皆もよく知っていよう。此度の戦でも即応部隊の傭兵として参加し、敵の首魁たる人獣を見事撃退。さらには上位妖魔サリス・ダー討伐にも大きく貢献した。その勇気と行動は、まさしくこの場で称えられるに相応しきものである」
たちまち拍手と歓声が湧き起こる。
グントラムは片手を上げてそれを制すと、なぜか修介に向かってにやりと笑みを浮かべてから再び群衆の方を向いた。
「……この一年、我がグラスター領は多くの災厄に見舞われた。魔獣ヴァルラダンに始まり、相次ぐ上位妖魔の出現。そして此度の妖魔の大侵攻である。先ほども言ったが、それらを退けることができたのは、すべての民が力を合わせて立ち向かったからである。だが、そのなかでひと際輝きを放った者がいたとすれば、それはこの若者であると言わせてもらおう」
唐突にグントラムが修介の肩に手を置いた。
「この者は長年街道の平和を乱してきた賞金首ジュードを討ち取り、魔獣ヴァルラダンとの戦いではハジュマ、ランドルフらといった歴戦の強者と共にその討伐に大きく貢献した。それだけに留まらず、妖魔の魔の手から我が最愛の娘を救ってくれたことさえあった。この一年でこの者が果たした領地への貢献は計り知れぬ。私はこの若き勇者にどう報いるべきか、ずっと考えてきた。そして今日、ようやくその答えを得た。私はこの者にグラスターの名を冠した称号を贈ることで、その献身に報いようと思う」
場がしんと静まり返る。誰もが固唾を飲んで領主の次の言葉を待っていた。
そしてグントラムはこの日一番の大声で宣言した。
「――あらたな若き英雄の誕生である! 紹介しよう。『グラスターの守り手』、冒険者シュウスケだ!」
次の瞬間、割れんばかりの大歓声が上がった。人々の興奮と熱気が振動する空気を通して伝わってくるようだった。
修介は呆気に取られ、呆然と立ち尽くす。状況に理解が追い付かない。
グラスターの名がつく称号にどういう意味があるのかわからなかったが、人々の熱狂ぶりがそれがすごいことなのだと教えてくれた。
「不服か?」
民衆に手を振りながら、グントラムが修介にだけ聞こえる声で問いかけてきた。
「い、いえ、そういうわけでは……」
「光栄に思うがいい。俺がグラスターの名がついた称号を贈るのは貴様で二人目だ」
マジっすか、と言いそうになるのを修介はなんとか堪えた。
「……そ、そのような希少な称号をなぜ俺――私に?」
「貴様も今のグラスターの状況は知っていよう。民は明るい話題に飢えている。こういう時こそ新たな英雄が必要なのだ」
「そういうことなら、私よりもっと相応しい方がいるのではないかと……」
「この歓声が聴こえぬとは言わさんぞ。これこそ民が貴様を認めたというなによりの証ではないか。彗星のごとく現れ、数々の戦いでその名を轟かせた若き冒険者……まさしく英雄に相応しかろう」
「……」
「心配するな。ただの称号だ。貴様の行動になんら制限をつけるようなものではない。それよりも、貴様も手を振って民に応えてやらんか」
そう言うと、グントラムは修介の背を叩いて強引に前に押し出した。
ふらふらと前に進み出た修介は、ブリキ人形のようなぎこちない動作で手を振った。それに応えるように、さらに歓声が大きくなる。
ふと、修介の視界に群衆の最前列にいるサラの姿が映った。その傍にはアイナリンドやヴァレイラの姿もある。
目が合うと、サラは遠慮がちに手を振ってきた。すかさずヴァレイラが茶々を入れているのが見えた。顔を真っ赤にして言い返しているサラを、アイナリンドが困ったような顔で宥めている。
(ま、サラが喜んでくれてるならそれでいっか)
修介は深く考えるのをやめ、引きつった笑顔のまま手を振り続けるのだった。
……こうしてグラスターの地に、ひとりの英雄が誕生した。
この日を境にシュウスケの名はグラスター領に留まらず、ルセリア王国内にまで広まっていくことになるのである。
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