第266話 忠告

 領都グラスターが襲撃を受けるという衝撃的な事件から一カ月ほどが過ぎていた。

 街の被害は甚大で、倒壊した家屋や神殿は未だに復旧の目途が立っていない。

 さらに南門と防壁は手付かずで、つい先日クルガリの街からドワーフ職人の一団がやってきてようやく本格的な修復作業が始まったものの、完全に元通りになるには年単位の時間が掛かると予想された。


 サラと旅に出ることを決めた修介だったが、旅の準備を進めつつも、冒険者ギルドで復興関連の依頼を積極的に受け、日々その作業に従事していた。

 といっても、やっていることは主に建材の運搬である。決して割の良い仕事ではないが、もう少しすればこの街ともしばらくお別れになることから、せめて旅立つまでは街の復興に協力したいと思ったのである。


 そんなある日、修介の元に領主グントラムからの使いの者がやってきた。

 曰く、カシェルナ平原での戦いや領都防衛戦で戦功をあげた者を称える為の式典を開くのでそれに出席せよ、とのことだった。

 あまり気は進まなかったが、以前にヴァルラダン討伐の戦勝会の出席を辞退した手前、さすがに今回は出席しないわけにもいかなかった。

 指定された日時に屋敷に赴くと、事前にお触れが出ていたのか、復興作業の只中にもかかわらず、多くの民衆が詰めかけていた。

 門番の話によれば、領主が特別に中庭を開放したからだという。戦いに勝ったこと、平和になったことを民に大々的にアピールすることが目的なのだろう。大変な時期だからこそ、そういったけじめが必要だというのは修介にも理解できた。


 屋敷に入ると、使用人の案内で二階に上る。

 式典が行われるのは二階のバルコニーで、出席者たちはバルコニーに隣接する談話室に集められているとのことだった。以前にシンシアとのお茶会で何度か訪れたことがあったので、修介も場所は良く知っていた。

 ところが使用人に案内されてたどり着いたのは、談話室ではなくセオドニーの執務室だった。


(すっかり忘れてた……)


 マシューに報告したことで修介の中では調査団の依頼は完全に終わったつもりになっていたが、マッキオ以上に手強い相手がまだ残っていたのである。


「やぁ、これから大切な式典だというのに呼びつけてすまなかったね」


 部屋の主は相変わらずの軽い調子で声をかけてきた。もっとも、机の上に乱雑に積み上げられた書類のせいで姿は見えない。


「私は別に構いませんが……ずいぶんとお忙しそうですね」


「ああ、これかい? 今回の事件のせいで色々とやらなきゃならないことが山積みでね。もう少しで一段落つくから、悪いけどそこに座って待っててくれるかい?」


 書類の山からはみ出た指先が近くのソファーを指し示した。

 修介は「わかりました」と答え、ソファーに腰かける。使用人が入れてくれたお茶をすすりながら十分ほど待っていると、作業を終えたセオドニーが疲れを感じさせない優雅な足取りでやってきた。


「まったく、最近の父上はこの手の書類仕事を全部僕に押し付けてくるから困ったものだよ」


「はぁ……」


「妖魔相手の戦は勝っても何も得られるものがないからね。まさか妖魔に賠償金を請求するわけにもいかないし、壊れた壁の補修やら戦死した兵士の遺族への補償やらで領の財政は火の車さ。いくら王国から援助があると言っても無尽蔵ではないし、色々とやらねばならないことが多いのさ」


 今のグラスター領が様々な問題を抱えているというのは、実際に暮らしている修介も肌で感じていた。

 特に今回の妖魔の大侵攻で主戦場となったカシェルナ平原の村々では、多くの田畑が壊滅的な被害を受け、冬には深刻な食糧不足も懸念されているという。


「――とまぁ、君にこんなことを言っても何にもならないか。今日君を呼んだのはこんな話をする為じゃないしね」


 セオドニーは足を組み、膝の上に手を置いた。


「実は今回の遺跡調査のことでちょっと君に聞きたいことがあってね」


 そらきた、と修介は身構えた。


「私が知っていることはすべてマシュー団長にお話ししましたが?」


「もちろん報告は受けているよ。色々と大変だったみたいだね」


 その色々がどのように伝わっているのか修介は気になったが、下手につついても蛇が出るだけだと自重した。


「報告だと調査団のメンバーで実際に白い塔の魔術師と遭遇したのは君だけということになっているけど、間違いないかい?」


 セオドニーの問いに、修介は頷いた。


「間違いないです」


「どんな特徴をしていたか、君の口からあらためて説明してほしい」


「えっと、黒いローブを纏っていて……フードのせいで顔はよく見えませんでしたが、やたらと肌が白くて、目が赤く光ってました。あとは……指に大きな赤い宝石がついた指輪を嵌めていましたね」


 修介としては指輪の話題は避けたかったが、マシューにも報告している以上、そこに触れないのは不自然だった。


「なるほど……」


 セオドニーは形の良い顎に手を当てて考える素振りをする。


「なにか気になることでも?」


「ああ、たいしたことじゃないんだけど、街が襲撃を受けた際に今聞いた特徴とまったく同じ姿の魔術師が私の目の前に現れてね……そいつが自分のことを魔法王ルーファスだと名乗ったんだ」


 たいしたことあるじゃないか、と修介は心の中で突っ込んだ。


「もちろん狂言だとは思うけど、実際にその魔術師と戦ったという君の意見も聞いてみたくてね。どうだい?」


「どう、と言われましても……。マシュー団長にも言いましたが、いきなり襲われて特に会話らしい会話もしませんでしたし……そいつが魔法王かどうかなんて私にはわかりませんとしか……」


「ふむ……」


「ただ、いくら魔術師だからって何百年も前の人間が今も生きているなんてちょっと信じられません。それに本物の魔法王であれば自爆なんて間抜けな最期を迎えたりはしないと思いますが……」


 修介は臆面もなく言ってのけた。秘密を抱えて生きていくと決めた以上、この程度で動揺してはいられなかった。


「なるほど、たしかに君の言うとおりだ。まったく魔術師という輩は変人や狂人ばかりで嫌になるね。おっと、今の発言はサラ嬢には言わないでくれよ」


「言いませんよ」


「あとわかっているとは思うけど、今の話も含めて白い塔の魔術師については口外無用で頼むよ。民に余計な不安を与えたくないからね」


「はい。承知しております」


 調査団の調査結果については、白い塔に住み着いた妖魔を討伐したと公表されただけで、今回の領都襲撃とは完全に別件として扱われていた。当然、魔術師の存在についても触れられていない。

 街の襲撃に関しても、住民の大半が妖魔の大侵攻によるものだと受け取っているようだった。

 ただ、実際に街の防衛に加わった者のなかには戦った相手がただの妖魔でないことに気付いている者も当然いた。

 そのせいで街では様々な噂話や憶測が飛び交っていた。

 王都で暗躍している魔術結社の陰謀だとする説。

 死者を操る新種の妖魔が出現したとする説。

 果ては地下に眠る不死者の王が復活しただの、古に滅んだはずの魔神が蘇ったなどという荒唐無稽な話まで出てくる始末である。

 それらの噂話の中には「古代魔法帝国の魔法王が復活し、世界征服に乗り出した」という、ほぼほぼ真相を言い当てているものもあって修介を驚かせたが、その説を推す者はあまり多くない。

 現在のところ一番人気は新種の妖魔説だった。というのも、防衛戦において騎士ランドルフが魔法を使う三つ首のオーガを激闘の末に討ち取った現場を多くの兵や民が目撃したからだという。


「まぁ民にとっては事件の真相よりも目の前の生活の方が大事だからね。騒がれるのも今のうちだけさ」


 そう嘯くセオドニーを見て、修介は彼が意図的に噂話をばらまいたのではないかと思った。魔法王説を混ぜるあたりが、いかにもなやり口である。

 ひょっとしたら魔法学院あたりとなんらかの政治的な取引があったのかもしれない。


「ところで最近、身の回りでなにか変わったことが起きたりしてないかい?」


 セオドニーが唐突に話題を変えた。


「変わったこと……ですか?」


「例えば変な視線を感じるとか、誰かにつけられたりだとか」


「……特にないと思いますけど」


「本当にないかい? 街に戻ってきてから変化したこととか、どんな些細なことでも構わないよ」


 そう言われて修介はここ最近の記憶を掘り起こす。


「うーん……強いて言うなら、珍しくギルドで指名依頼があったことと、街中を歩いている時に人に声をかけられることが増えたってことくらいでしょうか」


 さしたる関心は示さないだろうな、と思いながら修介は答えたが、意外なことにセオドニーは食い付いてきた。


「その依頼主はどんな人だった?」


「すいません、一応、守秘義務があるんで言えません」


「依頼は受けたのかい?」


「いえ、結構日数がかかりそうな依頼だったのと、最近は復興関連の依頼を優先させているので、事情を話してお断りしました」


「街で声をかけてきたという人は顔見知りかい?」


「いえ、見ず知らずの人でした」


「どういう用件だった?」


「道を聞かれたりとか、人違いだったりとか、そんな感じです」


 一体何の話かわからないまま、修介は正直に答えた。


「なるほどね……」


 セオドニーはひとり納得したように呟く。そして彼にしては珍しく真剣みを帯びた表情で修介の顔を見た。


「ひとつ君に忠告しておこう。これから先、近寄ってくる人間を迂闊に信用しないほうがいい」


「なぜですか?」


「君が地下迷宮で魔術師と接触した唯一の人間だからさ」


「それを知っている人間は限られると思いますが」


「今回の白い塔の調査は父の名で事前に告知して行われたものだ。当然、王国内だけでなく周辺諸国にもその情報は届いている。古代魔法帝国に関する情報を欲している者にとって調査団に参加した人間は貴重な情報源だ。いくら口止めしたところで、人の口に戸は立てられないからね。君が単独で迷宮の奥へ向かったことを知っている一般兵や探索者から情報が洩れる可能性は大いにある」


「けど、俺は報告した以上のことは知りませんよ」


「もちろん、僕は君という人間を知っているから、君が僕らを謀って古代魔法帝国の重要な秘密を握っていたりとか、貴重な人工遺物アーティファクトを密かに抱え込んでいるだなんて思っていない。けど、他の人間がそう思うとは限らないだろう?」


「……」


 魔法王の指輪の存在を秘匿しておきながら、サラにそれを全部ぶちまけた修介としては、顔が引きつらないようにするだけで精一杯だった。


「おそらく、そう遠からず君を抱え込もうと言い寄ってくる人間が現れるだろう。あるいは強引に拉致しようとしたり、なんなら君を排除しようとする不届き者だって現れるかもしれない。いずれにしろ、魔法に携わる人間にとって今の君にはそれだけの価値があるということを理解しておいたほうがいい」


「……そう、ですね」


 マレイドという前例がある以上、憶測だけで危害を加えてくる輩がいたとしてもなんらおかしくはない。セオドニーの忠告は到底無視できるものではなかった。


「まぁ、そう深刻な顔をしなくても、よそ者がそう簡単に君に手を出せないよう、僕の方でひとつ手を打っておいた。僕としても君のように優秀な冒険者を失うのは忍びないからね。ただ、君の方でも十分に気を付けておいてくれ」


「わかりました」


「……あれ、どんな手なのか訊かないのかい?」


「どうせ教える気、ないですよね?」


「よくわかったね」


 セオドニーが声をあげて笑う。相変わらず感情のこもっていない笑い声だった。


「――さてと。話は済んだし、そろそろ僕は書類の山に戻るとするよ」


「セオドニー様は式典に出られないんですか?」


「僕は出ないよ。出てもすることないし、周りに気を遣わせるだけだからね。君は気にせず楽しんでくるといい」


 そう言ってセオドニーは書類の山へと戻っていった。

 修介もそれに合わせて部屋を出る。部屋の外では先ほど案内してくれた使用人が、入った時と同じ姿勢で待機していた。

 ぴんと伸びた使用人の背中を追って廊下を歩きながら、修介は小さく息を吐き出した。

 先ほど魔法王について問いかけてきたセオドニーの目……あの目は意見を聞いているのではなく、こちらの反応を窺っている目だった。おそらく彼は白い塔の魔術師が魔法王であると確信している。そして証言の内容もまったく信じていない。

 セオドニーはいかにも自分は味方だという体で話をしていたが、その腹の内が見えない以上、信頼し過ぎるのは危険だろう。

 そして忠告の内容も、これから旅に出るぞと意気込んでいただけに出鼻をくじかれた気分である。そもそもサラと違って古代魔法帝国の謎にさして興味などないのだ。覚悟して背負った十字架とはいえ、それを巡る争いに巻き込まれるのは勘弁願いたいところだった。

 この世界での暮らしに前向きになればなるほど、望んでもいないしがらみも増えていく。社会で生きていく以上、それが避けられないことだとわかってはいても、煩わしさを覚えてしまうのはどうしようもなかった。


「ままならないものだなぁ……」


 そのぼやきが聞こえたのか、使用人が振り返って「なにか?」と尋ねてきた。


「いえ、なんでもありません」


 修介は愛想笑いを浮かべてごまかすと、逃げるように窓の外へと視線を向けるのだった。


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