第263話 後悔

 そろそろ日が沈もうとしていた。

 夕日を浴びた森の木々が地面に長い影を作り出している。

 地下迷宮に続く洞窟のすぐ近くにある森……その入口に亡くなった兵士たちの遺体は埋葬された。

 生命の神の信徒であるシーアと戦いの神の信徒である神聖騎士ボルグが、死者の魂が迷わず神の元へ向かうよう、それぞれの神に祈っている。

 修介は彼らの後ろに立ち、静かに目を閉じて死者の冥福を祈った。他の者も思い思いに黙祷を捧げている。

 静謐な時間がしばし続いた。

 やがて黙祷を終えた者がひとり、またひとりと背を向けていく。

 そんななか、エルフの少女アイナリンドだけは一向に立ち去る気配がなかった。身動き一つせず、墓標代わりに立てられたナーシェスの杖をじっと見つめている。

 修介はその横顔から目を離すことができなかった。


「……私のせいなのかなって」


 アイナリンドがひとりごとのように呟いた。


(ああ、やっぱり……)


 と、修介は思った。

 たしかにパーティが受けた依頼はアイナリンドの救出である。そしてその過程でナーシェスは命を落とした。それで責任を感じるなというのは無理な話である。もし自分が彼女と同じ立場ならばやはり似たようなことを考えただろう。


「別にアイナのせいってわけじゃない」


「けど、私が冒険者になろうなんて考えずに大人しく森にいれば、ナーシェスさんを巻き込まずにすんだんじゃないかって……」


「その手の後悔はパーティのみんながしてると思う。俺だってそうだ。あいつを今回の旅に巻き込んだのは俺だし、その場にいたのにあいつを救えなかった……」


 実際、後悔を口にしていたのは修介だけではない。シーアもナーシェスがいなくなったことに真っ先に気付いていながら、負傷者の手当てを優先してナーシェスの捜索を後回しにしたことを激しく悔いていた。

 仲間を失って後悔を抱かない者などいないのだ。


「だけど、少なくともあいつは誰かに命令されたり、強制されて戦ったわけじゃない。自分の意志で戦ったんだ。それを俺たちが自分のせいだって責めるのは、やっぱり違うと思う。そんなこと、あいつも望んでいないだろうしな」


「……」


「けどまぁ、それはそれとして、やっぱり悲しいもんは悲しいよな……。あいつとは短い付き合いだったけど、やたらと馬が合ったというか、あいつには自分の弱い部分を安心して曝け出せたっていうか……。人との絆って過ごした時間の長さじゃないんだなってあらためて思ったよ」


 大きな悲しみの前ではいくら言葉を飾ったところで意味はない。人の感情がわかるエルフならばなおさらだろう。できることは素直な想いを伝えることだけだった。

 小さく鼻をすする音が修介の耳に届く。

 やがてアイナリンドは下を向いたまま静かに口を開いた。


「ナーシェスさんとは、サラさんのお屋敷で数日過ごしただけでした……。お話をする機会もあまりなかったのですが、それでも顔を合わせる度に、何か困っていることはないかい、と声をかけてくださいました。他にも落ち着くだろうからって薬草茶を淹れてくださったり、暇つぶしにと書物を貸してくださったり……」


「あいつらしいな」


 修介は苦笑した。裏で色々と企みはするし、底意地の悪い発言も多々あったが、気遣いのできる気の良い奴だった。

 だった、と過去形で言わなければならないことが修介は無念でならなかった。だが、今は悲しみにひたるよりも先にアイナリンドに伝えたいことがあった。


「なぁアイナ、これはヴァルからの受け売りなんだけどさ。仲間が死んだとき、生き残った奴がそいつの分まで目一杯人生を楽しんで、そいつのことを誇らしく語るってのが冒険者流の弔い方なんだってさ。アイナも冒険者になるなら、覚えておいて損はないぜ」


 そこで初めてアイナリンドは顔を上げ、修介の方を見た。


「……似たような話をずっと前に父から聞いたことがあります」


「そっか、アイナの親父さんも冒険者だったっけか」


「はい。だから、シュウスケさんが言いたいことはわかるような気がします」


「だったら話は早い」


 修介は我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。


「これから先、ナーシェスのことを知っている奴に出くわしたら、俺はそいつにナーシェスがどれだけ凄い奴かを無理やり語ってきかせるつもりなわけだが……その犠牲者第一号にはアイナになってもらいたいと思ってるんだ」


「えっ?」


「だってエルフのアイナなら俺なんかよりもずっと長生きするだろう? それだけ長く覚えていてくれる人がいれば俺も安心だし、なによりアイナみたいな可愛い女の子に覚えていてもらった方があいつもきっと喜ぶだろうしな」


「シュウスケさん……」


「だからグラスターの街に戻ったら、サラやヴァルと一緒に俺とナーシェスの思い出話に付き合ってくれないか?」


 修介の提案に、アイナリンドはかすかに笑顔を浮かべて頷いた。


「わかりました。ぜひ聞かせてください」


「おう、約束したからな」


 そう言うと、修介はそそくさと背を向けてその場を後にした。少し離れた場所でイシルウェが鬼の形相を浮かべてこちらを睨んでいたからである。

 自分だけ言いたいことを言ってすっきりしてしまったような気まずさは残ったが、アイナリンドもわかっていて付き合ってくれたような気もした。


 振り返ると、イシルウェがアイナリンドに寄り添い、優しく背中に手を添えていた。

 心の底から望んでいた光景がそこにあった。


(お前は違うって否定するだろうけど、あのふたりが無事に再会できたのは、お前のおかげだよ、ナーシェス……)


 修介は茜色に染まる空を見上げながら、そう友に語り掛けたのだった。




 ……翌朝、マシューは調査の打ち切りを決め、全員に下山するよう命令を下した。

 地下迷宮が思った以上に広大だったことと、多くの負傷者を抱えた状態でこれ以上の山に留まるのは危険だと判断してのことだった。

 実際、調査団は竜牙兵の襲撃で半数近くの兵を失っていた。これ以上の犠牲者を増やしたくないというのは誰しもが思っていることだった。


 修介たちパーティも野営地を引き払い、帰還の途に就いた。

 満足に歩くことができない修介は文字通りお荷物となり、山道のほとんどをデーヴァンに背負われての移動となった。

 定期的に「すまん」と謝る修介に、デーヴァンが「うう」と答えるやり取りが数十回と繰り返されたせいで、イニアーなどは時報代わりに利用していたくらいである。


 一行にはアイナリンドとマッキオ、そしてイシルウェの三人が加わっていた。

 何も言わずに立ち去ろうとしていたイシルウェを、アイナリンドが捕獲し、半ば強引に連行したのだ。

 修介の予想通り、イシルウェは姉には頭が上がらないようで、憮然とした顔をしながらも大人しく付いてきている姿は微笑ましくもあった。


 そんな姉弟の傍では例によってマッキオが延々と話し続けていたが、イシルウェに追い払われると、今度は修介のところまでやってきて、迷宮探索での成果を喜々として語り始めた。

 マッキオの止まらないおしゃべりはパーティメンバー全員を閉口させたが、彼の空気の読めなさっぷりは、ナーシェスを失って気持ちが沈んでいた彼らにとって、ある種の救いともなっていた。

 そのマッキオから、修介はグラスターの街に戻ったら地下迷宮内で見聞きしたことを洗いざらい話す約束をさせられていた。無論、核心部分を話すつもりはなかったが、はたしてマッキオ相手にどこまで誤魔化せるか、今から気が重くなる話である。


 ……そうして旅を続けること一週間、修介たちは無事にグラスターの街へと帰還を果たしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る