第264話 託されたもの
調査団は西門から街に入ったところで慌ただしく解散となった。
団長のマシューは挨拶もそこそこに部下を率いて騎士団の詰め所へと戻って行った。道中ですれ違った行商人からグラスターの街が妖魔の大軍の襲撃を受けたという話を聞いていたからである。
修介もサラとヴァレイラの安否を確かめるべく、ギルドへの報告をイニアーとデーヴァンに託し、シーア、アイナリンド、イシルウェらと共に生命の神の神殿へと向かった。
神殿に向かう道すがら、倒壊した家屋をいくつも目にした。
通りすがりの人の話によると、吹き飛ばされた南門の瓦礫がかなりの広範囲にわたって降りそそぎ、多くの家屋を破壊したのだという。
それを聞いた修介は魔術師ルーファスの仕業だと確信した。魔力炉のもたらす魔力はこれほどの破壊を可能にするのだ。
修介は魔力炉を消し飛ばしてくれたナーシェスにあらためて深く感謝した。
「――な、なんですって!?」
突然、シーアが悲鳴に近い声をあげ、顔を真っ青にして走り出した。最も妖魔の襲撃が激しかったのが生命の神の神殿だという話を聞かされたからだった。
修介も急いで後を追おうとして、身体が付いていかずに無様に転んだ。
シーアの数日にわたる献身的な魔法治療のおかげでなんとか歩けるくらいまでは回復していたが、魔剣に突き刺された左足はそう簡単には完治しないようで、どうしても足を引きずって歩かざるを得ない。
すぐにアイナリンドが肩を貸そうとしてくれたが、殺意すら込められたイシルウェの視線に気づいてやんわりと断った。
神殿に着くと、先に到着していたシーアから、サラとヴァレイラは無事だと聞かされ、修介は安堵の溜息を吐く。ふたりはすでに屋敷に戻っているとのことなので、そのままエルフの姉弟を引き連れ、今度はサラの屋敷へと向かうのだった。
アイナリンドの姿を見た瞬間、サラは両手を口に当ててその場にへたり込んだ。そして、人目もはばからずに大声で泣き始めた。
どうしていいのかわからずおろおろしているアイナリンドの背中を、修介は優しく押してやった。
アイナリンドはよろけながらもサラの前に跪き「ただいま戻りました」と言った。
すると、サラは顔を上げアイナリンドに飛びついた。
ふたりはお互いの存在を確かめるように強く抱きしめ合う。
(良かった……本当に良かった……)
修介は心の底からそう思った。
為すべきことを為したのだという充足感が心を満たしていく。この瞬間の為に命を懸けたと言っても過言ではなかった。
しばし幸せな気分に浸った修介は、ふたりの邪魔をしないようにと静かにその場を後にし、ヴァレイラの部屋へと向かった。
ベッドで横になっていたヴァレイラは修介の顔を見た途端、ものすごい勢いで跳ね起き、思い切り顔面を殴りつけた。そして、「次に黙って行きやがったらこんなもんじゃすまさねーからな」と脅し文句を口にした。
ちゃんと伝言を頼んだのに、と修介は理不尽に思ったが、どのみち聞いていたとしてもこの結果は変わらないような気もした。
とはいえヴァレイラの怒りは基本的に長続きしない。修介が素直に謝罪の言葉を口にすると、すぐに笑顔を浮かべて「ご苦労さん、よく頑張ったな」と労ってくれた。
ちなみに、彼女は旅立つ前よりあきらかに巻かれている包帯の量が増えていた。その理由を聞いて、修介は呆れると同時にじつに彼女らしいなと大いに納得したのだった。
その後、傷の手当てを受けたり、サラ主催のアイナリンドの帰還を祝うささやかな宴に参加したりと、慌ただしい時間を過ごした。
そうしているうちに夜も更け、完全に宿に帰るタイミングを逸した修介は、そのままサラの屋敷に泊めてもらうことになった。
そして現在、修介の目の前にはサラの部屋の扉があった。
すでに日付は変わっている。女性の部屋を訪ねるには遅すぎる時間だろう。他の者はすでにあてがわれた部屋で休んでいるようで、屋敷の中はしんと静まり返っている。
無論、夜這い目的ではない。
ナーシェスとの約束を果たす為である。
修介は遠慮がちに扉をノックした。
少し間があってから「はい」という返事があった。
「オレオレ、修介だ」
やや緊張しているせいか、特殊詐欺みたいな呼びかけになってしまった。
だが、部屋の主はすぐに扉を開けてくれた。当然だが、サラは寝間着姿だった。薄暗い室内と壁にかけられたマナ灯の光のせいか、やけに色っぽく見えた。
「夜分遅くにすまん」
修介はあまりじろじろと見ないようにしながら、とりあえず謝った。
「別にいいけど、どうしたの?」
「えっと、ちょっと用事があってな……」
「用もないのにこんな夜中に訪ねてこられても困るわよ」
サラが苦笑を浮かべる。
「そりゃごもっともで」
「とりあえずそんなところに突っ立ってないで、入ったら?」
そう言うと、サラは何のためらいもなく修介を部屋に招き入れた。
この場合、信用されていることを喜ぶべきなのか、警戒されていないことを悲しむべきなのか、微妙なところである。
部屋に入った瞬間、女性独特の良い香りがした。
精巧な細工が施されたテーブルに柔らかそうなソファー、そして天蓋付きの広々としたベッドという、いかにも貴族令嬢の部屋といった内装である。てっきり怪しげな魔道具や魔術書が散乱しているだろうと予想していただけに肩透かしを食らった気分になった。
「あなたが想像しているような物は、全部地下の研究室よ。なんなら今からそっちで実験に付き合ってくれてもいいのよ?」
「謹んで遠慮させていただきます」
修介は顔を引きつらせながら答えた。
「そう、それは残念ね。ところで傷の具合はどう?」
サラの視線が修介の左足に向けられた。
「ああ、おかげさまで、もうなんともないよ」
そう言って修介は左足を軽く振ってみせた。
「そ、良かった」
「マーラさん……だったっけ? 明日あらためてお礼を言わないといけないな」
「私から伝えておくわよ。念のため、もう一度口止めしておく必要もあるし」
サラはやれやれと言いたげに肩をすくめた。
癒しの術を使って治療を行ってくれたのはノルガドだが、マナを提供してくれたのはサラではなく、たまたま屋敷に滞在していたマーラという名の魔術師だった。サラの姉弟子とのことで、事情を聞くと喜んで治療に協力してくれたのだ。
かなり大柄な女性で、その体格に似合わず終始おどおどしていたのが印象的だったが、聞けばベラ・フィンドレイのふたりの高弟のうちのひとりなのだという。その実力はかなりのものらしく、プライドの高いサラが「私よりも優秀よ」と太鼓判を押していたほどである。実際、サラから簡単な説明を受けただけで苦もなくノルガドとの連携をこなしていた。
これでますますサラの祖母に体質を知られるリスクは高まってしまったが、その甲斐あって修介の左足は無事に完治したのである。
「それで用事って?」
サラがソファーに腰かけながら問いかけてきた。
「あ、ああ、昼間はばたばたしてて忘れてたんだが、これをサラに渡そうと思って。別に明日でも良かったんだけど、なんとなく今日中に渡しておきたくてな……」
そんな言い訳を口にしながら、修介は手にしていた薬学の本を差し出した。
サラは訝し気な表情でそれを受け取る。
「これって……もしかしてナーシェスの?」
「ああ、あいつの本だ。サラに渡してくれって頼まれたんだ」
「どうして私に?」
「さぁ、理由までは聞いてない」
「そう」
サラはぱらぱらと本を捲り始める。
修介はこのタイミングで部屋を出ていくべきか悩んだが、結論が出る前に「あなたも座ったら?」と声をかけられ、退路を断たれた。
仕方なくサラの真向かいに座り、本を眺める彼女を眺めることにした。
「これって……」
ページを捲っていたサラの手が止まる。
「どうした?」
「見て」
サラが開いていたページを掲げてみせた。
そこには手書きの文字がびっしりと書き込まれていた。どうやら生前にナーシェスが書いたもののようだった。
「なにが書いてあると思う?」
「そんなの俺にわかるわけないだろ」
「このページには、マナのない体質の人にも効果を発揮するポーションの開発メモが書いてあるのよ」
「……マジで?」
「もちろん、まだ試行錯誤の段階で実用化には程遠いわ。けど、彼が本気で作ろうとしていたのは書き込みの量を見ても間違いないと思う」
「あいつ……」
声が震えていることを修介は自覚する。
あの男は何食わぬ顔でそんなことを考えていたのだ。
突然、ナーシェスの死という現実が、強烈な喪失感を伴って一気に押し寄せてきていた。これまでは単に悲しみと向き合おうとしていなかっただけなのだと気付かされる。
もっと一緒に旅がしたかった。
たくさんの思い出を共有したかった。
間違いなく生涯の友になれると思った。
だが、その願いが叶うことはもうないのだ。
涙が零れ落ちそうになるのを、修介は上を向くことで辛うじて防いだ。
もうひとつ、友から託されたものがあるからだった。
「これを私に渡したってことは、研究を引き継いでくれってことよね……」
サラはそう呟くと、本をそっと閉じて悲しそうに俯いた。
「……ナーシェスには申し訳ないけど、今の私では期待に応えられないと思う」
「どうしてだ?」
修介は理由を知っていながら、あえてそう問い返した。酷だとは思ったが、どうしても本人の口からはっきりと聞いておく必要があった。
サラは顔を上げると、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「実はね、あの魔術師に襲われたときに魔門をやられちゃったみたいなの。神聖魔法でも治らなくて。それでおばあさまにも診てもらったんだけど、現代の魔法技術じゃ手の施しようがないって……」
大したことなさそうに振舞ってみせても、震える声がそれを裏切っていた。
「だから、今の私は魔法が使えないのよ。ポーションの研究どころか、あなたの実験だってできないわ」
そこまで言ったところで限界に達したのか、サラの頬を涙がひと筋、またひと筋と流れていく。
「ごめんね……シュウとパーティ、もう組めなくなっちゃった……」
その言葉に、修介は拳を強く握りしめた。
ずっと平気そうにしていたが、やはりサラの心は絶望に支配されたままなのだ。
マーラに治療の手伝いを頼んでいた時の彼女は、まるで大切なものを取り上げられた子供のようだった。
そして今も……。
サラの悲しむ顔はもう見たくなかった。
彼女の心からの笑顔を取り戻す――それが今の修介の望みであり、友との果たすべき約束だった。
修介はゆっくりと立ち上がると、サラの肩に手を置いた。
「サラに頼みがあるんだ」
「えっ?」
悲哀と戸惑いが入り混じった瞳が向けられる。
修介はそれを正面から見つめ返し、静かに告げた。
「俺と一緒に旅に出てほしい」
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