第265話 告白

 魔法王の指輪には歴代の魔法王の知識や記憶が収められている。

 指輪の最後の所持者となったナーシェスは、そこに収められていたルーファスの記憶――時の魔法王サーヴィンによって魔門に呪いをかけられ、魔力を封じられた――を垣間見たことで、サラが魔力を扱えなくなった原因を知った。

 屋敷でルーファスがサラに向かって使った魔法こそ、その呪いをかける術だったのである。

 術者が死んでも呪いは残り続ける。そして呪いを解くことができるのは術をかけた本人か、術者を上回る力を持つ魔術師のみ。

 幸いなことに、ナーシェスが得た知識の中に、六百年前にルーファスにかけられた呪いを解いた人物の記憶も存在した。

 それは濡羽色のローブを纏ったひとりの女だった。

 頭の中に流れ込んできたその女の映像を見て、ナーシェスは驚愕した。

 その女のことを知っていたのだ。

 魔法王の指輪から得た知識ではなく、彼自身の記憶として……。


 十数年前、病で死にかけていたナーシェスの元に現れ、彼の命を救った魔術師……その魔術師と濡羽色のローブを纏った女がまったくの同一人物だったのだ。

 古代魔法帝国の魔術師は魔神によって皆殺しにされたと伝えられているが、ルーファスのように現代まで生き延びていた者が存在する以上、ありえないことではない。

 なにより、そのふたりが他人の空似でないことは、両方の記憶を持つナーシェスにとって疑う余地のないものだった。

 その女魔術師ならば、サラの呪いを解くことができるかもしれない――それがナーシェスが最後に修介に伝えた情報だった。


 修介はこれらのことを説明にするにあたり、地下迷宮で起きた出来事を包み隠さずサラに話した。

 無論、葛藤がなかったわけではない。

 魔法王の指輪の存在を口外することは、それだけで大きなリスクがある。

 ただ、賢者と呼ばれるベラ・フィンドレイですら呪いを解く方法を知らなかったのだ。それをナーシェスがたまたま知っていたとするのは、どう考えても無理があった。この突拍子もない話に信憑性を持たせる為には真実を話さざるを得なかったのである。




「――そういうわけで、その魔術師を探す旅に付き合ってほしいんだ」


 すべてを語り終えた修介は、一息ついてソファーに座り直した。

 そしてサラの反応を窺う。

 彼女は信じられないという表情で固まっていた。いきなり魔法王の指輪だの呪いだのと突拍子もない話をされれば混乱するのも当然だろう。


「魔法王の知識と記憶を収めた指輪……そんなものが存在するなんて……」


 やがてサラがひとりごとのように呟いた。


「ぶっちゃけ俺もナーシェスの口から直接聞いてなければ、与太話としか思わなかったと思う」


「私だってあなたじゃなければ笑い飛ばしていたわ。……でも、もし本当にその指輪が存在するなら、古代魔法帝国の謎のほとんどが解けることになる。まさしく歴史を揺るがす大発見よ」


 魔法大好き娘の面目躍如といったところか、いつのまにかサラの表情は期待と興奮が入り混じったものに変わっていた。


「……サラも魔法王の指輪を嵌めてみたいって思うか?」


 修介はおそるおそる尋ねる。

 すると、サラは少し考える素振りを見せてから口を開いた。


「わからない……けど、たぶん嵌めないと思う。もちろん興味はあるけど、そんな方法で知識を得ても楽しくないじゃない。私はどちらかっていうとその指輪がどんな方法で生成され、どういった構造になっているのかを調べたいって思うかな」


「……」


「意外って顔してるわね」


「そりゃまぁ……」


「私にとって魔法の研究は生き甲斐なの。知識はその為の手段であって目的じゃない。ついでに言えば、私が好きなのは魔法を使う時のドキドキ感と、研究で得た知識をシュウみたいな無知な人に得意気に披露することだから」


 そう言ってサラは片目を瞑ってみせた。


「……いい趣味してるよ」


 そう言い返しつつも、修介は内心で胸をなでおろしていた。

 今回の旅で様々な魔術師と出会い、彼らの魔法に対する情熱や執念を目の当たりにしてきた。そして魔法の恐ろしさも身をもって知った。

 だから好奇心旺盛なサラがナーシェスのように指輪の魅力に憑りつかれてしまうのではないかと不安に駆られていたのだ。

 無論、実物を前にしてサラが豹変しないという保証はない。それでも、指輪を破壊する判断をした修介にとって、今の彼女の言葉はなによりも嬉しかった。




「――それで、ナーシェスの病気を治したっていうその魔術師は、結局のところ何者なのかしら?」


 サラがあらためて疑問を口にする。


「正体についてはナーシェスも知らないし、魔法王の指輪にも収められてなかったらしい」


「それでどうやってその魔術師を探すのよ。この広いストラシア大陸でたったひとりの人間を見つけ出すなんて、藁山の中から一本の針を探し出すよりも大変よ?」


「ナーシェスの話じゃ、その魔術師はナーシェスが故郷にいた十数年前は、とある森でひっそりと暮らしていたっぽいんだ」


「ぽい?」


「実際にその森に行ったことはナーシェスもないらしいんだ。なんでも深い霧に覆われた森で、地元の人間は決して立ち入らない場所なんだってさ。実際にその魔術師が森に出入りするところを見た人がいたらしいけど、そもそも十年以上も前の話だからな。はたして今もいるのかどうか……」


「なんとも言えないところね。魔術師は一度拠点を構えたらよほどのことがない限り場所を変えないけど、古代魔法帝国の魔術師にその常識が当てはまるのかどうかもわからないし……」


「でも、行ってみる価値はあると思わないか? もしいなかったとしても、なにかしらかの手掛かりはあるかもしれないだろ」


 その言葉に、サラは複雑な表情で俯いた。

 そう簡単に決断できるような話でないのは修介も承知の上である。

 ナーシェスの故郷は大陸の東、ヴォルテア王国の辺境にあるキリアという名の小さな田舎町だという。

 目指す目的地は遥か遠くの異国の地である。軽い気持ちで行けるような場所ではないし、おそらく長く危険な旅になるだろう。その上、無駄骨になる可能性の方が高いとなれば二の足を踏んで当然だった。


 修介は黙ってサラの返事を待つことにした。なんなら数日待っても構わないと考えていた。どのみち、今日明日に旅に出るわけではない。入念な準備が必要になる。そして協力してくれる仲間も……。


「ひとつだけ、聞いてもいい?」


 ようやく顔を上げたサラは、妙に思い詰めた表情をしていた。


「なんなりとどうぞ」


「どうして私の為にそこまでしてくれるの?」


「……」


 ついに聞かれてしまった、と修介は思った。

 ここで「仲間だから」と答えるのは簡単である。

 だが、サラがそんな答えを望んでいないことは、わずかに紅く染まった頬を見れば嫌でも伝わってくる。

 答えを出さねばならない時が来たということなのだろう。

 自分自身の気持ちも、彼女の気持ちも、どちらもわかっていた。そもそも魔法王の指輪のことを話した時点ですでに答えは出ていたようなものだった。

 世界の未来よりも、ひとりの女性の笑顔を選んだのだから。


 修介は観念したように大きく息を吐き出すと、サラと目を合わせないようにしながら、ぼそりと呟いた。


「……んなもん、お前に惚れてるからに決まってるだろうが」


 数十年ぶりの告白は、猛烈な羞恥心を伴った。

 頬に宿る熱が尋常じゃない程に高まっていることを自覚する。


「うーん、もう一声」


「……あのなぁ」


 修介は思わず脱力した。

 その様子に我慢できなくなったのか、サラはぷっと吹き出した。


「ごめん、冗談よ。今日のところはそれで満足しておくわ」


「マジで勘弁してくれ……」


「まったく、いつもは頼んでもいないのに歯の浮くような台詞を言うくせに、肝心な時にはだらしないのねぇ……」


「余計なお世話だ。……それで、返事をまだ聞いていないんだが?」


「返事って、あなたの告白に対する返事?」


「ちげーよ! そんなもん求めてねぇ! 一緒に旅に出るかどうかの返事だ!」


 サラは「ああ、そっちね」と楽しそうに笑った。


「……返事、聞きたい?」


「当たり前だろうが」


 修介はぶっきらぼうに答えた。


「そっか、わかった……」


 サラはソファーから立ち上がると、いきなり身を乗り出してきた。

 潤んだ瞳が至近に迫る。

 返事は、言葉ではなかった。

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